今朝、近くの喫茶店では、5月4日、5日の土地の神社の祭り談義に花が咲いた。マスターが話に割り込んできた。今年は例年になく羽振りが良かった。例の給付金のせいではないか。街にも結構お金が落ちたはずだと、ご自身のお店のことは棚に上げて、話していた。
近くには神社が二社ある。阪急神戸線の御影駅近くの弓弦羽(ゆずるは)神社が、5月3,4日、JR神戸線住吉駅近くの本住吉神社が5月4,5日と一日ずらして、地車(だんじり)を出すのがいつとはなしに習いとなっている。昔、地車同士がぶつかり争いごとに発展したことがあったという。
昨日は住吉神社の地車の屋根から落ちて一人右手を骨折した。土地に古くから住む、店のなじみ客の一人は、祭りには、昔からけがはつきもだと話していた。地車にひかれて命を落とした例もあるそうだ。
本住吉神社の地車は、11地区に分かれている。いま住んでいるのは茶屋地区である。現在の岡山県にある高松城水攻めを中断、主君信長が本能寺で明智光秀に討たれたの報を受けて、急遽引き返す途中、秀吉が一息入れた場所に茶屋があり、それが地名の謂れと当の神社の立て札にある。
以前住んでいた西青木地区の地車は昨年から復帰した。西青木の地車の製作は明治中期、第二次世界大戦までは、本住吉神社の例大祭には毎年参加していたと記録にある。地車を引く若衆が揃わない地区は、アルバイトを雇う。いくらか公表されていないが、一日1万円だろうとマスターが、再び、話に割ってはいってきた。
祭りには寄付はつきものである。マンション住まいの人間にも以前は個別に寄付を集めに来ていた。寄付は、個別問題だと反対があったが、一軒一軒ピンポン、ピンポンやられると困るという声が増え、一昨年から一括して組合予算から支払うことが理事会で決まった。
平時、神社の境内の一部を駐車場に使っている。費用はお供えという名目のようだ。当然、境内は祭りのときは地車の出入りが激しい。そのため特別のラベルを神社が出す。路上駐車は、表向きは違反である。ところが神社が出した紙を張り、自宅前で止めていたところ、違反の紙を張られた。
紙を張った人は、土地の所轄でない、さる大阪方面での経験のある、元警察官とわかった。「ル―ル通り」駐車違反だと杓子定規に、ラベルを張られたと、店の馴染み客のNさんがしきりにぼやいていた。いくら説明してもかたくなに認めない。元警察官に限らない。辞めてからも役人臭が抜けないひとは身近にも結構おられる。
役人に限らない。亡父が世話になっていた介護施設でもその手のご仁がおられた。元サラリーマンでも、上の役職についていたお人ほど、上司風を吹かす傾向が強い。Nさんは、「あんなおっさんは、家でもえらそうにやっているんやないか。」というので、「意外に嫁さんには頭があがらない。ぬれ落ち葉だと、奥さんにも尊敬されていないはずだ。」とまるで見て来たように相槌を打った。
今朝の喫茶店で、インターネットで薬が買えなくなるということで心配だとある客が話していた。6月1日から改正薬事法が施行される。「一般医薬品の販売は対面販売でなければならない」と建前論を展開している。対面販売だから安全で、インターネット販売なら安全でないという理屈である。
薬には必ず副作用がある。薬の副作用の最たるものが、ある薬を投与すれば、頭の毛が抜けるという副作用であろう。頭の毛が抜けるということが、いかに恐ろしいことであるかということに、なぜ、思いをいたさないのであろうかと、いつも思う。
今朝のNHK・BSが紹介したドイツテレビの番組で、遺伝子組み換えのジャガイモ畑のまわりにまるで牢獄の塀のようなフエンスで覆われていた情景を写していた。花粉が飛散すれば他の作物に害を及ぼすからだという。食用にしない。糊に使うジャガイモだから試験的に許可されたと解説していた。神をも恐れぬ行為と思うが、経済優先もここまでくると、嗣子孫々に示しがつかない。
経済と言うことでは「資本主義崩壊の首謀者たち」(広瀬隆著、集英社新書)を友達が紹介してくれた。一冊720円を投資する価値は十二分にある。ベルリンの壁が崩壊してソ連の共産主義が崩壊した。リーマン破たんからアメリカの資本主義が大崩壊を始めたところから説き起こしている。
