スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

王位戦&命題文との関係

2007-09-11 22:26:34 | 将棋
 王位戦七番勝負第六局
 52手目の羽生善治王位の封じ手は△3七桂成。桂馬を取らせて2筋から逆襲していく狙いと思っていたので,僕にはやや意外な手でした。ここから飛車交換に進展し,後手が飛車と角,先手が飛車を敵陣に打ち込みましたが,先手の4七の金がヒモなしで浮いている分,桂損でも後手が指せる分かれだったかもしれません。
 この後,78手目に△7九金と打ったあたりで羽生王位は優勢を自覚されたようです。この間,先手の深浦康市八段は受け主体の手が多く,駒得もあまり生きませんでした。83手目に▲6一龍としたところで,もう一歩あれば▲2八歩なり▲3八歩と受ける手がありそうですが,一歩しかなければここで使ってしまうと△8六香の王手が厳しくなってしまうようです。
 この後,先手が受けなしとなり,最後の攻撃に出ましたが,後手玉は詰まないので投了。羽生善治王位がカド番からの連勝で3勝3敗の五分に戻しました。終盤は差がついている将棋で,深浦八段にしては不出来だったように思います。
 不思議に思うのは1日目,40手目の△2五桂を▲同飛とすればその時点で桂得であったのに,そうせずに歩でこの桂馬を取りにいった手順。封じ手の時点で先手が指せなかったとは思いませんが,少しばかりちぐはぐな感じもします。
 第七局は25日と26日。少し間が開きますが,この間にこのふたりは日本シリーズでも対戦することになっています。

 ここまでの考察により,Xという有限な事物があって,このXがYによって限定される場合に,この限定がXはYではないという命題文とどういった関係にあるのかということを,一般的に示すことができます。
 XはYではないという命題が真の命題である場合,これはYによるXの否定であるということはできますが,これだけでYによるXの限定であるということはできません。これがYによるXの限定であるかどうかを調べるためには,この命題の主語Xと述語Yを入れ替えた,YはXではないという命題を作り,この命題の真偽についても検証する必要があります。
 もしもYはXではないという命題が偽の命題である場合,これは主語と述語の間に等価性がない場合ですので,これはYによるXの限定であるどころか,むしろXによるYの限定であるということになります。なお,ここでいうXとYは共に任意ですので,XはYではないが偽の命題で,YはXではないが真の命題である場合も,結論は同様で,ただこれはYによるXの限定になるというだけのことです。
 一方,YはXではないという命題が真の命題である場合には,これはYによるXの限定であるといえます。ただしこの場合には,数学の右辺と左辺の間に等価性があるというのと同じ意味で,主語と述語の間に等価性があるということになりますので,これがYによるXの限定であるというなら同時に,XによるYの限定でもあるということになります。原則的にはXはX以外のすべてのものに限定されるということが,事物の本性との関係から明らかになっていて,この結論はそれに合致していると思います。
 なお,一応XはYではないという命題とYはXではないという命題が共に偽の命題である場合についても示しておけば,これはXはYであるという命題とYはXであるという命題が共に真の命題であるという意味になりますので,限定するか限定されるかという関係にあるのではなく,XとYは同一であるということになります。

 今日は一人相撲をとってしまい,パソコンとは関係のないところで苦労してしまいました。
コメント
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