水曜日の試合に向けた長谷川穂積のインタビューは、専門誌はもちろん、
スポーツ誌にも掲載されていますし、TV番組も含め、いろいろ見聞きしました。
しかし、最も印象的なのが、以前長谷川がモンティエルに敗れ、ブルゴス戦で再起するまでを
密着して描いたノンフィクション「211」の著者、水野光博氏によるこのインタビューです。
今の長谷川穂積を語るときに、どうしても気になる部分は、
何が何でも勝つ、という、わかりやすい決意表明とはまた違った、数多くの言葉です。
それは、ベテランと言われる領域にさしかかった、数多のボクサーが抱える屈託を、
長谷川穂積もまた、抱え込んでいることの証です。
IBFの当日計量制度の話から語られる、自身のコンディション調整の難易度。
年齢を重ねたことにより生じた、ボクサーとしてのみならず、人としての意識の変化。
今回の試合に対する、精神的な意味合い、位置付けに対するこだわり。
これらを語った後、最後に彼は「勝たねばならぬのは相手より先に自分」と締め括ります。
勝ち負け以前に「全てを出し切りたい」のだ、とも。
こうした方向のコメントは、過去に他のボクサーからも出たことがあります。
概ね、登り坂にある、若いボクサーではなく、一定の成功を収め、ファンや一般に
広く認知された段階にあるボクサーから、これに類する言葉を聞くことが多かったように思います。
以前の私は、こういう言葉に対して、反射的に反駁を覚えたものでした。
自分自身より、まず相手に勝つことが目的だろう、何を言ってるんだ。
そんな自己満足を語るヒマがあったら、少しは相手のことを研究して、水漏れ無しでリングに上がる姿を見せてくれ。
それがプロたる者の仕事であり、使命ではないのか。
まあだいたい、言葉にするとこんな感じです。
しかし、それなりに長くボクシングを見てきた上で、そして、いよいよキャリアの岐路にさしかかり、
敗北はイコール引退であると、自他共に認めてしまっている一戦を間近に控えた長谷川穂積のこれまでを
あれこれ振り返ってみるに、もはや、単純にそういう思いではいられなくなっています。
彼自身の才能、それを成長させてきた努力、それによって勝ち得た数々の勝利と栄光は、
ひとたびの敗北を機に、あらゆる面において、彼自身を最も苦しめてもきた。
その現実の重さ、ままならぬ自分自身との闘いをくぐり抜け、様々に抱えた屈託や葛藤をも乗り越えて
彼自身が語る決意の言葉には、あまりにも濃い孤独の影と、壮絶なるもうひとつの闘いの跡が見えます。
ボクサー長谷川穂積が、そのキャリアを通じて、拠り所としてきたいくつかのものを喪い、
その喪失を埋めるために辿り着いた「自分自身との闘い」という境地において、
今回の試合は闘われます。それだけが、今の時点で見える、この試合の全風景です。
当然、水曜日の試合が終われば、毎度の通りとりとめもなく、何事かを書き、語るわけですが、
試合が終わった後にどういう振り返り方をすることになるか、今はわかりません。
ただ、かつてのように、長谷川穂積が語ったような「境地」を、無下に切り捨てられるような自分であったら、
ある意味、楽に見られる試合だったのにな、という思いでいます。
何だか、本当に重苦しい気分です。もちろん、闘うボクサー本人より苦しいわけもないのですが、
これはこれで、けっこうなものやなぁ、なんて言うのは、言葉が過ぎるでしょうか。
なんのかんのというても、あと三日ですね。
終わったあとに、何をごちゃごちゃ、わけのわからんことを書いたんや、あほやなぁ、と
明るく振り返ることができたら、何よりもさいわいなことですが...。
今度の長谷川の試合は今までのように単純に楽しみという訳では
ない不思議な感覚です。
進退がかかっている試合だからか?敗北する姿を見たくないからか?もしくは勝利しても引退してしまいそう、など思っているせいかもしれませんが。
なんせ気持ちよく勝利してもらい、少なくともあと1、2年は長谷川の勇姿を見れればと願っています。
勝ったとしても、なんとなく先が見えないというか…、それくらい今回にかけているということでしょうが。
いつもならば、絶対勝ってくれ、頼むぞ長谷川ってな感じなのですが、今回に限っては悔いなく闘い終えてくれと、それだけです。
本心では、現在の日本ボクシング界の光輝いている新生たちに、まだまだ負けない凄い長谷川を見せてもらいたい、またビックマッチにつないで、次こそ勝利をと思う気持ちはありますが、そういう絵が見えてこない自分です。
この三年の過程で、何か違ったものを見たかったように思います。真正だけで強くなれたかが疑問です。これは大場浩平でも思います。相手が強すぎたで済んでますが、大場の良さが半減された状態で戦ったようにも感じます。真正では大場の良さや特徴に磨きはかかってはいなかったんじゃないですかね。どう思われますか?
