具体的な改革内容を知らないのでいい加減なジャッジしか出来ないが、なーんだ反対派が勝利したんだ、が感想。案外大阪人も保守派が多かったのだね。意外な気がした。もっとも自民党はもちろん、公明共産党までが反対派だったのだからしゃーない結果か。無党派層や維新の会しか賛成に入れた人がいないって事だものな。70代以上の女性の多くが反対に投票、と記事にあった。二重行政を省くと高齢者向けのサービスが低下する、と思われて反対した人が多かったのかも。駄目元で一度改革をしてみるのも面白かったと遠くに住む者は考えるが、それは許されなかったのですね。昨日も記したが橋下さんを信用する気はないからもし、投票権があったらどうしていたかと考える。迷って賛成に投票、或いは反対に入れた有権者もいたのでは? 1万741票の差は少ないのか多いのか。賛成派にとっては納得がいかない結果だっただろう。ただ、橋下さんを見直したのは「権力者は使い捨てがいい」とワンポイントリリーフを自覚していた点。それを分からずに死ぬまでへばり付く醜い政治家が多い中、カッコイイ〆言葉じゃないの。このまま政治から引退するとは思えないが、賢い選択をしていただきたいものだ。
大阪市の橋下徹市長が提案した、大阪都構想の住民投票が今日行われる。賛成派は劣勢と伝えられているが実際にはどうなのか。昨日は市内365箇所の投票所で設営準備がなされ、そんな中で反対派のデモの様子もニュースで流れた。反対を唱える自民党は多くの議員が街頭で市民にその思いを訴えていた。何故ここにあなたが、と思える佐藤ゆかり議員も必死の形相(しかしこの人、自民党の議員らしく人相が年々悪くなるな)で叫んでいた。二重行政を失くそうとする橋下氏の考えは良いと思うが、それ以外の何かが彼の中にはあるのだろう。そこがイマイチ分からないので全面的には賛成出来ない。ただ、行政側べったりの自民党があんなにも反対を訴えているとここは何が何でも賛成で、とも思う。約30万人が期日前投票をしたそうで投票率は高くなると予想される。270万の有権者がどう判断を下すのか。他人事ながら気になっている。
1985年5月15日【我が結婚記念日】。あれから30年~ってきみまろさんの台詞と同じく凄まじい年月が経った。結婚した当時は(今もだけど)先の事なんてなんも考えず、ただ前だけを見ていた。不安がなかったわけではないが何とかなる、と思っていた。確かに何とかはなった。それにしても若かったなぁ。老いた事にブツブツ言ってても何も始まらない。だからこれからも今までどおり前を向いて生きていく。けれど、互いによー頑張ったな、と思う。世間ではダンナがかなりの変わり者で妻である私が大変そうに思われているが、案外それだけとは言い難い。自分自身を振り返ってみればかなりの我がまま者には違いないと思う。範囲を越えないようにと心の中では思っているが、時にそーでもないなーと我が身に言い聞かせたりもして。そんなこんなで30年が過ぎた。どの夫婦にもあるいろんな事を抱え、乗り越えたからこその今。これからも大事にしたい。
だいぶ前から気になっていたがNHKのニュース、面白くない。特に気になるのが毎夜見ている19時のニュース。(キャスターと言うのかアナウンサーと言うべきか)の武田さんは良いと思うのだが内容がつまらない。ダンナに言わせれば「予備校の授業か」となる。高齢者の視聴者を意識してなのか分かり易く伝えようとしているのは分からないではないが、高齢者ではない者からすると丁寧過ぎてまどろっこしい。ひとつの話題を長く伝え過ぎる傾向にもあり、くどいと思う事も多々有り。模型が簡単に出来るようになったからなのか、それを使っての説明などに時間を割く事も多い。NHKの方針がそうなのだから仕方がないが受信料を支払う身(ダンナだけど)からすれば納得のいく内容ではない。その後に続く番組”クローズアップ現代”の仕込み問題もどうなったのか。国谷キャスターも頑張ってはいるが年には勝てず見ていて痛々しい時もある。話が通じなさそうな籾井さんが会長のうちは改革なんて無理か。夜7時が来るたびにああ、と思っているのは私だけではないだろう。何とかして欲しいが訴える場もなく空しさだけが残る。
通常の世界遺産登録とは違う、明治日本の産業革命遺産が先日発表された。GW中の出来事だったのでニュースもまともに見ていなかった。その為、どこなのかはっきり認識はしていないが、あっこっちの名所が選ばれたようで。それにしてもこれらって誰がどうやって選んでいるのか。世界遺産って初めこそ重みがあったがあちらこちらが認定され過ぎ、最近はどうにも軽い。特に今回の産業革命遺産に至ってはそれを認定する意義は? と問いたいくらい。選ばれると観光地化が更に進んで多くの人々が訪れ、賑わい街が潤うって事なのでしょうけれど、それらに関しては維持費も大変で地元負担も少なくないと聞く。人口減少が見込まれる中、その必要性があるのか? 近未来、いなくなってしまう我々はいいがその後の人々はどれだけ要らない遺産を受け継がなければならないのか。今がよければ的な考えは捨てた方が良いと思うが、いかがだろう。