桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

忘れてたぁ!!

2014-11-14 | Weblog
今日は救援会新座支部結成の集まりに招かれて来た。新座市には、俺が仮釈放になった日、千葉刑務所から来たんだなぁ、と、あの日を想いながら来た。
皆さんの前で話を始め、千葉刑務所から帰って来たのが新座市だったことを話したらば、今日が11月14日、18年目だ!と気付いた。いやぁ忘れてたなぁ。もし救援会に出会っていなければ、今の俺はいないだろう。ただ真実と正義のために支援してくださった皆さんと出会えればこそ、沢山のことを教えられたし、得られた。本当に有り難いことだった。
あれから18年目に、その新座市に救援会支部が生まれ、招かれたことは、実に嬉しくて感慨無量だ。
何時も灯りに照らされ続けた獄中で「闇の中を歩きたい」と思い続け、満天の星を仰ぎながら歩いた、あの日から始まった俺の第二の人生。今日から、また!!

僅かな違いだが

2014-11-14 | Weblog
死刑再審で無罪になった人には、救済の年金制度が作られたが、俺たちには救済がないことでの記事が出た。
俺は、取材に対して、仮釈放で社会に帰り、すぐに利根町に帰って仕事を始めた後、役場に行って年金の話もしたが、同級生だった課長が「積み立てをしても貰えないから止めた方が良い」と言われ、自分自身も生きて行くことに重ねて再審活動があったために、支払う余力もなくて積み立てはしなかった、と話した。
これが記事になると「元が取れないから積み立てなかった」と話したように書かれていた。
まあ大した違いじゃないし、どっちでも構わないけども、当時の制度で25年間の積み立ては、俺が75歳までの積み立てになるのだから非現実的であったことは間違いない。
この年金問題も含めて国賠裁判は行われているので、その後の話となるだろうが、死刑再審にはあり、無期再審にないのは、おかしなことではある。
俺は千葉刑務所で一生懸命に働いた。部屋に帰った夜は自己労作業と呼ばれる内職までやり、働くことに努めた。あの18年間は補償して貰っても当然だとは思っている。
後に続く仲間のためにも、何とかしたい問題だよね。