スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

周防国府杯争奪戦&第二の指針

2014-10-28 19:10:05 | 競輪
 単発のエボリューションも併せて行われた防府記念の決勝。並びは浅井-金子の中部,脇本-村上の近畿に福田,中川-岩津-桑原の西国で野田は単騎。
 スタートは金子が取って浅井の前受け。一時的に中川が3番手でしたが,単騎の野田が上昇すると入れて,野田が3番手,中川が4番手,脇本が7番手という周回に。残り3周のバックで中川がまず動き,浅井を叩いて先頭に。これを脇本が追い上げ,ホームで中川を叩いて一列棒状となり,このまま打鐘。ホームから7番手になった浅井が発進すると,併せて中川も発進。浅井は岩津の牽制で失速。早くから車間を開けていた村上が中川に併せて発進。福田も続いたのでインが開き,中川マークの岩津が脇本と福田の間を縫うようにして直線入口で先頭に出るとそのまま優勝。桑原を弾くように岩津を追う形になった野田が4分の3車身差で2着。一番外を捲った中川が1車身差で3着。
 優勝した岡山の岩津裕介選手は6月の川崎記念以来の記念競輪6勝目。防府記念は初優勝。中川マークでしたので,捲りを差すという形は難しいかと考えていましたが,うまく開いたコースを突き,優勝するならこれしかないというくらいのレースになりました。記念6勝のうち3勝が今年に入ってからのもので,着実に力をつけているとみてよいでしょう。中国地区はあまり位置に恵まれないケースがありますが,今日のような混戦レースとなれば,ビッグまで手が届いておかしくないように思えます。

 悲しみの再生産のダイナミズムは,スピノザによる第二の指針の前提となります。悲しみを再生産するシステムを理性的に認識すると,その認識によって,再生産から逃れるためにはどのように行動すればよいのかということが理解できるからです。すなわちそれは,自分が悲しみを知覚すること,またかつての悲しみを想起することを,可能な限り避けるように行動することです。つまり理性が教えることにより,悲しみとの出会いを減らすことが人間には可能です。同じ理由により,喜びとの出会いを増やすということも可能だといえるでしょう。
 ただし,この第二の指針もある難点を抱えています。最初の指針の難点は,悲しみを完全に除去するには至らないというものでした。第二の指針の難点はそれとは違っていて,現実的でない側面があることです。いい換えれば,現実的に存在する人間は,必ずしもこの指針の通りに生きていくことはできないということです。
 具体的に説明していきましょう。基本感情のうち,喜びと欲望は人間の能動であり得ます。よってそれはその人間の本性によってのみ説明できる場合があり得ます。他面からいえば,人間は自身の喜びおよび欲望に対しては,十全な原因であり得るのです。ところが,悲しみは必然的に受動なので,人間の悲しみはその人間の本性のみでは説明することができません。つまり人間は自分の悲しみに対しては,必然的に部分的原因なのです。
 これらのことは,以下のようにいい換えることができます。人間は外部の物体と関係することなしに,喜びや欲望を感じることができます。しかし悲しみは,何らかの外部の物体との関係があることによって生じてくるのです。悲しみに対して人間が部分的原因であるというのは,悲しみを感じる人間以外に別の原因があるという意味ですが,その原因こそ,悲しみを感じる人間と関係する外部の物体なのです。
 したがって,第二の指針を,悲しみに関してのみ具体的に示すならば,自身に悲しみをもたらすような外部の物体との接触を避ける,またそうした物体との関係を断絶するということです。でもここには非現実性があると僕は思います。
コメント
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