スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ストーリー展開&入院

2010-09-11 11:46:44 | 歌・小説
 これまで,夏目漱石の『明暗』におけるドストエフスキーからの影響というのをいくつか僕なりに示してきました。しかし,僕が考えている最大の影響というのはもっと別のところにあります。それは,ごく簡単にいうならば,ストーリーの展開の仕方です。
                         
 これは何度もいってきていることですが,夏目漱石は途中から朝日新聞に入社し,小説を新聞小説という形で記してきました。したがって,ひとつの小説が始まって終るまで,たとえば半年とかの時間が経過するわけです。漱石自身がそのことをどの程度まで意識していたのかは分かりませんが,おそらくはそのこともあって,漱石の小説というのは,始まりから終わりまでに,ある程度の時間が経過します。いい換えれば,小説の中の時間の流れというのがゆったりとしているのです。
 ところが,『明暗』は別です。これは未完の小説ながら,漱石の小説としては最長のもので,したがってそれまでの漱石の小説のパターンからすれば,小説内の時間の経過もまた最も長くなっているというのが普通でしょう。しかし,『明暗』の中に流れている時間の幅は,存外に短いのです。
 小説自体は非常に長いのですから,その中で生じている出来事というのは,当然ながら漱石のほかの小説と比べても多くはなっています。そしてその多くの出来事が,それまでの漱石の小説よりも短い時間の中で生じている。いい換えれば『明暗』というのは,漱石のほかの小説には例がないくらい時間の経過が濃密なのです。
 そしてこの時間の流れの濃密さというのは,僕はドストエフスキーの小説のひとつの特徴であると考えています。『明暗』が長いといっても,『罪と罰』ほどではありませんし,『カラマーゾフの兄弟』などはもっと長いものです。ではその中でどれくらいの時間が経過しているのかというとこれが驚くほどに短い。たとえば『罪と罰』ですと,エピローグとなっている部分を除いた主要部分でおよそ2週間。この時間の濃密さは漱石の小説とは明らかに一線を画しています。
                         
 『明暗』において漱石がそれまでの小説にはないくらい濃密な時間を描いたこと。それは明らかに漱石がドストエフスキーを意識した結果だと僕は思うのです。

 このときが向かった病院,すなわち僕が初めて救急車に乗ったときに搬送されていった病院であり,また父が腸ヘルニアのために夜中に行った病院ですが,その当時よりもおよそ1キロほどになるでしょうか,僕の家の近くに移転しています。午後の診察は1時半からということで,到着したのがその前であったため,少し待たなければならないという状態でした。なお,僕は家で留守番をしていたわけですから,このあたりのことはすべて付き添った母から後になって聞いた話です。
 これは主に腰痛ですが,待っている間に父はひどく痛がったそうです。そして母から紙とペンを借りて,自分の貯蓄の状況やカードの暗証番号,生命保険などについてメモをしたそうなので,父自身はかなり重大な状況であるという自覚がこの時点ではあったのでしょう。なお,このメモは後に僕が受け取りました。残念ながらというべきでしょうが,大変に役に立ったメモとなりました。
 この状況を通りがかった看護師が目撃し,それほど悪いのであれば先生に頼んで時間前に診察することを提案。したがって1時半前には診察となったそうです。医師は状態をみて,詳しい検査が必要と判断,レントゲンやCTなどの検査をしたので,これでかなり時間がかかったようです。この検査の結果が思わしくなく,すぐに入院した方がよいということになったのですが,開いているベッドがないということで,みなと赤十字病院へと回されることになりました。これは父の希望でもありましたし,また同時に家族の願いでもありましたから,やはり救急車を呼ばずにわざわざこの病院へ連れていったのは成功だったといえるでしょう。なお,みなと赤十字病院へは,父は母の自動車ではなく救急車で運ばれ,母がその後を追ったそうです。
 この病院での検査の結果はCDロムに記録として残され,当然ながらそれもみなと赤十字病院の医師に渡されたのですが,みなと赤十字病院でもやはり同様の検査を行ったため,また多くの時間が費やされました。病院の検査でそうも異なる結果というのが出る筈もありません。やはりここでも結果は思わしいものではなく,父はそのまま入院するということになりました。
 母がようやく家に戻ったのは午後8時くらいではなかったかと思います。つまりそれだけの時間がかかったということ。母は僕に相当に悪いようだということだけを告げて,入院のための準備を済ませ,再びみなと赤十字病院へと向かいました。よってこの段階では僕はまだ父の病名を知らずにいました。

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