今年もどうぞよろしくお願いします。
さて、前回、2018年に僕が映画館で観た映画のうち、特に僕が心に残ったいくつかの作品を書きました。
そうやって並べてみると、やっぱりある程度のテーマが浮かび上がってくるなぁと感じたのでその話をします。
2017年の映画を総括して、僕は「戦う女性と逃げる男の映画が多かった」という話をした。→Wonder women & Runaway guys./驚くべき女性たちと逃げ出す男たち。
ちなみに!「バトル・オブ・セクシーズ」は日本公開が2018年だったけど、本来、アメリカで公開されたのは2017年。なので「驚くべき女性たち」の一群に入れるべき作品だと思う。
続けます。
不思議なもので、映画(すべての芸術がそうだろうけど)というものは、集合的無意識というか、意図せずとも同じようなテーマが重なることがある。もちろんすべての芸術が、時代を写す鏡なのだからそういうこともあるだろうし、二匹目のドジョウ的に「これがあたったんだからそれと似たようなの作ろう」と後を追うところもあるだろう。
僕が2018年の映画を観て、感じた大きなテーマはやはり「多様性」、もっというと「Inclusion(内包)」だった。
世の中には、例えば人種、例えば性的指向、例えば国籍、様々な人がいる。誰一人として、他人とまったく同じ、という人などいない。だからこそ、すべての人が尊く、誰であれ他人をその出自によって攻撃することは許されることではない。
そういうメッセージを、2018年の多くの映画から僕は感じた。
例えば、「シェイプ・オブ・ウォーター」。主人公は発話障害を持つ女性。(声を奪われた女性、というモチーフがまた象徴的だ)そしてその女性が恋に落ちるのが「アマゾンから来た半魚人」、彼女の友人はゲイの初老の男性、、と非常に多様な人々が出てきていた。
「グレイテスト・ショーマン」でも様々な人々(場合によっては身体に障害を持つ人も)を集めてサーカスをやる、という話だった。
「ジュマンジ/ウェルカム・トゥ・ジャングル」はアメリカの高校におけるスクールカーストを描いており、フットボール部のスターもクラスの人気者もオタクっぽい男の子、女の子もそれぞれ事情を抱えているんだよ、という話だった。
「スリー・ビルボード」もそうだった。人にはそれぞれ事情がある。
そして、僕が洋画部門ベスト1に選んだ「ボヘミアン・ラプソディ」もそう。世の中の爪弾き者だったフレディが自らの居場所を獲得する話だった。
多様な人々を内包する素晴らしい社会、世界。これこそが2018年の映画が訴えていたメッセージだ、と僕は思う。
映画からはちょっと離れるけど、僕が2018年に読んだ本のうち、もっとも素晴らしいものである本の一つ、「日本のクラフトビールのすべて」(マーク・メリ/著)の序文を、少し長めに引用したい。2018年、僕はこの文を、事あるごとに思い起こしていた。
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最後に、私の正直な思いを加えたい。クラフトビールの世界はこの全地球に広がった、本当に素晴らしいものだと思う。
特に安倍政権になってから、日本ではナショナリズムが急速に高まり、日本社会がより排他的になったことに対して、クラフトビール界はその逆の方向を取った。
日本のブルワーがアメリカ、ヨーロッパの各国に出張して、海外のブルワーとコラボなどを行い、逆に海外のブルワーが来日して同じことをする、いわゆるコラボレーション企画が多くなった。日本のビアコンテストには海外のビアジャッジも多く参加するようになった。海外でビール旅行をする日本人も多い。日本でのビール仕込みをしている、またはブルワリーやビアバーを経営している外国人も増えた。そしてもちろん、私のようにビア・ライティングをしている者もいる。
やはりビールに限らず、多様性は良いものだ。こんなことにも平和を感じる。ずっとこの方向で進もうではないか。
------------------------------------------------------
本当にそう思う。
クラフトビールと同じくらい、映画もこの全地球に広がった素晴らしいものの一つだと思う。
やっぱり、多様性は良いものだ、僕もそう思う。本当にそう思う。
多様であるだけで、涙が出そうになるくらい幸せを感じる。ずっとこの方向で進もうよ、映画も、ビールも、そして世界も。
