スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

共同通信社杯&セリヌンティウスの友人

2016-09-20 18:57:56 | 競輪
 被災地支援競輪として富山競輪場で実施された昨日の第32回共同通信社杯の決勝。並びは新田‐守沢の北日本,平原‐神山‐佐藤の関東,竹内‐浅井‐西村の中部で園田は単騎。
 守沢がスタートを決めて新田が前受け。3番手に平原,6番手に竹内,最後尾に園田で周回。残り3周のバックから竹内が上昇。平原も合わせて動き,浅井の後ろを狙う動きに出ました。あっさりと平原が奪い,西村は浮いて後退したので,先頭に竹内,3番手に平原,佐藤の後ろに園田,7番手に新田,最後尾に西村という一列棒状で打鐘前のバックを通過。このまま残り1周のバックまで進みました。やや車間を開けていた平原がここから発進。浅井が牽制すると平原が落車。乗り上げた佐藤も落車。うまく避けた神山はインを進みコーナーで浅井から竹内の番手を奪取。しかし直線で詰め寄ることはできず,逃げ切った竹内の優勝。1車身半差の2着に神山。落車のときに離れながらも神山を追った園田が半車身差で3着。
 優勝した岐阜の竹内雄作選手は2013年の優秀新人選手賞を受賞していますが,グレードレースはこれが初勝利。このレースは平原や新田が先行するとは考えにくく,先行1車のようなメンバー構成。なので浅井のガードの仕方次第では優勝という可能性もあるのではないかとみていました。そのガードがアクシデントという形になってしまいましたので複雑なところはありますが,わりと早い段階で前に出て,スピードをさほど緩めることなく走行して逃げ切ったのですから評価する必要があると思います。記念競輪であればいつ勝ってもおかしくない力がある選手でしょう。

 メロスは妹の結婚式の準備のためにセリヌンティウスが住む市に行き,そこで市を支配しているディオニスが暴君であることを初めて知ります。メロスがそれを知るのは市に住む老人に教えられたからです。メロスはこの老人の前に,若者にもこの地で何が起きているか尋ねていますが,その若者は口を噤んで教えません。老人の方も本当は言いたくないという気持ちをもっていることがテクストから分かります。なのでディオニスが暴君であり,その暴君を恐れているということはほぼ市民に共通の心情であったといえます。そしてセリヌンティウスもその市民のひとりなので,当然その思いを共有していたことでしょう。
                                     
 ある人を恐れるという思いとその人を憎むという思いは同時に生じると僕は考えます。なぜなら,ある人に対する恐怖metusを僕はその人を原因とした不安とみなしますが,これは第三部諸感情の定義一三により悲しみtristitiaの一種です。そしてこの場合はこの悲しみを齎す原因として特定の人間が意識されているのですから,第三部諸感情の定義七によりこれはその人に対する憎しみodiumであるからです。つまりセリヌンティウスをはじめこの暴君の支配する市の民衆は,ディオニスを憎むという点でも共通の感情affectusを有していたと僕は考えます。
 メロスもその憎しみを共有しました。ですがセリヌンティウスはメロスがしたようにディオニスを暗殺しようとは企てなかったと推定できますし,仮に精神のうちにはそういう心情があったとしても,それを実行には移しませんでした。こういうタイプの人間は別に友人としておいて厄介ではありません。少なくともメロスがそうと推測されるように,身近な人間の小さな不正を糾弾するようなことはしないであろうからです。
 メロスは城に帰還する直前に,フィロストラトスと一緒に走ります。これは石工であるセリヌンティウスの弟子です。弟子ですから友人というのとは違うでしょうが,単に師匠としてセリヌンティウスの技術を慕っているというより,人間としてセリヌンティウスに好意を抱いているのは間違いありません。このプロットからも,セリヌンティウスにはそれなりの数の友人がいたと思われます。
コメント
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