桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

見送った

2017-08-24 | Weblog
この1週間、ブログの更新を怠った。書きたいことが無かった訳ではないし、柴田先生の喪に服する気持ちでもない。何となく書く思いにならなかった。
昨夜の通夜。今日の告別式。参列して先生を見送った。
2女1男。そして7人の孫。柴田先生が愛してやまなかったろう家族から語られた父親、祖父の思い出は、どれもが先生らしいエピソードだった。
柴田五郎弁護士と出会って47年だ。ある意味、ご家族よりも長く、深く、同じ想いを抱えた歳月を過ごし、同じ意思を持って闘った時間を過ごした先生と俺は、杉山とは違った同士だったことを、ご家族の語る話で再確認した。布川事件は、柴田先生の人生でもあったのだ。
穏やかで立派な柴田先生のデスマスクは、柴田五郎の生きた月日を表してもいた。
先生は、中学校を卒業後、酒田東高校の定時制に進学して、昼間は、兄の鉄工所で働きながら学んだとか。中央大学も二部法学部に進学して、タクシー運転手など、あらゆるバイトをして学んだそうだ。でも、バイクにはまり、当時は雷族と呼ばれた、暴走族のハシリのようなこともしたそうだから、柴田先生の人生は深い。4年の卒業時に授業料と滞納を整理するために、泣く泣くバイクを手放したらしい。
普通の会社員として就職も決まっていたし、司法試験を考えていなかったらしいが、このままいいのか?と自問自答し、司法試験を目指した。が、金はない、どうしたものか?のとき、高校時代と友人が、その金を出してくれたと言う。友人のアパートかに同居して1年、好きな酒を絶って猛勉強。司法試験を突破。その間、友人は毎月の給料のかなりを柴田先生に渡したというのだから凄いエピソードだ。
信頼した友人、信頼させ、信頼に応えた柴田先生。先生らしい話だ。
弁護士になって3年目、布川事件に出会うことになる。
それから47年だ。
先生が静子さんと結婚されたのは1965年10月10日。俺が逮捕される2年前。それを知っても、なぜか涙が溢れた。
もし柴田先生以外の弁護士だったらば、果たして救援会につながったろうか?あの素晴らしい弁護団を構成出来たろうか?
間違いなく柴田五郎先生は、俺の恩人だ。何も感謝を贈れない俺は、四国巡礼で頂いた88カ所の寺と札と、あの四国巡礼中に使った袈裟を棺に入れさせて貰った。
国賠裁判が終わったならば、先生が回り残した空白の納経帳も一緒に持って、もう1度、四国巡礼をする。先生、先生の納経帳に88カ所の寺の御朱印を貰って埋めるからね。それを墓前に捧げるからね。
本当に、本当に有り難うございました。

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2 コメント

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Unknown (あきこ)
2017-08-24 21:30:10
心に残る出会いだったんですね。
私も嬉しくて、胸にズンとクル。
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Unknown (きよこ)
2017-08-25 11:45:45
書いて、教えてくださって、
ありがとう。
お二人の人生の、つながりの、深さ重さを思いました。
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