夏祭りも終わった。だんじりのお囃子が消えて、静かな朝を迎えた。豚インフルエンザも、神の警告かもしれない。欲にかまけて、神も恐れぬ行為を繰り返していることに早く気づかないと、あとの祭りとなるに違いない。(了)
近くには神社が二社ある。阪急神戸線の御影駅近くの弓弦羽(ゆずるは)神社が、5月3,4日、JR神戸線住吉駅近くの本住吉神社が5月4,5日と一日ずらして、地車(だんじり)を出すのがいつとはなしに習いとなっている。昔、地車同士がぶつかり争いごとに発展したことがあったという。
昨日は住吉神社の地車の屋根から落ちて一人右手を骨折した。土地に古くから住む、店のなじみ客の一人は、祭りには、昔からけがはつきもだと話していた。地車にひかれて命を落とした例もあるそうだ。
本住吉神社の地車は、11地区に分かれている。いま住んでいるのは茶屋地区である。現在の岡山県にある高松城水攻めを中断、主君信長が本能寺で明智光秀に討たれたの報を受けて、急遽引き返す途中、秀吉が一息入れた場所に茶屋があり、それが地名の謂れと当の神社の立て札にある。
以前住んでいた西青木地区の地車は昨年から復帰した。西青木の地車の製作は明治中期、第二次世界大戦までは、本住吉神社の例大祭には毎年参加していたと記録にある。地車を引く若衆が揃わない地区は、アルバイトを雇う。いくらか公表されていないが、一日1万円だろうとマスターが、再び、話に割ってはいってきた。
祭りには寄付はつきものである。マンション住まいの人間にも以前は個別に寄付を集めに来ていた。寄付は、個別問題だと反対があったが、一軒一軒ピンポン、ピンポンやられると困るという声が増え、一昨年から一括して組合予算から支払うことが理事会で決まった。
平時、神社の境内の一部を駐車場に使っている。費用はお供えという名目のようだ。当然、境内は祭りのときは地車の出入りが激しい。そのため特別のラベルを神社が出す。路上駐車は、表向きは違反である。ところが神社が出した紙を張り、自宅前で止めていたところ、違反の紙を張られた。
紙を張った人は、土地の所轄でない、さる大阪方面での経験のある、元警察官とわかった。「ル―ル通り」駐車違反だと杓子定規に、ラベルを張られたと、店の馴染み客のNさんがしきりにぼやいていた。いくら説明してもかたくなに認めない。元警察官に限らない。辞めてからも役人臭が抜けないひとは身近にも結構おられる。
役人に限らない。亡父が世話になっていた介護施設でもその手のご仁がおられた。元サラリーマンでも、上の役職についていたお人ほど、上司風を吹かす傾向が強い。Nさんは、「あんなおっさんは、家でもえらそうにやっているんやないか。」というので、「意外に嫁さんには頭があがらない。ぬれ落ち葉だと、奥さんにも尊敬されていないはずだ。」とまるで見て来たように相槌を打った。
今朝の喫茶店で、インターネットで薬が買えなくなるということで心配だとある客が話していた。6月1日から改正薬事法が施行される。「一般医薬品の販売は対面販売でなければならない」と建前論を展開している。対面販売だから安全で、インターネット販売なら安全でないという理屈である。
薬には必ず副作用がある。薬の副作用の最たるものが、ある薬を投与すれば、頭の毛が抜けるという副作用であろう。頭の毛が抜けるということが、いかに恐ろしいことであるかということに、なぜ、思いをいたさないのであろうかと、いつも思う。
今朝のNHK・BSが紹介したドイツテレビの番組で、遺伝子組み換えのジャガイモ畑のまわりにまるで牢獄の塀のようなフエンスで覆われていた情景を写していた。花粉が飛散すれば他の作物に害を及ぼすからだという。食用にしない。糊に使うジャガイモだから試験的に許可されたと解説していた。神をも恐れぬ行為と思うが、経済優先もここまでくると、嗣子孫々に示しがつかない。
経済と言うことでは「資本主義崩壊の首謀者たち」(広瀬隆著、集英社新書)を友達が紹介してくれた。一冊720円を投資する価値は十二分にある。ベルリンの壁が崩壊してソ連の共産主義が崩壊した。リーマン破たんからアメリカの資本主義が大崩壊を始めたところから説き起こしている。
夏祭りも終わった。だんじりのお囃子が消えて、静かな朝を迎えた。豚インフルエンザも、神の警告かもしれない。欲にかまけて、神も恐れぬ行為を繰り返していることに早く気づかないと、あとの祭りとなるに違いない。(了)