スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

求道&真偽不明

2015-02-06 19:12:53 | 歌・小説
 1901年4月17日のエッジヒル夫人とのやり取りに関する日記について,『漱石の道程』では,他人から強制されて良心の問題を決定されることを嫌う漱石が,夫人が自分のために祈ることを許可し,福音書を読むと約束したのだから,この時点で漱石の聖書への姿勢は,研究的なものから求道的なものになっていたという意味のことが書かれています。僕は高木文雄のこの見解はまったく受け入れられません。
                         
 2月16日の時点で,夫人からお茶の招待を受けたとき,漱石は行きたくはありませんでした。それは行けばきっとキリスト教の説教をされるからであったと推測できます。2ヶ月の間に漱石の心境に変化が生じた可能性は否定できませんが,僕はそれは薄いと考えます。もし変化があれば,少なくともヒントとなり得る記述があると思うのですが,この間の日記にはそれがないからです。なので4月17日も,本心では漱石は夫人に会いたくなかったと僕は考えます。
 17日に説教を受けて気が変わったとも僕には思えません。まずこの日記では,説教をされて仕方がないから自分が思うところを述べたとあります。おそらくこういう議論をしなければならなくなるということが,漱石が夫人と会いたくなかった大きな理由だったと思うのです。ところがこの日は実際にそういう議論をしたのですから,キリスト教の道を求めようという思いは漱石にはなかったと理解するのが妥当ではないでしょうか。
 漱石が約束をしたのは,日記に書かれている通り,単に夫人を気の毒だと感じたからだと思います。ご丁寧に祈りに関する部分と,福音書を読む部分のどちらにも,気の毒という語句を使用しているのがその証拠のように僕は思います。相手が自分のために祈ることは,漱石の良心には何の関係もありません。また,勧められて福音書を読むことくらいは,漱石にとって良心を咎めるような事柄ではなかっただろうと僕は思います。
 この後のことは何も書かれていませんが,漱石は実際に福音書を読んだでしょう。ですがキリスト教の道を求めたことは,漱石の生涯においてただの一度もなかったと僕は考えます。

 真理があらゆるモナドのうちに成立し,非真理を成立させる可能世界をライプニッツは認めないということは明らかになりました。残るは真偽不明の事柄がモナドすなわち可能世界とどういった関係を有するかという点です。
 本来,こうしたことを考えるためには,真偽不明ということが具体的にどういう意味であるかが問われなければなりません。いい換えれば,ライプニッツがある事柄に関して,それは真偽不明であるというとき,だれにとって真偽不明であるかが明らかになっていなければなりません。単にライプニッツにとって真偽不明であるのか,あるいは一般に人間の知性が真偽を判別できないということなのか,それとも神にとっても真偽不明であるといえるのかというような相違が考えられ,各々の場合によってどのように解するべきであるかが変じてくる筈だからです。ただし,ここからしばらくの間の考察に限って,そうしたことが問題とはならないように僕は組み立てていきます。別の考察課題でこれを問う必要が生じる可能性は残りますが,もしそうなったらそのときに考えるということにして,今はそのまま進めていきます。
 スピノザとライプニッツが会ったとか,ライプニッツがスピノザを訪問したというような種類の命題は,非真理ではないけれども主語が述語を正確には含んでいないとライプニッツは解します。ライプニッツがどのような命題に関して,主語が述語を十全に含むと解するのかという観点から類推する限り,ライプニッツがこの命題をそう解するのは当然であろうと僕は考えます。というよりも,この種の命題に関していうならば,その述語を十全に含むような主語は存在しないというようにライプニッツは判断するのではないかと僕には思えます。そして真偽不明な事柄というのを,このような形式で言明され得るすべての命題の表現内容であると規定しておきましょう。いい換えれば真偽不明というのを,認識に関連する事柄ではなしに,文章命題とその表現内容だけに関連させて規定しておくということです。便宜的であり,かつ恣意的でもありますが,これでとりあえず難題からは逃れられる筈です。
コメント
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