しかし、れっきとした3階級制覇としては、長谷川穂積に是非とも達成してもらいたいですね。マゼブラ倒した事が大きいですが、長谷川とは全く違いますから、久々キレキレの長谷川見てみたいです。衰えさえなければ負けないとは考えます。
ただ、敵地でバリバリ戦ってきたチャンピオンと日本に居つづけた差があるのでは…。
普通の心境で見られる試合ではない、それだけは確かですね。本人のあまりに内省的というか、自分以外の全てを、或いは自分自身の過去も未来をも峻拒したような言葉の数々は、捉え方次第ではあるんでしょうが、刹那的なものを感じてしまいます。
考えてみればボクシングという者は、過去の業績がいかに偉大であれ、その日その時の技量、力量以外に何も頼れるものなどないわけですが、自身の栄光や、苦楽を共にした(はずの)指導者の存在すら、一切語られないこのインタビューを見るに、今の長谷川穂積は、本来孤独な闘いであるボクシングを、普通以上に深い孤独の中で闘っているのではないか、と感じてしまいます。
>NBさん
上記のような捉え方が正しいのかどうかは知らず、私個人は非常に重い心境にあります。彼が自分の力を十全に出し切って、勝利を得て、その先が明るく開かれるように願いますが。
ジム移籍の是非は、全体的には当然、成功だったと見るべきなのでしょうが、攻撃力がアップして防衛記録が10まで伸びた、そこから先のさらなる進化があったかどうかは、今のところ疑問符が付きますね。「日本に居続けた」という話については、そもそも、海外での試合を希望して、それを前所属ジムが認めなかったから移籍した、というお題目だったはずが、むしろ移籍前と同様か、むしろそれ以上に興行事情に縛られている現実からして、内心、忸怩たるものがあるのかも、という想像もあり得るでしょう。
長谷川の現状としては、明日の試合に圧勝出来る状態かどうかは、ちょっと読めません。天才型ゆえに、安定感を失うとその迷走は大きいでしょう。しかし、それがこの3年、4試合における過程で終息していれば、そして122ポンドでの体調がベストならば、という期待は、当然持っています。
大場に関しては彼自身の衰えや、防御面における欠陥も当然あったでしょうが、彼の特性を生かしたスタイルの構築を成し遂げる指導力がジムにあったかというと、結果的に足りない部分があったと言えるでしょう。それがカバジェロという、通常日本の上位陣と接点があるレベルを大きく超えた強敵との対戦によって炙り出されたのだ、とも。
一気に緊張が高まりました。
長谷川は相当に繊細な選手だと思ってますので(西岡より繊細だと思います)、コレは厳しい…。全力を出せるよう、ただただ頑張って貰いたいです!
インタビュー記事、読んでいただき、ありがとうございます。長谷川選手の言葉を、想いを聞き、少しでも正確に読者の方々に伝えたいと思いながら書いたインタビュー記事です。それが、確実に伝わっている人がいることを知り、本当に嬉しく思います。
長谷川穂積というボクサーを、点ではなく線として知る多くの方々に、今日の試合がどう映るのか。どんな結果が、どんな未来が待っているかはわかりません。どうか一緒に応援し、見届けてください。
当日計量は無事パスだったようです。59キロまで増えているんですね。過去に経験の無いことで、これは不安材料ですが、良い状態でリングに上がってもらいたいです。
>水野光博さん
コメントありがとうございます。長谷川ファンをもうけっこう長くやっている身にとり、今回のインタビュー記事は、現在の彼に対する様々な想いを掻き立てられるものでした。こちらが、かなうことなら今の長谷川に問うてみたい、と思うことがほぼ完全に網羅されていて、限界に近いところまで踏み込まれたように感じられました。
少なくとも、今日の試合が終わったあと、どういう光景が我々の眼前にあろうとも、それを見ずには済まされない、ということだけは確かです。その想いを新たにさせられた記事でした。
長谷川穂積と同じ時代を生きている事を誇りに思い全力で応援します。
拙い文章失礼しました。
体調がどうかは試合を見てみないと何とも言えませんが、良い状態であることを願います。実際は何もかも完璧といくはずもないですが、せめて「まずます良い」状態であることを。