桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

愛媛新聞

2013-10-11 | Weblog
昨日の取材が、今日は記事になっていた。
昨夜の杉山のテレビ番組を報告してくれた友人がいたが、冤罪の原因を俺の責任と言っていたらしい。
まあ杉山の冤罪への思いは、俺は悪くない、桜井の責任だ、だから驚きはしないし、好きに言って構わない、が俺の思いだ。
どんな思い、どんなメッセージを社会に発信して行くかは、それぞれが好きにやれば良いと思っている。
語った言葉の責任は自分に返って来るのだから。

腹が減っただけ

2013-10-11 | Weblog



横峰寺からの下り道は、何時もと同じに快調だった。何のことはない、足が動かない不調は、単に腹が減っただけのようだ。
横峰寺から61番香園寺までは10キロほど。途中、1キロほど登り道はあったが、ひたすらに下るだけ。足は動いたが、何しろ夏みたいな暑さ。これには参った。
横峰寺で買ったお茶を飲み干してしまい、自販機に出会うまで、大変だった。
今まで、リュックの中の物が汗で濡れたことはないのに、今日は遍路道案内の本が濡れてしまった。
バテたのは、この暑さのせいもあったかも知れない。香園寺は、実に派手な寺だった。「子安大師」と言われ、子育てに霊験があるらしくて、大正時代の住職が「子安講」を初めて信仰を集めたそうで、その子安講の繁栄が派手な本堂になったようだ。
先日、北海道で出会った可愛い娘や親しい人たちの子供が健やかに成長するように祈って来た。
62番の宝寿寺は、僅かに1・4キロ。
汗まみれが気になり、まだ歩けたが、今日は4時で終わりにした。
宝寿寺は香園寺と対照的で、実に質素。おまけに納経所に座る男女が無表情だったのが印象的だった。
2枚目の意味の判らない写真は、猪が餌を漁った跡。山道には、こんな痕跡が沢山ある。

息も絶え絶え

2013-10-11 | Weblog



さすがに最大の難所と言われた横峰寺への遍路道だ。舗装のなだらかな登りは、さほどの苦痛ではないが、山道に入ったらば大変だ。水の流れ落ちる渓流と共にある道は、気分的には最高だが、身体の負担は大きい。もう足が動かない!と、思うくらいにバテてしまい、何度も休んでは登って来た。
腹も減って、休息してお握りを1つ食べたらば、少し回復したが、いやいや疲れた。
まだ2日目で慣れていないこともあるだろうが、こんな疲労感は初めてだ。
横峰寺には、立派な休息所があり、そこで残るお握りを食べて休んだが、立ち上がってみると、尻の下は汗でびっしょり!
さて、次は9キロほどの下山だ。

御接待

2013-10-11 | Weblog

お遍路さんには、お接待という習慣があって茶菓子を振る舞う場所もある。
昨日、片岡さんと歩いていて、挨拶をしたおばさんが蜜柑をくれた。
今日は、雨宿りから歩き始めた道すがら、事務所から出て来たおばさんが、柿をくれた。
人様のご好意を頂くと、疲れていても頑張ろう!と思う。
当たり前のように、支援してくださった皆さんに支えられて闘い、勝利したと語って来た事実が、どんなに自分にとって大きなモノであったかを、お接待で確認する思いだ。
昔は、最大の難所と言われたらしい横峰寺まで、あと7キロくらい。休息所で一息。
さあ出発だ!!

暫時休憩

2013-10-11 | Weblog
昨夜は、足が火照って熟睡とは行かなかった。
それでも今朝は6時前に起きて温泉に入り、7時半、黒住さんの車で、昨夜の地点まで送って貰い、歩き始めた。
丹原と言う地区を歩いているときに雨が降り始めて、今は軒下を借りて休憩だ。これが山の中だったらば大変。
松山の夜、生きた烏賊が出された写真の添付を忘れた。足が飛び出しているのは、台に乗った烏賊が足を動かすからで、烏賊の生き造りは美味かった。