スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

女流名人戦&四つの意味

2007-03-14 22:25:13 | 将棋
 女流名人戦五番勝負第四局。矢内理絵子女流名人が先手で▲7六歩△3四歩に▲6六歩。対して中井広恵女流六段は△6四歩としました。この△6四歩というのは,相手が振飛車党の場合には,一直線に右四間飛車からの速攻を狙う含みからあると思うのですが,居飛車党相手には,この段階では珍しいのではないかと思います。この将棋はここから後手が玉の囲いを放棄して,腰掛け銀から一直線に攻めて出ました。これに対して先手も単に受けに回るのではなく17手目に▲6六同角と応じたために,互いに居玉のまま攻め合うという大変に激しい内容の将棋に進展しました。まったく戦い方は異なりますが,棋王戦の第一局が似た将棋でしたが,あの将棋はそれでも途中から居玉は避けました。この将棋はそれすらありませんでしたので,ある意味ではそれ以上に激しい将棋だったわけですが,こういう将棋になると大概はどこかで一手でも緩んでしまった方が形勢を損ねるとしたもので,この将棋の場合は38手目の△4四龍がおそらくその手にあたると思われ,これ以降は先手が的確に攻めて一方的といっていいような内容で快勝しています。これで2勝2敗。そもそもこの棋戦が来年度からはどうなってしまうのかということすら心配せざるを得ないような状況ですが,さしあたって名人位が決定する第五局は26日に指されます。

 これで,第二部定理四〇が正しいということは十分に明らかになったといえるのではないかと思います。そこでこの定理に僕が含まれている意味として考えている事柄に注意するなら,これによって,十全な観念からは十全な観念が生じるということは明らかになったわけです。ところで,観念というのはその内的な特徴から考察される限り,十全な観念といわれるか,そうでなければ混乱した観念といわれるかのどちらかなのですから,十全な観念からは十全な観念だけが生じるということは,もしも精神のうちに混乱した観念がある場合には,それは混乱した観念から生じているということも明らかになったといえるでしょう。したがって,僕が定理四〇にスピノザが含めたと考えている四つの意味のうち,十全な観念からは十全な観念が,ということと,混乱した観念は混乱した観念から,ということのふたつはすでに問題がないといっていいのではないかと思います。ですから残る問題は,十全な観念は十全な観念から発生し,混乱した観念からは混乱した観念だけが発生するのかどうか,いい換えれば,混乱した観念から十全な観念が発生するということが本当にないのかどうかということになります。
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