スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

秋華賞&愛するということ

2014-10-19 18:51:10 | 中央競馬
 3歳牝馬三冠の最終戦,第19回秋華賞。レース直前にパシフィックギャルが右肩の跛行で競走除外になり,17頭。
 ペイシャフェリスの逃げ。途中から2番手以降を引き離す形に。その2番手は3頭の集団で,内からバウンスシャッセ,リラヴァティ,ハピネスダンサー。さらにレーヴデトワールとマーブルカテドラル。そしてブランネージュとマイネグレヴィル。ここから5馬身ほど離れてショウナンパンドラ。あとは1馬身ずつの間隔でタガノエトワール,ヌーヴォレコルトと追走。前半の1000mが58秒0で,ハイペースでしょうがミドルペースに近いくらいです。
 馬群がばらけていたこともあり,直線入口ではまだペイシャフェリスが先頭。すぐにリラヴァティが先頭に立ちましたが,内を追い上げていたショウナンパンドラが,ペイシャフェリスとリラヴァティの間を割って一気に抜け出しました。追ってきたのは横並びの外を追い上げてきたタガノエトワールで,その外からヌーヴォレコルト。ヌーヴォレコルトがタガノエトワールを交わしてショウナンパンドラを追い詰めたものの届かず,いち早く抜け出していたショウナンパンドラの優勝。ヌーヴォレコルトがクビ差で2着。力尽きたタガノエトワールは1馬身4分の1差の3着。
 優勝したショウナンパンドラはここまで8戦して2勝2着4回。あとの2戦も5着で,勝ち馬からは3馬身ほどの差と,きわめて安定して走っていた馬。実績は下位でしたが,上位人気に推されていたように,素質は買われていました。それが花開いたとみることもできますが,今日はコース取りの差という面もあり,トップクラスに入ったとはいえるでしょうが,トップに立ったとまではいえないかと思います。父はディープインパクト。4代母がロイヤルサッシュステイゴールドの姪になります。
 騎乗した浜中俊騎手は春のNHKマイルカップ以来の大レース制覇で秋華賞は初勝利。管理している高野友和調教師は開業約4年半で重賞初勝利を大レースで達成しました。

 第三部定理二一は,僕たちが愛するということ,とりわけ人を愛するということが,具体的にどのようなことを意味するのかということを教えてくれる定理だといえます。すなわち,ある人の喜びが自分自身の喜びでもあるとき,また,その同じある人の悲しみが自分自身の悲しみでもあるとき,人はその人のことを愛しているのです。
 愛していると言うこと自体は容易いことです。しかしもしも上に示したような条件が揃っていなかったならば,それはただそのように言っているというだけのことであり,本当にその人のことを愛しているということにはなりません。また逆に,愛を自覚などしていなくても,上に示した条件が整っているのなら,その人はその相手のことを愛しているということになるのです。第三部諸感情の定義六というのは,愛という感情の定義として,まことによくできたものであると僕は考えています。しかしある外部の物体の観念を認識することが,自分自身の喜びになるという説明は,少なくとも人が人を愛するということの説明としては,やや具体性を欠いているというきらいがあることも否定はできません。第三部定理二一は,そこで欠いていると思われるような具体性を,よく示しているといえるでしょう。
 第三部定理九により,人は喜びを希求します。ある人の喜びが当人の喜びでもあるなら,人は必然的にその人を喜ばせようとします。逆にある人の悲しみが当人の悲しみなら,その人を悲しませないように努めるでしょう。こうしたことが,具体的な愛の証となるのです。
 定理として示されている事柄ですから,論証すべき事柄ですし,実際に論証することも可能です。しかし,糖尿病共生記の一貫として記述している現在の状況からは,訴訟を起こすことは不要でしょう。他人の喜びが自分の喜びでもあるということ,また他人の悲しみが自分の悲しみでもあるということ,そしてその他人の喜びが大きいほど自分の喜びも大きくなり,他人の悲しみが大きいほどに自分の悲しみも深くなるという感情の模倣は,すべての人が経験的に知っていることだと思うからです。愛を意識しているかどうかは別としても。
コメント
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