さて、前回、2018年に僕が映画館で観た映画のうち、特に僕が心に残ったいくつかの作品を書きました。
そうやって並べてみると、やっぱりある程度のテーマが浮かび上がってくるなぁと感じたのでその話をします。
2017年の映画を総括して、僕は「戦う女性と逃げる男の映画が多かった」という話をした。→Wonder women & Runaway guys./驚くべき女性たちと逃げ出す男たち。
ちなみに!「バトル・オブ・セクシーズ」は日本公開が2018年だったけど、本来、アメリカで公開されたのは2017年。なので「驚くべき女性たち」の一群に入れるべき作品だと思う。
続けます。
不思議なもので、映画(すべての芸術がそうだろうけど)というものは、集合的無意識というか、意図せずとも同じようなテーマが重なることがある。もちろんすべての芸術が、時代を写す鏡なのだからそういうこともあるだろうし、二匹目のドジョウ的に「これがあたったんだからそれと似たようなの作ろう」と後を追うところもあるだろう。
僕が2018年の映画を観て、感じた大きなテーマはやはり「多様性」、もっというと「Inclusion(内包)」だった。
世の中には、例えば人種、例えば性的指向、例えば国籍、様々な人がいる。誰一人として、他人とまったく同じ、という人などいない。だからこそ、すべての人が尊く、誰であれ他人をその出自によって攻撃することは許されることではない。
そういうメッセージを、2018年の多くの映画から僕は感じた。
例えば、「シェイプ・オブ・ウォーター」。主人公は発話障害を持つ女性。(声を奪われた女性、というモチーフがまた象徴的だ)そしてその女性が恋に落ちるのが「アマゾンから来た半魚人」、彼女の友人はゲイの初老の男性、、と非常に多様な人々が出てきていた。
「グレイテスト・ショーマン」でも様々な人々(場合によっては身体に障害を持つ人も)を集めてサーカスをやる、という話だった。
「ジュマンジ/ウェルカム・トゥ・ジャングル」はアメリカの高校におけるスクールカーストを描いており、フットボール部のスターもクラスの人気者もオタクっぽい男の子、女の子もそれぞれ事情を抱えているんだよ、という話だった。
「スリー・ビルボード」もそうだった。人にはそれぞれ事情がある。
そして、僕が洋画部門ベスト1に選んだ「ボヘミアン・ラプソディ」もそう。世の中の爪弾き者だったフレディが自らの居場所を獲得する話だった。
多様な人々を内包する素晴らしい社会、世界。これこそが2018年の映画が訴えていたメッセージだ、と僕は思う。
映画からはちょっと離れるけど、僕が2018年に読んだ本のうち、もっとも素晴らしいものである本の一つ、「日本のクラフトビールのすべて」(マーク・メリ/著)の序文を、少し長めに引用したい。2018年、僕はこの文を、事あるごとに思い起こしていた。
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最後に、私の正直な思いを加えたい。クラフトビールの世界はこの全地球に広がった、本当に素晴らしいものだと思う。
特に安倍政権になってから、日本ではナショナリズムが急速に高まり、日本社会がより排他的になったことに対して、クラフトビール界はその逆の方向を取った。
日本のブルワーがアメリカ、ヨーロッパの各国に出張して、海外のブルワーとコラボなどを行い、逆に海外のブルワーが来日して同じことをする、いわゆるコラボレーション企画が多くなった。日本のビアコンテストには海外のビアジャッジも多く参加するようになった。海外でビール旅行をする日本人も多い。日本でのビール仕込みをしている、またはブルワリーやビアバーを経営している外国人も増えた。そしてもちろん、私のようにビア・ライティングをしている者もいる。
やはりビールに限らず、多様性は良いものだ。こんなことにも平和を感じる。ずっとこの方向で進もうではないか。
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本当にそう思う。
クラフトビールと同じくらい、映画もこの全地球に広がった素晴らしいものの一つだと思う。
やっぱり、多様性は良いものだ、僕もそう思う。本当にそう思う。
多様であるだけで、涙が出そうになるくらい幸せを感じる。ずっとこの方向で進もうよ、映画も、ビールも、そして世界も。