桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

これはダメでしょ

2013-10-31 | Weblog
愛読紙、報知新聞に納得出来ない記事があった。
太田倫とある署名記事だが、昨夜のゲーム、宮川投手の寺内選手に対するヘルメットへのデッドボールをとらえて「奮い立て」と巨人ナインを激励したコラムだけども、この内容はダメだ。
昔の日本シリーズで、巨人の土井選手がホームに滑り込み、これをブロックした岡村捕手に弾き飛ばされて「アウト!」と思わせたシーンがあった。
ところが、審判は「セーフ」。阪急は怒って抗議した岡村捕手は退場と大騒ぎになったが、審判の眼は確かで土井選手の足が、弾き飛ばされる前にホームベースを踏んでいた。
この騒ぎのあった1969年当時は、まだ瞬時のビデオもなくて、翌日の新聞1面に土井選手の足がホームベースを踏んでいる写真が掲載されて「さすがに審判!」と称賛された。
このとき、阪急は審判に対する嫌がらせとして、投手の投げた球を捕手が捕らず、審判に当たるようにしたことがあったのだが、それを見た川上監督は「こんなチームに負けるわけにはいかない!」と発奮し、一気に阪急を破って日本一になったのだった。
この阪急のケースと、昨夜の宮川投手のデッドボールを同じようにとらえて「巨人ナインよ発奮せよ」と言いたいらしいが、もし俺が星野監督ならば、こう言うだろう、「新人投手のコントロールミスを取り上げて、日本シリーズの汚点である阪急の行為と同じレベルに論じるような、こんな巨人サイドの悪質な記事に負けて良いか!!」「宮川のためにも、巨人を倒そう!!」とね。
何でも書けば良いというものではあるまい。署名記事として自らの名前を出す以上は、もっと人を唸らせるような記事を書けるように努力して欲しいものだ。

自分が良ければ

2013-10-31 | Weblog
消費税増税、秘密保護法、国民に痛みとなる法律が問題になるとき、何時も「マスコミは対象外」と報道され、それで良いような論調を書く新聞がある。
自分たちさえ良ければ、それで構わないと思っているような日本のマスコミは、全く外国に存在するマスコミとは意義が違った存在なのだ。
諸外国では権力を監視するのがマスコミの存在価値だと認識されているが、日本の場合は「大本営発表」を垂れ流すだけでしかなかった戦前の名残を留め、今でも権力と結び付いて権力の代弁をするのが使命と思っているようなところがある。
何でも秘密にしたがる官僚に社会を任せだらば、それこそ何で犯罪にされたのか、その内容も判らないままに刑務所に送られたりするだろうし、証拠開示で冤罪を救おう!などの声は、全く無視される時代にもなるだろう。
今、マスコミの存在価値が問われているときだ。