スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

農林水産大臣賞典佐賀記念&ふたつの類比

2021-02-11 18:51:49 | 地方競馬
 第48回佐賀記念
 ウインユニファイドかアシャカトブが逃げるのではないかと予想していたのですが,クリンチャーがハナを奪いました。メイプルブラザー,アシャカトブ,ウインユニファイド,ロードゴラッソの順で,ここまでは差がなく発走後の向正面を通過。3馬身差でキングプライド,グレイトパール,ハナズレジェンドの順でこの3頭が一団。4馬身差でスウィフトハート,メイショウオオゼキの順で2頭が集団。2馬身差でゴールドフラッグ。最後尾にイケノアサ。前の5頭のうちロードゴラッソは少し下げて前4頭とは3馬身差の5番手で1周目の正面に入り,逃げたクリンチャーがここから2番手に3馬身くらいのリードをとっていきました。スローペース。
 向正面の入口ではクリンチャー,メイプルブラザー,ウインユニファイド,アシャカトブという順になり,ロードゴラッソ,ハナズレジェンドが追い上げてきて,ここまでが圏内。3コーナーでメイプルブラザーは一杯。アシャカトブが単独の2番手になり,外からロードゴラッソが追い上げてきて3番手,そしてそれをマークするように上昇してきたハナズレジェンドが4番手に。直線ではクリンチャーが後ろを一方的に引き離していき,楽に逃げ切ってレコードタイムでの優勝。9馬身差の2着争いは3頭の接戦になりましたが,先に2番手に上がって粘り切った最内のアシャカトブ。外のハナズレジェンドがクビ差の3着で中のロードゴラッソがアタマ差で4着。
 優勝したクリンチャーは前々走のみやこステークス以来の勝利で重賞3勝目。デビュー後は芝を走り,クラシック路線も戦って,4歳のときには京都記念を勝ちました。その年の秋から不振に陥り,昨年の2月にダートに初出走。オープンで好走を続け,前々走では重賞制覇。ここでは能力的にトップなので,優勝の最有力候補とは思っていましたが,予想以上の大楽勝でした。逃げたのがよかったということなのでしょうが,もう少し上のレベルでも戦える力があるのかもしれません。父はディープスカイ。母のひとつ下の半妹に2001年に兵庫ジュニアグランプリを勝ったミスイロンデル。Clincherは決定打。
                                        
 騎乗した川田将雅騎手は第39回,44回に続く4年ぶりの佐賀記念3勝目。管理している宮本博調教師は佐賀記念初勝利。

 神Deusに対してなぜ存在するのかということを問うた場合,それを起成原因causa efficiensによって答えることはできないとデカルトRené Descartesはいいます。デカルトは神は起成原因をもたないと解しているのですから,これは当然でしょう。ではこの問いにどう答えるべきなのかといえば,神の本性essentiaそのものによって答えるべきだとデカルトはいいます。デカルトは神の本性の広大無辺性が,神が存在するために起成原因を有さない理由であるといっていました。つまりここでは本性の広大無辺性と本性そのものを等置していることになります。この等置の正当性については追求しませんが,デカルト自身はそれが可能だと考えていたわけですから,この解答もデカルトにとっては当然のものであったということはできるでしょう。デカルトはこのような原因について,第四答弁のこの部分では,形相的原因csusa formalisといういい方をしています。
 しかしデカルトはここでもある類比関係について言及します。神の本性と神の存在existentiaは区別することができないという理由によって,前述の形相的原因は起成原因と大きな類比を有しているとデカルトはいうのです。いい換えれば形相的原因というのは,本来的な意味では起成原因ではないけれど,類比の上では起成原因のようなものなのです。また,デカルトはここではこのことを明言しているわけではありませんが,このいい方というのは,神は自己原因causa suiではないけれども,類比的な意味では自己原因のようなものであるといっているのと同じであると僕は解します。そしてデカルトがこの部分で明言しているわけではないことも含めたこれらふたつの事柄は,自己由来性についてはそれを積極的に解するべきだと考えていたデカルトにとっては,必然的な帰結であったと思います。逆にいえば,神は類比的な意味では自己原因のようなものであるということ,そして類比的な意味でいえば自己原因は起成原因のようなものであるということを認めることが,自己由来性を積極的なものと解するための最低限の条件であったともいえると思います。
 類比的な関係というのは,ここでは本来的な意味との対比で用いられています。デカルトがいいたかったのはそちらの方でしょう。
コメント
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