スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

女流王位戦&根拠

2007-10-12 19:02:38 | 将棋
 挑戦者の先勝を受けて指された今日の女流王位戦五番勝負第二局
 石橋幸緒女流四段の先手で▲7六歩△8四歩▲5六歩△8五歩▲7七角という出だしから,先手が矢倉模様に組もうとしましたが,後手の清水市代女流王位は右銀を繰り出し急戦策。この銀が5六まで出たところで35手目に▲5五歩。△同角なら▲2一飛成,△同飛なら▲4六角と出る狙いでしょう。
 後手は△8八歩▲同銀の交換を入れてから△5五角。今度は▲2一飛成なら△6七銀成があります。先手は▲5三歩△同飛としてから▲2一飛成を決行。後手は当然△6七銀成。駒損ですがこの攻め合いは後手に分があるように思えます。(実際にはここは先手が有望だそうです。ただ次の▲2四角に代わる手が僕には思い浮かばないです。たとえば▲同銀△8八角成▲2四角ですが,これは先手が容易でないように僕には思えます。一回▲5六歩のように受けるのかもしれません。ものぐささんによると▲7七桂もあるみたいです)。
 先手は▲3二龍を狙いに▲2四角(この手が悪く,ここで逆転したそうです)と出ました。ただ,すぐには△同玉で詰みませんので,この局面はあまり駒を渡さずに詰めろが続けば後手の勝ち。そこで△8八角成も目に付きますが,▲同金△5八銀▲7九玉△4九銀成に▲5四歩~▲4五角や▲2七角とする手があり,これを嫌ったか△2三歩。後手としても危ない橋を渡る必要はない局面で,これは落ち着いた好手だったといえそうです。
 ▲1五角は詰みですし,左に引いては後手玉に迫れないので問題外。そこで先手は▲6七金と取り,△8八角成に▲4五桂と打ちました。△5四飛に▲5五歩が▲3二龍以下の詰めろになっていますが,△7八銀▲5九玉に△5五飛が王手。ここから▲5六金~▲5七銀というのは凄い頑張りですが,△2四歩で後手玉は万全となり万事休す。この後,63手目の▲3八飛も凄い手ですがこれには△5九歩成がありました。▲同玉は△3八角成なので▲3九玉でしたがこれは詰み。ということで後手の勝ちとなっています。
 清水王位が1勝を返してタイに。勝った方が女流王位に王手をかける第三局は17日に指されることになっています。

 競輪は明日から防府記念になります。ここは天敵といえる北日本の有力選手が少なく,武田選手に期待できそうです。

 観念の定義である第二部定義三には,観念の本性と発生の両方が含まれているのではないかと僕が考える根拠は,この定義の命題の書かれ方そのものの中にあります。というのは,この定義は,それがどのようなことを意味していると僕が理解しているかはまた後に説明しますが,単に,観念とは精神が形成する精神の概念であるというだけで十分ではなかったかと思うのです。
 もしも事物の定義というものが,定義される事物の本性をあますところなく表現するだけでよいのであれば,それに関する何らかの説明を付加するかどうかということを別とすれば,僕は上述の定義で問題なかったと考えています。そこで,もしもこうした前提に立てば,それで十分であるといえるような観念の定義に,スピノザはわざわざ精神が思惟の様態であるということを付け加えたということになり,事実,僕はこの定義について,そのような理解をしています。
 そこで,なぜスピノザがあえてそのことをこの定義に付加させたのかということを考えてみると,どうも僕には,スピノザはそうすることによって,この定義が単に観念の本性だけを示すだけでなく,同時に観念の発生をこの定義のうちに含ませようとしたからではないかと思うのです。実際,精神が思惟の様態であるということ自体についていうならば,これはきわめて当然のことをいっているだけであるといえると思いますので,それが観念の本性に属するような事柄であるとはどうも僕には思えないのです。

 また少しパソコンの調子が悪くなっています。

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