キヨフジ記念の昨晩の第71回エンプレス杯。

予想通りのアンデスビエントの逃げ。2番手にローリエフレイバーで3番手にオーサムリザルト。2馬身差でアンモシエラ。3馬身差でネバーモアとテンカジョウ。2馬身差でサンオークレアとアンティキティラ。2馬身差でソフィアクラウン。3馬身差でメランポジューム。3馬身差の最後尾にサンオルソーライズで発馬後の向正面を通過。アンデスビエントはそのまま飛ばしていき1周目の正面に入るところではリードが6馬身。アンモシエラ,ローリエフレイバー,オーサムリザルトが並んでの2番手となり,1コーナーにかけてアンデスビエントとの差が縮まっていきました。ハイペース。
向正面でアンモシエラが単独の2番手となり,アンデスビエントに並んでいき,2番手にオーサムリザルトとローリエフレイバー。外からテンカジョウの追い上げ。アンモシエラがアンデスビエントの前に出るとアンデスビエントは一杯となり後退。ローリエフレイバーも後退したので外のテンカジョウが2番手に上がり,内を回らざるを得なくなったオーサムリザルトは3番手に。ネバーモアも捲り上げてきました。直線は内を回ったオーサムリザルトが前をいくアンモシエラとテンカジョウの外に。ネバーモアは追いつけずに3頭の争い。そこからアンモシエラは脱落。テンカジョウとオーサムリザルトはフィニッシュまで競り合いましたが,先に前に出ていた内のテンカジョウが粘って優勝。オーサムリザルトがアタマ差で2着。アンモシエラが4馬身差で3着。
優勝したテンカジョウは兵庫女王盃から連勝で重賞3勝目。このレースはクイーン賞の上位3頭に牡馬相手の3勝クラスを5馬身差で勝ってきたネバーモアが食い込めるかというレース。ここまで8連勝中だったオーサムリザルトがレース中にややスムーズさを欠いたところはありましたが,それを負かし,アンモシエラには大きな差をつけましたので,力関係がクイーン賞の当時とは変じているとみてもいいのではないかと思います。いずれにしてもこれで9戦して6勝,3着が3回ですから,牝馬戦で大きく崩れることはこれからも考えにくいと思います。従姉の仔に2023年のゴールドジュニアを勝っている現役のクルマトラサン。
騎乗した松山弘平騎手と管理している岡田稲男調教師はエンプレス杯初勝利。
第一部定理一六は,自然のうちにあらゆるものの原因causaが神Deusであるということを意味しなければなりません。しかるに原因は結果effectusに対して先立っているのでなければならないのですから,神は自然のうちにあらゆるものに対して先立っていることになります。しかしここで重要だと河井が指摘しているのは,この意味で原因が結果に対して先立つといわれるとき,それは時間性を意味するというわけではないということです。僕はこの関係を,本性naturaの上で先立つといういい方で示してきましたが,本性の上で先立つというのは,時間的な意味で先立つという意味ではないということを含意していますから,時間的な意味で先立つという意味ではないという点においては,僕の解釈は河井の解釈と一致しているといえます。
僕が本性の上で先立つといっていることを,河井は存在論的に先立つといういい方で示していますので,この部分の考察では僕も河合に倣って存在論的に先立つといういい方をします。持続するdurare個物res singularisに対して永遠aeternumである神が存在論的に先行し,かつ個物と神の間には因果性があるのですから,一切のものの原因としての神の活動的な本性が先行しています。なのでそこにある神と個物の間の因果律は,存在論的な意味における原因と結果との関係にほかならないというのがその部分で河井がいっていることの主旨です。よってこれは,前提と帰結の関係だから,時間上の前後関係とは同一視することができないのです。たとえばカントImmanuel Kantの因果律は,時間上の前後関係と同一視できるような関係になっているのですが,スピノザが示す因果律は,必ずしも時間上の前後関係を意味するわけではないので,それと同一視しないように注意しなければならないのです。
このことは,永遠性aeternitasが,僕たちが表象するimaginariような時間性とは切り離されているということと大いに関係しています。もしも永遠性を時間性の観点から解釈し,永遠性とは没時間性のことであると解すれば,スピノザが示しているような因果律を,例示したようなカントの因果律と混同して解釈してしまうことになるでしょう。持続duratioを永遠から捨象して解した場合に,僕たちは時間tempusを表象することになるのです。

