何回か書いてるかも知れないけど曽田正人という漫画家が結構好きです。
「め組の大吾」はかなり良かったし、「昴」(今もやってる)も大好き。
二作とも「お前が好きな漫画10個選べ」と言われたらたぶん入ってくる。
その人が「capeta」という漫画を連載してるのは知ってました。
でもねー内容がカートレースだからねー。カートに出会った小学生が成長していってF1を目指す話。いやほら僕、車とかレースとか一切わかんないしさー、と思ってたんだよね。
こないだ「シグルイ」が読みたくて久々に漫画喫茶なんてーものに行ってみたんだけどシグルイがないのよ。思わず無明逆流れの構えをしようかと思ったけど。
それで「ま、ちょっと読んでみるか」と「capeta」を手に取ってみたら。
いやいやこれが面白い!
本当にこの人が書くのがうまいな、と思うテーマは「無自覚な天才」。神が与えたんじゃないかと思うくらいの才能を持ちつつ、それに気づいていない。凡人が羨むようなすごいことをしても「こんなの当たり前なんじゃないの?」と思っているような、才能をたっぷり持ちながら死ぬほど努力をしてそれでも「これぐらいの努力当たり前なんじゃないの?」と思っているような。
大吾(め組の大吾)もそうだし、すばるもカペタもそう。
これがたまらないよね。凡人の話なんて見ててもつまんないしさー。
それともうひとつの視点。この人は「天才に焦がれる凡人」を書くのもうまい。時に天才以上に努力をしながら、それでも最後の最後、「才能」という点で絶対にかなわない。その世界(バレェやレース)のことを本当に愛しながら、そして天才に恋焦がれながら、天才を見るからこそ「自分には才能が無い」と気づいてしまうと言う悲劇。これはつらいな。「め組の大吾」の甘粕、「昴」の真奈や「カペタ」のノブ。つらいよなー。自分がどれだけ望んでも手に入らないものを目の前の天才はまったく努力もせずに手に入れていてそれに気づいてもいないんだもの。
たぶん、その構図は「アマデウス」のモーツァルト(元祖、無自覚な天才)とサリエリがモデルパターンだろうな。
そういうモーツァルトとサリエリを思い出すと「ピンポン」の佐久間のせりふが胸に沁みる。
「俺は必死で努力したよ!血のしょんべん出しながら誰よりも努力したよ!でもなんでお前なんだよ!」
ひとつの救いはサリエリと違って彼ら(甘粕、真奈、ノブ)は天才と一緒に夢を見る道を選べたこと。特に「カペタ」のノブは幸福。レースを愛し、カペタの才能を愛し、「俺がお前をF1まで連れて行く」とマネージメントを買って出る。カペタのレースを録画し、編集しスポンサーに直談判しにいく。そしてカペタから「ナオミ(ライバル)はすごすぎて、俺は勝てない。でも俺に出来ないことをノブは出来る。二人なら勝てる!」と言われる。いいなぁ、グッと来る。
彼らは幸福だったけど、もし身の回りにこういう天才がいたら悲劇だろうな。台風のように見の周りのものを巻き込んでそれでいて文句言いたくても才能があふれてて黙るしかない。生活やなんやかすべてささげたくなってしまうだろう。
ちょっと話は変わるけどある人がある作家(故人)の奥さんだった人の話を聞いときの話。その作家は3人の女性と同居をしていてそのうち1人とセックスするときはあとの二人は外出していたらしい。
「そんなのつらくなかったですか?」というインタビュアーの問いに
「いいえ。才能の無い男を独り占めするよりも誰かと分け合っても才能のある男といたほうが女にとって幸福でしょう?」
ひょえ~~。そんなのさー、面と向かって女性からにっこり笑って言われたら自殺するしかねーでげすよ。
とりあえずまぁ身の回りにおっそろしいほどの天才がいなくてえがった。天才は書物の中だけで十分だす。
長くなったけどオススメです、「capeta」。カートや車のことなんて一切知らなくても。
「め組の大吾」はかなり良かったし、「昴」(今もやってる)も大好き。
二作とも「お前が好きな漫画10個選べ」と言われたらたぶん入ってくる。
その人が「capeta」という漫画を連載してるのは知ってました。
曽田 正人 / 講談社(2007/07/17)
Amazonランキング:位Amazonおすすめ度:
でもねー内容がカートレースだからねー。カートに出会った小学生が成長していってF1を目指す話。いやほら僕、車とかレースとか一切わかんないしさー、と思ってたんだよね。
こないだ「シグルイ」が読みたくて久々に漫画喫茶なんてーものに行ってみたんだけどシグルイがないのよ。思わず無明逆流れの構えをしようかと思ったけど。
それで「ま、ちょっと読んでみるか」と「capeta」を手に取ってみたら。
いやいやこれが面白い!
