桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

哀しい知らせ

2017-08-19 | Weblog
布川事件を生涯の弁護事件とされた、柴田五郎元弁護団長が他界されたとの知らせが届いた。
奥さんと亡くし、独り暮らしとなった先生は、俺には奥さんの後を追うような時間として生きているように感じで、やがて体調を崩して施設に入られた。施設から蕎麦を食べに連れて行って貰ったそうだが、蕎麦を喉に詰まらせ心肺停止状態となり、緊急搬送され、そのまま亡くなられたと知らされた。
柴田先生と会ったのは、もう47年前。有罪判決を受けた後、杉山の弁護士だ!として土浦の拘置所に来たときだった。
検察官志願だったという先生は、実に感じが悪かった。「何をやったんだ」「なぜ自白したんだ」と聞く言葉と目は鋭くて、俺の言葉に対して、時折、腹立たしそうに舌打ちをしながら汚いモノを視るような目もした、あの日の出会いだった。
俺も盗みなどをしたし、良いをしたとは思っていなかったが、あの視線は応えた。杉山を視る目とは、全く違うのだから参った。
俺たちの無期懲役が確定したとき、先生は「俺も無期懲役を背負った」と言われた。そして、再審の勝利まで、布川事件の弁護をして下さった。杉山とは違う意味での同士だったのが柴田先生だった。
柴田先生と共にあった41年の闘いを考え、こんなに突然別れを考えると、考えるたびに深いところから哀しみと寂しさが湧いて来る。
この人に信頼される人間になろうと思わせてくれた柴田先生だったが、その願いは実現した自負はあって、「先生、なぜ、こんなに早く往ってしまったんだよ!」と腹立たしい思いになると、笑顔になる先生が思い浮かぶし、「桜井も頑張ったなぁ!」と言って下さる言葉も聞こえる。
柴田五郎先生、有り難うございました!まだ俺の闘いを見ていて欲しかったよ!

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