予想通りのアンデスビエントの逃げ。2番手にローリエフレイバーで3番手にオーサムリザルト。2馬身差でアンモシエラ。3馬身差でネバーモアとテンカジョウ。2馬身差でサンオークレアとアンティキティラ。2馬身差でソフィアクラウン。3馬身差でメランポジューム。3馬身差の最後尾にサンオルソーライズで発馬後の向正面を通過。アンデスビエントはそのまま飛ばしていき1周目の正面に入るところではリードが6馬身。アンモシエラ,ローリエフレイバー,オーサムリザルトが並んでの2番手となり,1コーナーにかけてアンデスビエントとの差が縮まっていきました。ハイペース。
向正面でアンモシエラが単独の2番手となり,アンデスビエントに並んでいき,2番手にオーサムリザルトとローリエフレイバー。外からテンカジョウの追い上げ。アンモシエラがアンデスビエントの前に出るとアンデスビエントは一杯となり後退。ローリエフレイバーも後退したので外のテンカジョウが2番手に上がり,内を回らざるを得なくなったオーサムリザルトは3番手に。ネバーモアも捲り上げてきました。直線は内を回ったオーサムリザルトが前をいくアンモシエラとテンカジョウの外に。ネバーモアは追いつけずに3頭の争い。そこからアンモシエラは脱落。テンカジョウとオーサムリザルトはフィニッシュまで競り合いましたが,先に前に出ていた内のテンカジョウが粘って優勝。オーサムリザルトがアタマ差で2着。アンモシエラが4馬身差で3着。
優勝したテンカジョウは兵庫女王盃から連勝で重賞3勝目。このレースはクイーン賞の上位3頭に牡馬相手の3勝クラスを5馬身差で勝ってきたネバーモアが食い込めるかというレース。ここまで8連勝中だったオーサムリザルトがレース中にややスムーズさを欠いたところはありましたが,それを負かし,アンモシエラには大きな差をつけましたので,力関係がクイーン賞の当時とは変じているとみてもいいのではないかと思います。いずれにしてもこれで9戦して6勝,3着が3回ですから,牝馬戦で大きく崩れることはこれからも考えにくいと思います。従姉の仔に2023年のゴールドジュニアを勝っている現役のクルマトラサン。
騎乗した松山弘平騎手と管理している岡田稲男調教師はエンプレス杯初勝利。
第一部定理一六は,自然のうちにあらゆるものの原因causaが神Deusであるということを意味しなければなりません。しかるに原因は結果effectusに対して先立っているのでなければならないのですから,神は自然のうちにあらゆるものに対して先立っていることになります。しかしここで重要だと河井が指摘しているのは,この意味で原因が結果に対して先立つといわれるとき,それは時間性を意味するというわけではないということです。僕はこの関係を,本性naturaの上で先立つといういい方で示してきましたが,本性の上で先立つというのは,時間的な意味で先立つという意味ではないということを含意していますから,時間的な意味で先立つという意味ではないという点においては,僕の解釈は河井の解釈と一致しているといえます。
僕が本性の上で先立つといっていることを,河井は存在論的に先立つといういい方で示していますので,この部分の考察では僕も河合に倣って存在論的に先立つといういい方をします。持続するdurare個物res singularisに対して永遠aeternumである神が存在論的に先行し,かつ個物と神の間には因果性があるのですから,一切のものの原因としての神の活動的な本性が先行しています。なのでそこにある神と個物の間の因果律は,存在論的な意味における原因と結果との関係にほかならないというのがその部分で河井がいっていることの主旨です。よってこれは,前提と帰結の関係だから,時間上の前後関係とは同一視することができないのです。たとえばカントImmanuel Kantの因果律は,時間上の前後関係と同一視できるような関係になっているのですが,スピノザが示す因果律は,必ずしも時間上の前後関係を意味するわけではないので,それと同一視しないように注意しなければならないのです。
このことは,永遠性aeternitasが,僕たちが表象するimaginariような時間性とは切り離されているということと大いに関係しています。もしも永遠性を時間性の観点から解釈し,永遠性とは没時間性のことであると解すれば,スピノザが示しているような因果律を,例示したようなカントの因果律と混同して解釈してしまうことになるでしょう。持続duratioを永遠から捨象して解した場合に,僕たちは時間tempusを表象することになるのです。
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