スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ニーチェとスピノザ・対立&矛盾

2006-07-26 22:33:09 | 哲学
 ニーチェFriedrich Wilhelm Nietzscheの哲学に対するスピノザの影響というのは否定し難いものがあり,それゆえふたりの哲学にはいくつかの近似性がみられるわけですが,ニーチェのスピノザ哲学の評価というのは辛口の部分もかなりあって,決定的に対立していると思われる部分もいくつかあります。
               
 このうち,代表的であると僕が考えるのは次の2点です。
 まず,スピノザは『エチカ』の第五部定理三二系で,神への知的愛Amor Dei intelletualisというのを持ち出しますが,ニーチェはこの愛に対して,運命愛というのを強調します。この乖離は両者の因果論についての考え方に源があり,ニーチェは因果論というのを,スピノザ自身も否定した目的論の変種であるとみなしているのです。
 もう1点は,『エチカ』の第三部定理六でスピノザがconatus(コナトゥス,努力という訳が与えられています)という概念を人間の本性essentiaを示すものとして採用するとき,ニーチェはこれを反動的であるとみなし,力への意志という概念を対立させます。この対立の源泉をどこに求めるかは難しいのですが,僕は,スピノザがたとえばある人間の知性intellectusというものを,十全な観念idea adaequataと混乱した観念idea inadaequataの両者から成立しているものとみなす限りにおいては,意志voluntasが知性を超越することはないと考えているのに対して,ニーチェは,知性を超越し得る何らかの意志が存在すると考えているのではないかと理解しています。

 ある人間が,知性の秩序ordoに従って矛盾なく十全な観念を有する場合には,この観念の対象ideatumが形相的にformaliter実在すると考えていいわけです。
 では,矛盾がないとはどういう事態を意味するのでしょうか。この場合には,十全な観念は同時に真の観念idea veraであるということが理解の助けになるのです。ここから,十全な観念とその対象は本性の秩序が一致するということが導けるので,ある十全な観念を有するということを,その観念自身を形相的に考えた場合(観念の観念idea ideaeという観点からこの観念をみた場合)には,ある事物を十全に認識するということは,第一に,この観念の対象となっている事物の本性を理解するということであることが分かります。
 したがって,ある観念に矛盾があるというのは,形相的に考えれば,ある事物の本性に矛盾があるというのと同じことです。そして,もしもある事物の本性に矛盾が含まれれば,そうしたものは実在し得ないのは明らかですから,ある矛盾を含む観念(混乱した観念)というのは,非実在的な観念であって,無であると考えて構わないのです。
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