中川健太、ユータ松尾戦の映像も見ることが出来ましたので、簡単に感想。
記事にもあるとおり、誰より本人が自身の出来を厳しく捉えています。
そして、残念ながらそのとおりの試合内容でした。
サウスポー中川が動いて左を当て、かなえば右の返しを当て、松尾が追って攻めるがクリンチで止められる。
基本的に、9回のバッティングによる負傷ストップまで、試合展開はこの繰り返しでした。
ボクシングのルールを改定して、クリンチは禁止にしたら良い、という極論を語る人が、ファンの一部のみならず有力関係者の中にも複数いる、と以前聞いて、少し驚いたことがありますが、こういう試合に出くわすと、確かにそんな気分にもなります。そんな試合でした。
パンチという、もっとも端的で鋭い攻撃手段に「特化」して闘われるボクシングにおいて、クリンチというものが「次善の策」として存在するのは仕方ないことだ、というのが私の意見ですが、それを「軸」に置いた闘い方は、安易に是認していいものではない、とも思います。
自分が不得意な距離の攻防、接近してのヒット・アンド・カバーを「一切」遮断するためのクリンチ駆使、その頻度の高さは、やはり度を超していた、と言わざるを得ません。
さらにいうなら、松尾の頭を嫌った、という面もあるにせよ、もう少し右リードを出して相手を止め、そこから左を決める、という段階が踏めれば、より効果的な攻撃が出来、あれほどの頻度でクリンチに頼る必要はなくなっていたはずです。
クリンチ自体もそうですが、その部分にも不足を感じます。
日本のタイトルマッチで、それも、二度目の戴冠となるベテラン選手と、挑戦者決定戦を勝ち上がってきた1位とのカードで、当然、しっかり10ラウンズあるわけですから、そのくらいのグレードは最低限、求めたいですね。
もちろん、減点対象にはなっておらず、ルール上は何も問題はありません。
しかし、「観客に見せられる試合じゃなかった」という表現で中川が自己批判したように、もし自分がこの試合を、暇割いて身銭切って見に行ったとしたら...と考えると、今日は外れたな、という言葉で自分の気持ちを抑えるしかなかったでしょう。残念な試合でした。
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アンダーでデビューした木村蓮太郎は、60キロ契約の6回戦デビュー戦、2回TKO勝ち。
大柄なサウスポーで、この日はほぼ、攻撃面しか見られませんでしたが、左の強打、好機の際の迫力、ことに右アッパーが鋭く織り込まれた「詰め」には目を引かれました。
このご時世、試合を組むことがまず大変になりそうですが、なんとかコンスタントに試合の機会を得て、大きく成長してほしいものです。
クリンチとホールドは違う、と聞きますが、あまりにクリンチ三昧な試合、パンチよりクリンチで時間稼ぎする試合見た時に、観戦歴浅い人から、「ねえどう違うの?」と聞かれると困ってしまいます。
頭ゴチンな相手だと別ですが、いっそクリンチは1ラウンド5回までとか分かりやすく定めたら試合が面白くなるんじゃないかと思います。
ブログに感想書こうとかいう目的でもない限り、特にお勧めは出来ない試合、というしかないですね。まあ、こんな試合もある、という見方で良いんじゃないでしょうか。
ホールドは、クリンチが物理的に相手の身体を固定するに至ったもの、と漠然と思っていますが(関節極めたり、首を絞めたり)、ルールで規定などあるんでしょうかね。クリンチの回数限定というのは、本当に真剣に検討してほしいと思います。でも、5回まで良いなら、その回数やらな損や、みたいになってしまう可能性もあります。難しいものです。
自分はどちらかと言うとムエタイ寄りというか、
上手いクリンチなら金払っても全然観れる派です。
日本人なら川島郭志のクリンチ、むしろスマート過ぎて鼻につくレベルでした。あと井上尚弥もクリンチ際の捌きで重心の下げ方と腕の使い方が上手くて、ロマチェンコと似てると思います。最近見た日本人選手なら中谷潤人も上手いと思いました。少し前ならホプキンスのも違った趣で上手だと思いました。
ムエタイ出身は皆上手いし、アマで強かった選手は結構上手い。メキシカンやフィリピーノも上手い選手が多い気がします。
書いていて思ったのは、自分的にはヘタクソ同士がハアハア言いながら抱きついて休んでるクリンチは観たくなくて、上手い選手同士が脇締めてお互い隙を探しつつ駆け引きで膠着してるのは飽きない、という感じですかね。しかしこれ、ルールに明文化できないですね笑
もう数年見ていませんがエキサイトマッチで解説者が毎回のようにポイントの基準をあげてましたが、「積極的な攻勢」という項目があったと思います。
クリンチという行為は「ピンチに陥った時」「間を嫌った時」「判定勝ちまで逃げ切る時」に使われる事が多い様に思うのですがこれらの要素は大概「積極的攻勢」の真逆である「消極態姿勢」に私には感じるのです。
であればラウンド中に明確なポイントを分ける「ダウン」や「クリーンヒット」が無かった場合に於いて「クリンチ」を仕掛けた側が10点法(マスト)での「9」になるように思うのですが。
勿論、ヒットした方がクリンチも仕掛けた場合はヒットが優先するとは思いますがそれとてもクリンチの回数が多ければやはりポイントは失うように思います。
個人的見解ですが、アリの70年代に於ける判定勝ちは殆ど無いと思っています。
スピンクスとの第一戦は私の採点では20点差でスピンクスの勝ちですし再戦も10点以上スピンクスが勝っていたように映りました。(第二戦はラウンドシステムでしたが)。
まぁ最初からジャッジが公明正大にやっているとは思っていませんが。
ムエタイは詳しくないんですが、ひとつの戦術として見るべきものなんでしょうね。ボクシングで言えば、70年代がピークだったと思いますが、中南米の世界王者が世界各国のリングに遠征しては、一定以上の報酬を稼ぐための世界タイトル防衛を目指す、というビジネスモデルが全盛だった時代に、挑戦者を巧みにあしらう技巧の一環としてのクリンチ、というものが、私の許容ラインなのかな、と思っています。サパタ、ペドロサに代表される、あの感じです。ヒルベルト・ローマン(畑中戦)やサラゴサなどが、そういう風情の最後だったかな、と。
あまり中身のないクリンチは見たくないですね。中川健太でいえば、かつては軽量級離れの強打で売り、しかしそこからの変容が、こういう方向ではあって欲しくなかったな、という思いですね。なんでこれほどの頻度でクリンチせねばならなかったか、という問題に目を向けてほしいです。
>CB400Fさん
接近してのヒット・アンド・カバーを、一切やりたくないが故のクリンチ、というものは、採点基準の話とはまた別で、いただけんなあ、と思います。今回の中川はそう見えました。
採点基準については仰る通りだと思います。いよいよ僅差の回を振り分ける際、クリンチした側が不利になるのは納得ですね。ただ、自分から休みに行ってるのに、相手に絡みつかれてしもうたー、みたいに見せる選手もいますが。
「後期」のアリの試合のうち、今の目で見ると、だいぶバイアスかかってるなあ、と思うものはけっこうありますね。よく言われるのはノートンとのラバーマッチですが。社会的に、少し前までパージされていたアリへの贖罪だったのか、ロープ・ア・ドープ作戦が喧伝された影響なのか。スピンクス戦は復活劇というよりも独り相撲ですよね、きつく言えば。勝手に油断して負けて、普通にやって取り返した、という。