ルネとは全く関係ありませんが、本日9月29日は、「来 (9月) る福 (29日) 」は「招き猫の日」だそうです。
そして、今から41年前の1977年9月27日は、”Rene Simard Showルネ・シマール・ショー”の第1回が放送された日でした。
ルネはこの時弱冠16歳!! 第3回東京音楽祭世界大会でグランプリとフランク・シナトラ賞を受賞したことで、仏系カナダのケベックだけでなく、アメリカやフランス、英語圏のカナダでも注目され、活動範囲を広げていました。『Rene Simard Superkid ルネ・シマール・スーパーキッド』等のTV番組に出演。英語で歌ったアルバムをリリースし、”YOU'RE MY EVERYTHING”がヒットチャート入り。
▲ルネのデビュー25周年記念誌より
CBC-TVの「ルネ・シマール・ショー」では、番組のホストを務め、ヤング・スターとしての経歴におけるターニング・ポイントとなりました。
この番組は、バンクーバーで撮影され、毎週木曜日の夜8時から放映された30分のウイークリー・バラエティー・ショーで、ルネの音楽やコメディー、ダイナミックな歌と踊りで観衆を魅了し、最優秀バラエテイ番組として、ACTRA賞を受賞しました。
また、この年は9才の妹ナタリーとユニセフのキャンペーンソング”Tous les Enfants du Monde”もリリース。アメリカで学んだ英会話やダンスをいかし、活動範囲だけでなく、若いエンターティナーとしての芸の幅も広げていきました。
今回紹介いたします下の記事は、後日書かれた雑誌の記事です。続いて紹介するのは1977年当時の新聞記事(白黒 Passion Simardより)とTVで放映された画像(カラー)です。なお、新聞の記事については、『ルネ・シマール。ショー②』で取り上げます。
『ルネ・シマール・ショー』のYouTube映像も一緒にご覧ください。
<和訳>
ルネ・シマール・ショー、それは私たちに何を語るのでしょうか?
それは、1977年と1978年、大人になっていく年齢の初めに、『L'oiseau-鳥-』の歌手を活気づけた、全カナダの放送局の番組タイトルでした。
1977年9月27日、この週1回放送の英語によるバラエティー番組は、英語圏のカナル6の電波を攻略しました。
初回放送で、ルネは、モントリオールのカナディアンズ(アイス・ホッケー・チーム)の5番を着け、愛称”Boum-Boumブーム・ブーム”で知られる、今は亡きベルナール・ジョフリヨンを受け入れました。
たとえこのアドベンチャーが長続きしなかったとしても、イギリス系カナダとフランス系の、2つの文化の出会いを可能にした功績により、彼は生き残ったのでした。
▲1977年当時の新聞記事(白黒 Passion Simardより)
▲『ルネ・シマール・ショー』の画像
▲カナディアンズの5番 ベルナール・ジョフリヨン氏(モントリオール生まれ 1931.2.14~2006.3.11)
今回翻訳いたしました記事は、切り抜きの状態で入手したもののため、いつ頃、どの雑誌に掲載されたのか分かりません。少なくとも、記事の内容から推測すると、ベルナール・ジョフリヨン氏が亡くなられた2006年3月以降に書かれたものでしょう。また、最後の文章に『il reste-彼は生き残った』とあるのは、ルネが芸能界でずっと活躍し続けていることを指しているのだと思います。
現在、ルネは娘ロザリーの絵画展やTV番組出演のサポートにまわっているようです。もちろん、2019年にリリース予定のニュー・アルバムの準備に入っていることでしょう。
このところ、facebookの公式ページの更新は有りませんが、ルネの活動情報がfacebookで紹介されることを楽しみにしています♪
そして、今から41年前の1977年9月27日は、”Rene Simard Showルネ・シマール・ショー”の第1回が放送された日でした。
ルネはこの時弱冠16歳!! 第3回東京音楽祭世界大会でグランプリとフランク・シナトラ賞を受賞したことで、仏系カナダのケベックだけでなく、アメリカやフランス、英語圏のカナダでも注目され、活動範囲を広げていました。『Rene Simard Superkid ルネ・シマール・スーパーキッド』等のTV番組に出演。英語で歌ったアルバムをリリースし、”YOU'RE MY EVERYTHING”がヒットチャート入り。
▲ルネのデビュー25周年記念誌より
CBC-TVの「ルネ・シマール・ショー」では、番組のホストを務め、ヤング・スターとしての経歴におけるターニング・ポイントとなりました。
この番組は、バンクーバーで撮影され、毎週木曜日の夜8時から放映された30分のウイークリー・バラエティー・ショーで、ルネの音楽やコメディー、ダイナミックな歌と踊りで観衆を魅了し、最優秀バラエテイ番組として、ACTRA賞を受賞しました。
また、この年は9才の妹ナタリーとユニセフのキャンペーンソング”Tous les Enfants du Monde”もリリース。アメリカで学んだ英会話やダンスをいかし、活動範囲だけでなく、若いエンターティナーとしての芸の幅も広げていきました。
今回紹介いたします下の記事は、後日書かれた雑誌の記事です。続いて紹介するのは1977年当時の新聞記事(白黒 Passion Simardより)とTVで放映された画像(カラー)です。なお、新聞の記事については、『ルネ・シマール。ショー②』で取り上げます。
『ルネ・シマール・ショー』のYouTube映像も一緒にご覧ください。
<和訳>
ルネ・シマール・ショー、それは私たちに何を語るのでしょうか?
それは、1977年と1978年、大人になっていく年齢の初めに、『L'oiseau-鳥-』の歌手を活気づけた、全カナダの放送局の番組タイトルでした。
1977年9月27日、この週1回放送の英語によるバラエティー番組は、英語圏のカナル6の電波を攻略しました。
初回放送で、ルネは、モントリオールのカナディアンズ(アイス・ホッケー・チーム)の5番を着け、愛称”Boum-Boumブーム・ブーム”で知られる、今は亡きベルナール・ジョフリヨンを受け入れました。
たとえこのアドベンチャーが長続きしなかったとしても、イギリス系カナダとフランス系の、2つの文化の出会いを可能にした功績により、彼は生き残ったのでした。
▲1977年当時の新聞記事(白黒 Passion Simardより)
▲『ルネ・シマール・ショー』の画像
▲カナディアンズの5番 ベルナール・ジョフリヨン氏(モントリオール生まれ 1931.2.14~2006.3.11)
今回翻訳いたしました記事は、切り抜きの状態で入手したもののため、いつ頃、どの雑誌に掲載されたのか分かりません。少なくとも、記事の内容から推測すると、ベルナール・ジョフリヨン氏が亡くなられた2006年3月以降に書かれたものでしょう。また、最後の文章に『il reste-彼は生き残った』とあるのは、ルネが芸能界でずっと活躍し続けていることを指しているのだと思います。
現在、ルネは娘ロザリーの絵画展やTV番組出演のサポートにまわっているようです。もちろん、2019年にリリース予定のニュー・アルバムの準備に入っていることでしょう。
このところ、facebookの公式ページの更新は有りませんが、ルネの活動情報がfacebookで紹介されることを楽しみにしています♪
ルネがフランス語講座の『今月のシャンソン』で『鳥』を歌ってましたね~!
って、釈迦に説法でしたねwww
Au revoir.
いや~、すごいですねぇ! そんなこともご存じですか!!
私はこれをきっかけにフランス語講座を見始まったのですが、
それ以降、ルネの曲が流れることはありませんでした。
今はサボってま~す★