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普通の生活の中での、思いついたこと、考えたこと。何かを表現したい、書いておきたいと思った時に、ココで発散しています。

これが私の生きる道

2006-05-10 13:09:22 | ひとりごと。

昨日、無事に講習会が終了して、ほっと一息したところ。

今まで、講師という仕事をしてきた中で、こういった「一方的に話す」という経験は、初めてだった。
いつもとは勝手が違うといっても、「伝えたいことがある」という熱意を胸に、大きく深呼吸して教団(オイオイ^^;)教壇に立った次第。

結果からすると、自分で思ってた以上に満足感の高いデキだったように思う。
イケメンの男子学生が多かったからというわけでは・・・
白状しますが、若干はあります^^;

授業のあとに反省点や改善点をノートにまとめて、何度も読む。
そして、次回に備える・・・本音をいえば「もう結構」という思いも強いのだが。
でも、また次ということがあれば、、回数を重ねるごとに充実した内容になっておきたいとも思う。

板書や、話の起承転結、時間配分はスムーズに行った。要所要所でアドリブも入れる余裕もあり。ウケると嬉しい。

今まで、自分の中に蓄積してきたものを、「一つの作品にまとめる」作業だったようにも思う。

でも、それを人前で話すことは想定外だったし、うまくできるのだろうか?と不安でもあった。

頭の中に浮かんだことを、文字にすることはできる。
それを言葉として表現することは、全く別のような気がしていたのだ。

これは、完全に思い込み、だったことがわかった。

文字にできるのなら、それをシナリオとして、書いて、「セリフ」として覚えて、
あとは言葉として表現すればよいだけだ。

要するに、「自作自演」の、一幕の舞台である。
自作自演だから、自分も楽しい。そうすると、聞いている側も、楽しめるのではないか、と思った。


受講後のアンケートには、内容が深くてためになった、楽しかった、これからの人生で役に立てそう、など、
嬉しい言葉がたくさんあり、感激ひとしお、である。

何かを得ようとして聴いている人たちの前で、自分の考えを発表するというのは、
どうしても「相手がどう受け止めてくれるか」「どのように批評されるのか」と、身構えてしまうところがある。

その結果、よりよく自分を見せよう、という意識が働いてしまって、「あがる」ということになってしまう。

うまく話せるだろうか?受けなかったらどうしよう?

テレビのコメンテーターなども、好感が持てるのはステレオタイプなコメントではなく、
その人の人柄や持ち味が表現されているものだ。

話し方が多少下手でも、その人だけが持っている「人としての魅力」が表現されているときには、
話し方など気にはならないものだ。

要するに、自分が「心から伝えたい」と思っていること、少なくとも人の役に立つと思われることがあるのなら、
それをきちんと、情熱をもって、話しをするということが何よりも大切なのだ。


発表できる舞台があるのは、ラッキーなことなのだ。
そう思ったら、とても嬉しくなり、ありがたい、とさえ思えた。

チャレンジとは、進化すること。

自分の生きる道=自分の仕事をとことんあきらめない事は、素晴らしいことだ。

今後も、自分の仕事に誇りをもって、職務を全うしようと思う。


---昨夜、「車を運転する夢」を見た。なぜだかブレーキの利きが悪く、ひやひやしながら走っている。結構あせって、目が覚めた。

ちょっと気にしてみる。夢占いのサイト、「運転する夢」の項目によると、

車を運転する夢を含め、乗り物を運転するのは夢主の運勢をあらわしています。
スムーズに運転できれば、良好に物事が運ぶことを暗示します。
運転できない乗り物を運転するのはテレパシックな場合もあり、実際にその乗り物を運転する機会が訪れたり、
車の場合なら、思わぬハプニングを暗示することもあります。
いままで不可能だとあきらめていたことが、思わぬきっかけで実現できそうです。

また、乗り物を止めようとしてもブレーキがきかなかったりする場合、気力の消耗や体力的に無理をしていることをあらわしています。


・・・なんだ、結局疲れてるんじゃないの、気力、体力の消耗。はいはい。
回復に努めます(^_^.)
・・・慣れないことで緊張したとはいえ、こんな程度で疲れてるんじゃ、私もまだまだだわ^^;

ではまた!

コメント (2)
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