スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

上田馬之助&責任の発生

2007-03-18 20:18:48 | NOAH
 今月のG+のプロレスクラシックでは,1983年3月のジャイアント馬場選手と上田馬之助選手の試合が放映されています。
 上田選手が凶器を出した後,馬場選手がスタンディングで上田選手の左腕を取り,体重をかけてマットに押し潰すと上田選手は左肩を脱臼。馬場選手はそれに気付いていたと思うのですが,あとは延々とその攻撃を繰り返し,レフェリーストップで馬場選手の勝ち。
 馬場選手は本来はこういうセメント的試合は嫌いな筈で,僕のプロレスキャリアの中でも不可解な試合のひとつでしたが,この経緯について,当時のレフェリーを務めた現GHC管理委員長のジョー樋口さんが著書で明かしています。
                         
 この試合が行われたシリーズは米国遠征で馬場選手は全戦欠場の予定でした。上田選手はそれに腹を立て,馬場選手が出ないなら自分もシリーズの後半をボイコットすると言い出して実現したのがこの試合。馬場選手というのは常識人で,契約違反を嫌います。そこで契約違反を口にした上田選手には制裁が必要と考え,このような試合になったようです。その理由も,制裁をリングの上でやったというのもなるほど馬場選手らしいエピソード。試合の前には「腕か脚を折ってやる」という主旨の発言をしていたようで,まあプロレスラーはこんなことをよく言いますが,実際にはやらないもの。逆に馬場選手は滅多にこんなことは言わない選手で,それを有言実行したというのもまた馬場選手らしいエピソードだと思います。

 明日から王将戦七番勝負第七局。また振駒になりますので,どちらが先手を得るかがまず最初の注目点です。

 一般論の中には,責任という概念があることの前提は含まれていますが,責任という概念の発生が含まれているとはいえません。仮に人間に自由意志があり,その自由意志によって自分の身体を動かし得るとしても,だから責任という概念が発生しなければならないような理由はこの中には見出せないからです。
 そこで,これについてもやはり一般的に考えれば,責任というのは法的責任とか道義的責任とかいわれるように,明文化された法律であれ,そうではないような道徳あるいは倫理であれ,ある何らかの秩序なりシステムなりが乱された場合に,それを乱した人間について問われるものです。そしてそのときに,人間は自由意志があり,それによって行為するのだから,それを乱した行為がその人間の自由な領域に属すると考えられ,その人間が自身の行為に対して何らかの責任を負うということになります。したがってこれを逆に考えれば,ある種の秩序やシステムは保持されるべきものであって,そのためにそれを侵した人間には何らかの懲罰が必要で,この懲罰を合理的なものとするように個人に与えられるのが責任という概念(責任を負うということ)といえるのでしょう。
 なぜ人間は責任を負えるのかという問いに比べると,なぜ人間は責任を負わなければならないのかという問いは,一般的に問われた場合には答えることがむしろ難しいのではないかと僕は思うのですが,大方はこのような意見に集約されるのではないかという気がします。

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2 コメント

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虚構と文化そして歴史が創られる事 (草将棋)
2007-03-19 13:45:35
馬場が上田を脱臼させたのは制裁より、寧ろ猪木がシンやペールワンの腕を折った事とそれによって生まれた伝説への焦りと嫉妬があったというのが本音だろう。後にもヴァーリトゥードをやったり、馬場と言えども時流に逆らえぬ場面がったという事が実は重要だ。とにかく伝説は創られるもの。ファイトの井上師が他界した今、猪木は生きながらにして死に、馬場の言葉のみがプロレスをようやく守っている。将棋に目を移せば伝統文化というものは伝説で飯を食っているはずなのに伝説を守る事も育てる事も(はったりで全然構わない)忘れてしまった。文化ってものは「金なんてどっからか湧いて来る」くらい思ってて丁度良いのだ。愛人と同じだ。金だ生活だと言いだしたら冷めてしまう。将棋の発展の為に「国が援助しろ」とでも開き直るのが米長の仕事だったのだ。
確かに (spinoza05)
2007-03-19 19:02:56
 馬場さんは猪木さんについては名前を出して語ることすら好まなかったように思いますが,それは逆に意識していたことの裏返しだったのかもしれません。

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