三郎兼続の日記

趣味の写真で山登り・旅行を主体にした日記
最近は山登りが少なく、城郭・巨木へ

逆井城跡に行って来ました(飯沼城跡)。

2020-02-25 18:00:59 | 城郭茨城
2020年2月24日(月)に茨木県坂東市の逆井城跡(飯沼城跡)に行って来ました、交通の便が悪く以前より行きたいと思っていましたが、息子のスケジュールと会い急遽行けることに、車では比較的楽に行けましたね。

大手門から城外を時計回りにまず見て回ります、大手口の土塁の上に二層櫓が・・・中世のお城の雰囲気が伝わりますね、土塁に架かる木橋もいいですね。

水堀と二層櫓が・・・。

角を回り込み蓮沼方面へ、西二の曲輪に立つ井楼矢倉です・・・・どこかで?、そう長野の荒砥城でも見ましたね、復元されイメージがより鮮明になりますね、中世と近世がごっちゃになりますからね。

水堀の脇を回り込み裏側(北側)の西仁連川へ・・・此処は搦め手?の虎口?で左右を土塁で正面も土塁で抑えた虎口・・左右は馬出?。

虎口内右側の土塁と右側は堀切の空堀です、右側は本丸側です、正面は当時は沼地ですからね。

搦め手口から真っ直ぐ奥へ、小刻みの空堀が刻まれています、多分古城(逆井氏時代)の本丸周辺?、左側が空堀で奥が本丸です、右側が西2の曲輪方面になりますね。

古城?土塁上から見た空堀・・・中央は鐘堀池(逆井氏落城の折に城主の娘?が鐘と沈んだとの伝説ある?)、左側は本丸。

逆井城跡の説明版?・・・・わかりますか!。

堀の周辺を回り込みました、右側が本丸で奥が鐘堀池。

なおも回り込むと、本丸に架かる木橋と復原された櫓門です、右側東2の曲輪側です。

此処が東2の曲輪です、奥には空堀が有りその向こう側が三の曲輪側です、三の曲輪方面はハッキリしませんが大きいかったのでしょう?。

復元された櫓門と木橋です。

木橋上から見た空堀、右側が本丸、本丸側は土塁で積み上げた有ります。

逆側ですね、左側が本丸。

此処は東2の曲輪の東の外れ。

本丸から見た先程の搦め手がわの川筋です(昔は飯沼)。

本丸に残る社・・・・、この城の城主になった北条氏繁は氏綱・氏康に仕えた綱成の子で綱成は地黄八幡の北条軍の黄備えの猛将で天文15年1546年河越の夜戦で半年間の籠城戦に耐え逆転した人です、北条一門で玉縄城主だったのですからこの地に力を結集したのでしょうね。

此れが鐘堀池です、本丸側からです、向こう側が古城側?でしょう、その向こう側が西の2曲輪側ですね。

東2の曲輪側・奥が三の曲輪で大軍が収容できる形みたいですね。

東2の曲輪端から見た本丸側の空堀と櫓門。

東の2の曲輪と3の曲輪の空堀、向こう側が3の曲輪ですね。

東2の曲輪林の向こうが本丸。

此れも2と3の曲輪を繋ぐ木橋、天正18年1590年豊臣秀吉の小田原征伐により、逆井城も没落、廃城となったのです。

茨城坂東市の逆井城跡に行って来ました。

2020-02-25 09:14:04 | 城郭茨城
2020年2月24日(月)に茨木県坂東市の逆井城跡(飯沼城)に行って来ました。

逆井城の全体図です、北側(上)に今は西仁連川が流れ(昔は飯沼)、左側は蓮沼、右側も沼地の堅固な平城なのです、今回は西側(左側)の曲輪にある復元した建物を主に紹介します。

現地の案内図ですが、今回は左入り口脇の建物を。

逆井城大手門脇の復元された二層櫓と木橋です、この逆井城はこの中世の復元されたお城で有名なのです、近世の天守以前のお城の形態ですね。

西の二の曲輪に再現された御主殿の門です、関宿城から移築した薬医門。

この建物は牛堀町の大台城遺跡した主殿を復元、全面の庭は枯山水。

西の曲輪端に建つ井楼櫓です、登ることができます。

井楼櫓から見た蓮沼(水堀)と南側方面です・・・昔は飯沼、右側は土塁。

同じ井楼櫓から見た東側です、二層櫓土塁、右側が空堀です、此れから二層櫓へ登ります。

南東方面を2階の廻縁から見ました、逆井城古城方面ですね、管理事務所辺りがが昔のお城の中心で、後北条時代に大きく改築、奥が本丸、右側が、西の二の曲輪、三の曲輪と広がりましたね。

これは西の二の曲輪方面(主殿)・右薬医門。その奥裏門方面へ。

先程登った井楼櫓と主殿ですね。

ほんの少し外側にずれて水堀を入れました。

城外からの二層櫓と木橋・土塁・空堀を・・・・お城の風情が漂いますね。

お城全体の風情はこの場所でしょうかネ。

最後にアップの二層櫓を如何でしょうか、中世のお城ですね、此処は逆井氏の古城を後北条が滅ぼし、その後下野方面の基地として役割を担ったお城なのです。