桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

2013-10-13 | Weblog
三角寺に向かう最後に近い登り道で、軽自動車が止まり、運転手の伯母さんが「乗せてあげましょうか」と言う。助手席に夫らしい人、後部座席には孫娘のような人が乗っていた。
歩き遍路であることを話して辞退し、三角寺に着いて山門への急な階段を上がると、俺に声を掛けた伯母さんが、やっと1段ずつ上がっている。孫娘が上から降りて来て手助けしょうとしているところに出会い、言葉を交わした。
3人には納経所でも一緒になり、更に階段は、俺が追い抜く形で別れの挨拶をした。
それから8キロ余り先に別格札所の「椿寺」が遍路道沿いにあり、俺も寄って参拝してたらば、また祖父、祖母、孫娘の3人が来てバッタリ!
何でも別格、番外札所も回っているらしいが、道に迷って時間が掛かったらしい。
俺が先に、今度は別れを告げて遍路道を歩いていると、3人の車が去って行き、小学生3年くらいの彼女は、車の中から一杯手を振ってくれた。
まさか雲辺寺では再開すまいと思っていたが、ロープウェイの最終便で、そんなことは忘れていた。
ところがだ、今夜の宿は、「かんぽの宿観音寺荘」にしたが、三連休の真ん中、客が一杯で7時半と指定された時間に食事に行き、食べていると、あの3人が入って来たのだ。
またまた道に迷って雲辺寺に行き着かず、最後の1部屋が空いてると言われてる泊まったと言う。
いゃあ縁だなぁ。
こういう出会いって嬉しいなぁ。

なぜだ!

2013-10-13 | Weblog


三角寺に入ったらば、境内の桜が咲いて出迎えてくれた。
雲辺寺では、何と紫陽花のお出迎え!
もっと驚いたのは、雲辺寺の難関、最後の登り道の、大体4百くらい上がった険しい登り道脇に、何となんと自転車が置いてあった!誰が、何のために、こんな場所まで持ち上げたのか、全く理解出来ない。

三角寺から雲辺寺へ

2013-10-13 | Weblog


昨夜の宿から三角寺までは、約17キロ。
楽に昼には着く予定だったが、甘くはないのが遍路道。舗装路から山道に入ってから、少し苦労した。
それでも何とか昼には着き、そこで暫時休息と昼飯。と言ってもバナナ1本で、すぐに雲辺寺に出発した。約19キロとあり、最後は山道らしいことから、5時には着かないと、その後が大変だと思って急いだ。
登れば下りだし、その途中には伊予三島市を見下ろしたりしながら、結構、余裕で歩けた。
今日、泊まるかも知れなかった民宿岡田前を3時に通らないと、その後の5キロは厳しくて、雲辺寺は山の上で下りて来るのが大変。何とか予定通りに「岡田」を通り過ぎて、これならば大丈夫と山道に入ったが、これからがキツかった。
何しろ急な登り道が、かなり続いた。6百とか9百とかの登り道だったようだが、途中で、もう1本持っていたバナナを食べて、5時には雲辺寺に着くと、休み休み上がって行った。
ところが、後1キロの地点で、雲辺寺からのロープウェイは5時が最終だと情報が入ったから焦った。
大体、5時まで、参拝者の納経帳に記帳するのにロープウェイが5時で最終で、どうするの。
何とか急いで上がり、15分くらいの余裕もあったが、水はなくなり、本当にしんどかった。
ただ、身体の脂肪が燃えるようになって来たのか、2日目の横峰寺で味わった疲労に較べると半分以下だった。
何でも、民宿岡田辺りから雲辺寺に登るには4時間だと言われてるのだとか。
雲辺寺は地理的には徳島県にある。

太鼓台

2013-10-13 | Weblog




朝、宿を出たらば、すぐに太鼓台に出会った。
それから次々と出会い、ラッキー。
実にきらびやか!
ドン、ドン、ドンドンドン、と、ゆったりしたリズムで太鼓の音はするが、どこで打っているのか、判らなかった。

松屋旅館

2013-10-13 | Weblog
昨夜は、27キロくらいの地点にある旅館に泊まった。
個室なのは良かったが、洗濯機が故障、水洗式トイレの流出音は煩い、やはり近い部屋の音が聞こえるなどで、良く眠れなかった。
俺は神経質だ。
今朝は7時半前に出て三角寺へ。
今、38キロくらいの地点にある遍路休憩所で一息だ。