本当にこの人が書くのがうまいな、と思うテーマは「無自覚な天才」。神が与えたんじゃないかと思うくらいの才能を持ちつつ、それに気づいていない。凡人が羨むようなすごいことをしても「こんなの当たり前なんじゃないの?」と思っているような、才能をたっぷり持ちながら死ぬほど努力をしてそれでも「これぐらいの努力当たり前なんじゃないの?」と思っているような。
大吾(め組の大吾)もそうだし、すばるもカペタもそう。
これがたまらないよね。凡人の話なんて見ててもつまんないしさー。
それともうひとつの視点。この人は「天才に焦がれる凡人」を書くのもうまい。時に天才以上に努力をしながら、それでも最後の最後、「才能」という点で絶対にかなわない。その世界(バレェやレース)のことを本当に愛しながら、そして天才に恋焦がれながら、天才を見るからこそ「自分には才能が無い」と気づいてしまうと言う悲劇。これはつらいな。「め組の大吾」の甘粕、「昴」の真奈や「カペタ」のノブ。つらいよなー。自分がどれだけ望んでも手に入らないものを目の前の天才はまったく努力もせずに手に入れていてそれに気づいてもいないんだもの。
たぶん、その構図は「アマデウス」のモーツァルト(元祖、無自覚な天才)とサリエリがモデルパターンだろうな。
そういうモーツァルトとサリエリを思い出すと「ピンポン」の佐久間のせりふが胸に沁みる。
「俺は必死で努力したよ!血のしょんべん出しながら誰よりも努力したよ!でもなんでお前なんだよ!」
ひとつの救いはサリエリと違って彼ら(甘粕、真奈、ノブ)は天才と一緒に夢を見る道を選べたこと。特に「カペタ」のノブは幸福。レースを愛し、カペタの才能を愛し、「俺がお前をF1まで連れて行く」とマネージメントを買って出る。カペタのレースを録画し、編集しスポンサーに直談判しにいく。そしてカペタから「ナオミ(ライバル)はすごすぎて、俺は勝てない。でも俺に出来ないことをノブは出来る。二人なら勝てる!」と言われる。いいなぁ、グッと来る。
彼らは幸福だったけど、もし身の回りにこういう天才がいたら悲劇だろうな。台風のように見の周りのものを巻き込んでそれでいて文句言いたくても才能があふれてて黙るしかない。生活やなんやかすべてささげたくなってしまうだろう。
ちょっと話は変わるけどある人がある作家(故人)の奥さんだった人の話を聞いときの話。その作家は3人の女性と同居をしていてそのうち1人とセックスするときはあとの二人は外出していたらしい。
「そんなのつらくなかったですか?」というインタビュアーの問いに
「いいえ。才能の無い男を独り占めするよりも誰かと分け合っても才能のある男といたほうが女にとって幸福でしょう?」
ひょえ~~。そんなのさー、面と向かって女性からにっこり笑って言われたら自殺するしかねーでげすよ。
とりあえずまぁ身の回りにおっそろしいほどの天才がいなくてえがった。天才は書物の中だけで十分だす。
長くなったけどオススメです、「capeta」。カートや車のことなんて一切知らなくても。
あ、まだ読んでません。夜にゆっくり読ませていただきマヨネーズ。
え?かぶってます??眼鏡はかぶってますが。
>シジマ
眼鏡くんってそういう名前だったのね。
すんごい天才って会ったことないけど、僕も会いたくないな。比べてしまったときに自分がすごく小さく思えるだろうから。
男が人生において自分の立ち位置を知ってしまうことって、一種不幸だよね~。
ドッピオ先生もある意味天才だけどなー。
て ん さ い
へ ん た い
半かぶり
普通の女の人はつらいと思いますがー。
この人エフワン好きなんだろね。(め組の大吾の中にニキ・ラウダそっくりな人が出てる)
そのお言葉、そのままお返ししますwww
>りちゅさん
ですよねー。そうおっしゃっていただける女性がいてうれしいです。
>クメ
あなた、好きそうだなーと思った。ニキ・ラウダそっくりな人は五味所長ね。アラン・プロスト似の荒さんって人もいるわな。