たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

"ただの証明"を超えて

2015-11-28 01:17:48 | Weblog
 「それは、ゲル、ってことなんやないか??お前、能書きが長いねん。それから、"思います"とか、そういう言葉は、責任逃れをしてるだけや。例えば、同じことを言うんやったら、沈黙を十分に味わいながら、"生命とは…、ゲルである!"と断言してしまえ。そうすると、みんなを引き付けられるわけや」

 俺が最もムカつき最も尊敬しているフィールドワーカーの言葉に敬意を表して、今夜は断言から始めてみたいと思う。

 理系であることの最低ラインはフーリエ変換がきちんとできることである。これは常識だし、普通のことだ。

 物理学科や数学科なら、言わずもがな。それ以外の殆どすべての理系でも、試薬を使う。その試薬は多くの場合、NMR(Nuclear Magnetic Resonance)において同定しているのだ。NMRではパルス磁場に応答した誘導減衰曲線をフーリエ変換することで吸収スペクトルを得る。つまり、フーリエ変換は現代科学の基礎を成している演算処理と言っても過言ではない。
 だから、いくら実験系であれ、生物系であれ、この演算処理を知らないというのは、理系として致命的である。

 これは、少なくとも俺にとっては常識であるが、普段このような事実を、おそらくフーリエ変換ができないであろう理系に、あえて突き付けたりはしない。俺が攻撃を受けていない限りは。はっきり言って、ムカつくこともあるが、それは我慢すべきことだと思っている。(こうやって書いたりはするけどね。イラッとするなら、読まなきゃいい)
 まして、何かの(精神的な)攻撃を受けていたとしても、「常識だろ!普通だろ!」と罵るような行動をすることもないだろうし、その行為に対して系のバランスのためにと正当化するようなルール作りをすることもない。ましてやまして、多数派の価値観を暗黙のルールとしての普遍的な原理とすることでパワーバランスを維持し、明らかな違反を正当化することもしないし、そこに対して多数派に合わせることを絶対視することもしない。多数派の価値観に合わせろ!空気を読め!そこにいる人達と違うことをするな!というのは、まぎれもない「いじめ」だからだ。

 (その集団のなかの)少数派を黙らせることは簡単である。だが、それを善と定義し続けてしまった時に、さらに大きなマクロからの要請によって、確かに「崩壊」せざるをえない状況が存在してしまうのだと思う。
 そして、俺は、崩壊しようが、発展しようが、至極どうでもいい。それはこの小さな国の小さな集団のそのまたさらに小さなセクションの崩壊に限らず、アカデミアの世界、日本、この世界全体が崩壊しようが発展しようが、どうでもいいのである。それに、地球や生命システムは、そんなにフラジャイルではない。

 「黒いものを観て、多くの人が空気に流されたり、誰かの立場を守らせることで自分の立場を守るために、"これは白いんだ!"と言ってきた時に、"白いですねー、いやー真っ白です"って言える能力がある人が就職できるんだなーって」
 『そ、こ、ま、で、か、よ(笑)』
 「あ、だったら、俺、別に就職できなくてもいいやー、って」

 そこまで極端なのか、俺はよく知らないが、少なくとも、自分の本心を語れる人が少なくなっていく環境に、ものづくりとしての未来はないだろう。

 自分らしさと自分の常識の範囲内で自分の正義にとって正しい行動をし続けていくことが、集団の価値観もしくは権威者が立場を守るために敷いている価値観にアジャストできなかったときに、優しい(自称)大人は俺に対して、「もっと柔和に」「もっと無難に」「穏便に」と言う(ちなみに、俺に一番似合わない言葉は、『穏便に』らしいです(笑)。確かに俺が『穏便に』って言うことってめちゃくちゃ少なくて(2年にいっぺんくらい?)、俺から『穏便に』がでたら、よっぽどですから、穏便にしてください)。それが激しいと「反省すべきだ」とまで言ってくるわけである。
 俺に対して優しい気持ちを持って云ってくれているかどうかは(表情と視線と声色の時系列変化からフーリエ変換して、そのスペクトルから気持ちのピークだけを検出できる特殊能力を持つ)俺ならわかるが、はっきり言って、このやり方は、優しさを伝え合うときの最低最悪のやり方である。だって、それは、先進諸国が、お前らは後進国だろ?っと勝手な価値観で決めつけて、押し付けるように支援しているのとカワラナイからだ。自分の価値観を無理矢理に押し付ける行為は、優しさを発現させようとしたときの最悪のやり方なのだ。

 そして、、俺は、、その最悪なやり方で、貴女にいつも、より良く!と口先だけの行動をし続けているのかもしれないね。
 もちろん、俺がこの方法しか取れない言い訳は、いくらでも出てくる。状況が完璧にはわからないなかで、これが限界。原理的に無理な状況下で一矢報いるためには、価値観を変えるしかない。
 でも、それって結局俺のエゴだし、俺の能力不足なわけで、能力がある人間が責任を負うのは当たり前のことだ。この件から逃げたくないなら、決着をつけたいなら、俺は能力を高めなくてはいけない、絶対的に。

 まぁ、だからと言って、もちろん、価値観はそれぞれだ、と短絡的に決めつけてしまうのも良くない。価値観を無理矢理に押し付け合えば良いというもんじゃないし、それぞれの価値観を認める、とキレイゴトを言ってれば良いというわけではない。

 「完璧な人間にはなれない。だが、完璧な人間に一歩近づこうとすることは誰でもできる」

 俺の最も尊敬している理論屋の言葉に敬意を表して、、結局のところ、(理系として)普遍的な性質の存在は信じながらも、("社会的成功者は皆優れている"という純符号や、"社会的成功者は皆誤魔化している"などの符号を単に逆にしたものなどの)短絡的な思考でコロラリーとして停止させずに、悩み続けていく、という直向きな態度こそが、重要だと思う、、と結論付けよう。

 「やっぱり僕の想定通りでしたね。たかはしさん、、僕の勝ちです」
 『まったく。むしろ、早いくらいだよ』
 「まぁ、これくらいのこと、ちょっとちゃんと考えてれば、誰でも予想できますし、たかはしさんは、すでに当初の目的を達成しています」
 『それが俺のせめてもの罪滅ぼし。いつでも使えるから、あとは用はない。ここからは、本当の能力をつける以外、意味がない。まぁ、俺だって、希望的観測をしてみたかっただけで、最初からこうだと思ってはいたよ』
 「まぁ、いいでしょう。だとしたら、"ただの証明"と言ったところでしょうか?」
 『いや、例外が、たった一人。予想外もいたにはいた。まぁ、その戦略的無鉄砲も含めれば、作戦通りとも言えるが、、あの人だけは、俺の価値観を少しだけ変えた』
 「へー、会ってみたいもんですね。たかはしさんの価値観を変えるほどの信念の持ち主に」
 『じきにそうなるさ。もしかしたら、あのフィールドワーカーを通して、、かもしれないね』
コメント
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