三郎兼続の日記

趣味の写真で山登り・旅行を主体にした日記
最近は山登りが少なく、城郭・巨木へ

埼玉の高坂城(高坂館)に行って来ました。

2022-12-04 22:25:16 | 城郭埼玉1
2022年12月2日(金)に高坂館跡(高済寺)に行って来ました、東武東上線高坂駅から歩いて10分程の場所ですね。

東松山市の高坂駅周辺は都幾川が流れ河岸段丘の高台に位置しますね、築城は14世紀の南北朝時代の高坂氏の館で戦国期は後北条に使えました、永禄5年(1562)松山城の合戦では北条氏政は高坂に陣をおいてます、現在の高済寺境内と周辺に残る土塁堀はこの時のものとか。

図上右方面が都幾川で段丘の崖に面した場所です、川横の高台の城郭・・・高坂氏の館プラス北条氏政の陣営改築による城跡。

高済寺・・・寺門の向こう側が土塁・堀。

土塁上・・・・説明版は加賀爪家3代の墓・・・徳川時代高坂周辺に3000石の領地を持ち、この場所が居館、加賀爪は有名な幡随院長兵衛(町奴)の話にでる、水野十郎佐衛門(旗本奴)と同じ旗本奴で後に領地取り上げになりましたね。

これが説明版。

加賀爪家累代の墓が建つ・・・・・北条時代は見晴らし台の場所でしょうかネ?。

土塁上から見た空堀。

同じく土塁上から見た都幾川方面と空堀・・・・見事な堀ですね。

土塁上から堀底脇に来ました、川側からの虎口?、に見えますね。

川側の道路から見た所、前の写真は黄色い看板の上あたりです、上に見えるのが加賀爪家の墓・・・高台です。

高済寺前の道路向こう・・・・今は公園ですが、城郭の一部との説明版・・・他にも古墳群も出土と在りますね。

此処も少し高台・・・見晴らし台?、昔は松山城方面が結構見えたか?。

今は公園ですね、左側は崖・・・河岸段丘のへり、奥の木々がある場所に空堀があります。

公園を二分するように空堀が・・・・説明が無いと公園で遊んでいる人は気が付かないでしょうね。

空堀・・・堀切ですね。

空堀を進むと此処は河岸段丘のへりでこちら側は土塁、横矢掛かり?風に見えますね。

正面に見える土塁上が公園です、当時は立派な防御の仕組みでしょうね、永禄5年(1562)の武田・後北条連合軍は5万数千で松山城を取り囲み松山城に籠城した上杉憲勝を開城させました、救援の上杉謙信は石戸城まで来てましたが間に合わず八つ当たりした話は有名ですね。

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