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普通の生活の中での、思いついたこと、考えたこと。何かを表現したい、書いておきたいと思った時に、ココで発散しています。

ほのぼのと、淋しい☆たらこのおにぎり

2022-03-31 17:09:37 | ひとりごと。
なぜだか、たらこのお握りを食べると、なんとなくほのぼのとした、でもどことなく淋しい、ヘンな気持ちになります。
なんでだろう、と考えてみた☆ 浮き上がってきた思い出が一つ。

小学校の頃(何年生かは忘れた、3,4年生頃?)
家に帰ると母からのメモ書きが置いてあり、「K子おばちゃんがケガをしたので手伝いに行って来ます。るすばんをしていてください。」と書いてあった。
K子おばちゃんとは、母の妹で、一つ隣の駅に住んでいる。自転車だと30分ぐらい。

K子おばちゃんは優しくて、従姉妹3人の母でもある。従姉妹たちも年が近いので、よく遊んでいた。

そして、食卓に、たらこのお握りがおいてあった。
まるくて、小さい。たらこがまぶしてある。
それをおやつで食べた。美味しかった!私も弟も、たらこは大好きだった。子どもはみんな好きね。
たらこ。

帰ってきた母によると、おばちゃんは転んで、右手右足にケガをしてしまい、包丁など持てなくて
料理や掃除ができない。足首は捻挫。
従姉妹たちは私より小さくて、家の事はまだできない。だから、しばらくは手伝いに行ってくる。
そういうような話だった。

土曜日は私と弟もついていって、従姉妹たちと遊んでいた。「遊んでもらって助かる」ようなことを言われて、はりきって遊んでいた。遊んでいるだけで褒められるなんて!!
そして、おやつですよと呼ばれて行くと、いつもたらこのお握りだった。

遠足に持っていくような、三角で海苔が巻いてあって、中にたらこが入っているタイプではなく
子どもの手にちょうどいいぐらいの、小さくて丸いおにぎり。
ピンク色のつぶつぶ、よく焼いたたらこをほぐして、まんべんなくまぶしてある。
ほんのりしょっぱくて、ごはんの味もして、みんなでよく食べた。

ある日、叔母の家で私がそのお握りをつくることになった。どういういきさつかは、忘れた。
丸くはできたが、力かげんがわからず、ぎゅーっとにぎったりほろほろになったり。
たらこをあみで焼く。ほぐして、まぶす。細かくほぐすのが大変だった。
さらに、まぶしているうちにごはんがほどけてしまい、ぽろぽろになる。
しかたがないのでお茶碗にぽろぽろになったごはんをうつして「たらこごはん」にし、
私と弟、従姉妹3姉妹のあわせて5人で「おいしいね!」と言いながら食べたんだった。
ああそうだった、私はここで悲しくなったんだ 
まるい、小さい、たらこのおにぎりがうまく作れなかったから。

みんな、子ども用の小さなお茶碗で、たらこご飯をぱくぱくたべている。
ぎこちなくお箸を使って。笑顔なんだけど。おいしいんだけど。

ちがう、そうじゃない。こうじゃない。お茶碗にお箸で食べるんじゃない。

ちいさくてまるくて ほぐしたたらこがまんべんなくついている
そんなたらこのお握りを、手にもって食べるんだ。ぱくぱくって。
私は、そうしたかったんだ。みんなにそうしてほしかったんだ・・・・・

「おねえさんだからできるよね」っておばちゃんに言われてやったんだった。

でも、できなかった。それで、悲しくなったんだ・・・・

          ☆

こうやって、思い出して書いてみるとすっきり、なるほどなあとわかるものです。可視化って大事(^_-)-☆
今、やっとわかった・・・
ほのぼの、と淋しいようなヘンな気持ちの理由。

みんなで一緒に遊んだり、おにぎりを食べたりした、ほのぼのとした思い出と
私が一番お姉さんだったのに おにぎりが作れなかったこと それで淋しい気持ちになったこと。

記憶の味のうしろには、その時の気持ちが隠れてる.。:・・.。:*・★


みんなまだ小さくて、おにぎりのようなまん丸なほっぺをしながら、
「おいしいね!」と笑い合ってぱくぱく食べていた、あんなおにぎりを

今ならいくつでも作れるのに。


従姉妹たち3人姉妹の一番上、クミちゃんは、一昨年ガンで亡くなった・・・ちょうど今頃だった。
内科のお医者さんになって、開業してがんばっていたんです。
入院中、コロナでお見舞いにも行けなかった。もし行けたら、たらこのお握りでも差し入れできればよかったな。ずっと会えないまま、お別れになってしまった。


あと1日で週末.。:・・.。:*・★ 気温が下がってきましたが、
暖かくして過ごしましょう°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°

(@^^)/~~~



コメント
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