ドゥルーズGille Deleuzeの『ニーチェ』には,「ニーチェ的世界の主要登場人物辞典」という章があり,その中に蜘蛛という項が含まれています。正確にいえば,蜘蛛(あるいは舞踏蜘蛛)という項です。ちょうどスピノザの哲学に対する僕の美的感覚を説明するのに,ニーチェFriedrich Wilhelm Nietzscheによる蜘蛛の比喩を例材として用いたばかりですので,ここでドゥルーズが指摘していることを紹介しておきましょう。

まずドゥルーズは,ニーチェが蜘蛛というとき,それは復讐あるいは怨恨の精神のことであって,蜘蛛が有する毒がその伝染力になるといっています。これが,ニーチェが蜘蛛という場合の最も基本的な意味であるとドゥルーズは捕えているということです。
次に,蜘蛛の意志というのをドゥルーズは説明しています。それによれば,蜘蛛の意志というのは処罰しようという意志,あるいは裁こうとする意志のことです。蜘蛛は怨恨あるいは復讐の精神のことですから,その精神は,他人を裁きまた処罰しようとする意志へと向かう精神であるということになります。
最後に,蜘蛛の武器は糸であるとされています。この糸というのは道徳の糸です。蜘蛛の糸は,蜘蛛が巣を張るための糸です。要するに蜘蛛が体内から紡ぎ出す糸によって,道徳の巣を張るのです。この部分はスピノザに対する蜘蛛の比喩と最も関連していそうです。そしてこの道徳の教えは,平等の教えであるとされています。ここでいう平等とは,すべてのものが蜘蛛と同類になるという意味での同類です。
このうち,蜘蛛の意志に関する部分については,間違いやすい点が含まれていると思いますので,僕が改めて詳しく説明することにします。
書簡四十六の最後のところで,スピノザはライプニッツGottfried Wilhelm Leibnizに対し,もし『神学・政治論Tractatus Theologico-Politicus』を所有していないのであれば贈呈するという主旨のことを書いています。これはこれで重要な部分です。というのは『神学・政治論』は匿名で出版されたものであり,著者はスピノザであることは噂にはなっていましたが,断定的にいえることではありませんでした。ところがこの部分ではスピノザは,私の『神学・政治論』という書き方をしていて,著者が自分であるということを認めているからです。つまりスピノザはこの手紙を書くときに,『神学・政治論』の著者が自分であるということをライプニッツに対して明らかにしてもよいと考えていたということになります。1通の手紙を受け取っただけの関係でも,スピノザはライプニッツに対してそれくらいの信用は置いたとみていいでしょう。
ライプニッツがどのようにして『神学・政治論』を入手したのかは分かりません。確実なのはライプニッツはそれを読んだということです。そしてその内容に関して,手紙のやり取りをスピノザとしました。それが分かるのが書簡七十です。この中でシュラーGeorg Hermann Schullerは,ライプニッツは『神学・政治論』を高く評価していて,その主題についてスピノザに手紙を送ったことがあるそうだが,それを記憶しているかという意味の問いをスピノザにしています。
僕がここで注目したいのは,シュラーは,ライプニッツがスピノザに手紙を送ったということについて,断定的にでなく,伝聞として記述しているという点です。これは直接的にはチルンハウスEhrenfried Walther von Tschirnhausからの伝聞であり,間接的にはライプニッツからの伝聞であるといえるでしょう。チルンハウスと出会ったライプニッツは,チルンハウスがスピノザと親しい間柄であるということを知り,自身もスピノザと接触したかったために,本心かどうかは別に『神学・政治論』を高評価しているとチルンハウスに伝え,同時にそれについて文通したことも伝えました。チルンハウスはライプニッツには『エチカ』の草稿を読ませたかったので,よい返事を得るためにこのエピソードをシュラーに伝えて,スピノザに取り次いでもらったということだと思われます。

まずドゥルーズは,ニーチェが蜘蛛というとき,それは復讐あるいは怨恨の精神のことであって,蜘蛛が有する毒がその伝染力になるといっています。これが,ニーチェが蜘蛛という場合の最も基本的な意味であるとドゥルーズは捕えているということです。
次に,蜘蛛の意志というのをドゥルーズは説明しています。それによれば,蜘蛛の意志というのは処罰しようという意志,あるいは裁こうとする意志のことです。蜘蛛は怨恨あるいは復讐の精神のことですから,その精神は,他人を裁きまた処罰しようとする意志へと向かう精神であるということになります。
最後に,蜘蛛の武器は糸であるとされています。この糸というのは道徳の糸です。蜘蛛の糸は,蜘蛛が巣を張るための糸です。要するに蜘蛛が体内から紡ぎ出す糸によって,道徳の巣を張るのです。この部分はスピノザに対する蜘蛛の比喩と最も関連していそうです。そしてこの道徳の教えは,平等の教えであるとされています。ここでいう平等とは,すべてのものが蜘蛛と同類になるという意味での同類です。
このうち,蜘蛛の意志に関する部分については,間違いやすい点が含まれていると思いますので,僕が改めて詳しく説明することにします。
書簡四十六の最後のところで,スピノザはライプニッツGottfried Wilhelm Leibnizに対し,もし『神学・政治論Tractatus Theologico-Politicus』を所有していないのであれば贈呈するという主旨のことを書いています。これはこれで重要な部分です。というのは『神学・政治論』は匿名で出版されたものであり,著者はスピノザであることは噂にはなっていましたが,断定的にいえることではありませんでした。ところがこの部分ではスピノザは,私の『神学・政治論』という書き方をしていて,著者が自分であるということを認めているからです。つまりスピノザはこの手紙を書くときに,『神学・政治論』の著者が自分であるということをライプニッツに対して明らかにしてもよいと考えていたということになります。1通の手紙を受け取っただけの関係でも,スピノザはライプニッツに対してそれくらいの信用は置いたとみていいでしょう。
ライプニッツがどのようにして『神学・政治論』を入手したのかは分かりません。確実なのはライプニッツはそれを読んだということです。そしてその内容に関して,手紙のやり取りをスピノザとしました。それが分かるのが書簡七十です。この中でシュラーGeorg Hermann Schullerは,ライプニッツは『神学・政治論』を高く評価していて,その主題についてスピノザに手紙を送ったことがあるそうだが,それを記憶しているかという意味の問いをスピノザにしています。
僕がここで注目したいのは,シュラーは,ライプニッツがスピノザに手紙を送ったということについて,断定的にでなく,伝聞として記述しているという点です。これは直接的にはチルンハウスEhrenfried Walther von Tschirnhausからの伝聞であり,間接的にはライプニッツからの伝聞であるといえるでしょう。チルンハウスと出会ったライプニッツは,チルンハウスがスピノザと親しい間柄であるということを知り,自身もスピノザと接触したかったために,本心かどうかは別に『神学・政治論』を高評価しているとチルンハウスに伝え,同時にそれについて文通したことも伝えました。チルンハウスはライプニッツには『エチカ』の草稿を読ませたかったので,よい返事を得るためにこのエピソードをシュラーに伝えて,スピノザに取り次いでもらったということだと思われます。
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