浅草文庫亭

"大哉心乎"
-大いなる哉、心や

今は失われてしまったすべてのものに。

2017-12-25 12:47:05 | 日記
年末も押し迫ってきているところですが、金曜日が休みだったので三連休。せっかくなんで、と一人旅に行ってきた。

場所は広島。

なんとなく、今年、「この世界の片隅に」を観てから広島が気になっていたんだよね。もちろん広島県自体には何度も行ったことがある。だけど広島市内というのは実は修学旅行で行って以来。仕事では広島っても福山とか三原、尾道に行くことが多かった。

ふと思いつきで新幹線とホテルのセットのチケットをネットで取り昼前に品川から新幹線に乗る。

夕方くらいに着いてまずは広島駅から路面電車に乗り平和記念公園へ。

ここはもちろん、原爆の爆心地だったところ。そのことを知っている人間であれば誰しも言葉を失ってしまう。20数年前、高校生のときに修学旅行で来たときも何かしらを感じたと思うのだけど、残念ながら忘れてしまった。だから、改めて今の気持ちで感じることがあった。

てくてくと歩いていると至るところにいろいろな慰霊碑があることに気づく。例えば学徒出陣した人々への慰霊碑、裏側に回って学徒出陣があった学校名が刻まれているのを読むと「なんでこんなにも、、」と感じる。

原爆で亡くなった方が埋葬されているところの後ろを観るとこじんまりとした、何か塔のようなものがある。観てみるとそれは原爆で亡くなった韓国の方の慰霊碑。当時、その方は無視され、戦後数十年経ってこの方々の慰霊のために建てられたとのこと。

このように、様々な慰霊碑を観て正直言って感想としては「いやー、、」としか出てこない。なんでこんなことが、こんな場所で。。と。

現在は記念公園であるこの場所、「この世界の片隅に」の冒頭で描かれているように広島で一番の繁華街だった。当時の地図がレリーフとして建てられていて、それを観ると様々な商店、映画館まであったようだ。

「中島本町」という住所だったようで、改めて気づいたんだけどここもつまり「中洲」であり「川端」だったんだよね。(日本の繁華街は川端にあった、というのが最近の僕の考えです。詳しくはこちら→「川端民俗学」) それがすべて失われてしまった。


映画でも描かれていたこの建物は元々、呉服店だった。今は公園内のレストハウスになっているけど。つまり、この建物以外はすべて失われた。いやー。。

平和記念公園を歩いていると様々な慰霊碑に手を合わせている人々を目にする。人が、何か失われてしまったもののために祈る姿、というのは人の最も美しい姿のひとつなのではないか、とすら思う。


それを見上げると雲が、どこかに流れていくように見えた。

もしかしたら多くの人の、今はもういない人の、心を乗せているのかも知れない。願わくばその行き先がせめて安らかであって欲しいと思う。