思っていたほど酷くはないが、やはり大したこともない試合、というのが、
見終えた今の率直な感想です。
初回、メイウェザーが彼にしてはどっしり構えて、パッキャオを突き放しに、叩きにかかる感じ。やや意外な立ち上がり。
この時点で私は愚かにも「あれ、さすがに今日という今日は、いつもと違うのかな、やったるぞ、という気合いなのかな?」と
思ってしまったんですが、この回最後の方になると、もういつもの受け身とクリンチでお出迎え、という形になっていました。
序盤はメイウェザーが取り、4回はパッキャオが左を一発、それ以外は連打で攻める。
すると5回、メイウェザーがまた強めに構えて、右カウンターを当てる。
しかし6回はパッキャオがその構えを押し返し、手数を出す。
7回、その展開に応じ、メイウェザーが初回とほぼ同様かそれ以上にスタンス広く構え、右リード、右カウンター。
明らかにパッキャオを「止め」にかかっている。それは良いが、その先のことは何もしない。
ラウンド序盤は強く構え、途中からは引いて回って、カウンター、クリンチ、という展開を維持するメイウェザー。
パッキャオはメイウェザーが「設定」する距離を崩せはしないものの、連打の最後にボディのヒットを取っていく。
9、10回は採点を迷う回。パッキャオ前進、しかしヒットはあっても浅い。
メイウェザーは、外してカウンター取るが、回数が少ない。
11回も同様。パッキャオ前進、メイウェザーは押して引いて、といつもの感じ。
ポイントはメイウェザーだが、メイウェザーが良いとかまさるとかいうより、パッキャオのヒットが乏しい。
最終回はメイウェザーが明らかに流す。本当に、いつもの感じ。
さうぽん採点は116-112。迷った回をひとつパッキャオに振っても115-113まででした。
パッキャオは以前の爆発的な踏み込みと、それを支えた自信が、やはり完全には戻っていませんでした。
残念ながら、こればかりは人間のやることで、仕方ないと言わざるを得ません。
でも、ここ数試合の中ではもっとも好調だったし、集中も感じました。終盤も動き自体は落ちませんでした。
現状の精一杯に近い仕上がりで、リングに上がって来てくれた、という印象でした。
メイウェザーは相変わらず、よく考えて闘っていました。手は少ないが当てている、というラウンドを多く作り、
攻勢に出て連打は出すが、ヒットは乏しいパッキャオを常にリードしていたように思います。
また、パッキャオが好打したパンチがあれば、即座にそのパンチを止める手立てを用意して、
小さく鋭い右をカウンターし、左のチェックフックで脅かしと、局面ごとに適切な対応をする。
その上で僅かに作った空間の余裕を生かしては、スウェー、ダック、サイドステップを駆使し、
パッキャオの攻撃の大半を無力化していました。
こういう展開の中、昔日の採点基準なら「イーブンでええわ、こんなもん」と思うような回も、
今の採点基準で振り分けるならメイウェザーのポイントになる、という回がいくつかありました。
それ以外のクリアな回も、双方、有効打としては浅いものしか見られませんでした。
そして、そのまま試合が終わりました。
率直に言って、試合としては平坦なものでした。
今世紀最高のスーパーファイトという喧伝に見合うかどうか、という物差しを持ち出すまでもなく、です。
共に38歳と36歳という年齢、歴戦の疲弊を考えれば、非常に良く仕上げてきて、集中力も極めて高く、
流石に巧い、速い、強いと思えました。
しかし、試合前にさんざん喧伝され、煽られた、様々な数字や話題を取り除いてこの試合を見れば、
はっきりいってこれよりも良い試合、凄い試合は、スーパーファイトの歴史を振り返るまでもなく、
数多存在し、見ようと思えば、いくらでも見られます。
まあ、試合に盛りつけられる様々な虚飾の言葉をあげつらうようなことは、良い趣味だとは思いませんが、
それでも、こんな試合のために地球が揺れたり、世界が止まったりするかいや、と、皮肉のひとつも言いたくなるような試合でした。
でもまあ、両者の現状を考えれば、どちらかといえばメイウェザーに対し不満はありますけど、
パッキャオが彼の設定した展開を打ち破る爆発力を発揮出来なくとも、それはもう仕方ないし、彼は精一杯闘った。
それでメイウェザーを捉えられなかった以上、メイウェザーの方が優れていた、ということなのでしょう。
と、安い料金で試合を見られるボクシングファンとしては、そういう風に思ってそれでおしまい、で全然大丈夫でしょう。
こういう試合もあるわ、という。
しかし、所詮他人事とはいえ、そうではない範疇の人々にとっては、そういうわけにいくのかどうか、疑問ではあります。
まるでアメリカの富裕層の慰みもののように扱われた試合のチケットの話や、あちこちからえらい収入を掻き集めたという話が、
それこそ階級社会を形成する信仰心や神に取って代わって崇められる「金」を絶対視する価値観のもと、
様々なメディアによって話題になっていました。
その話題性につられてこの試合を見た人や、金銭を始め様々に過剰な負担を強いられた人たちの間において、
この試合はどのように受け止められ、評価されるのでしょうか。
彼らがボクシングを代表するふたりのスーパースターであることは理解しますし、納得もします。
しかし、少なくとも今になって実現したこの試合は、やはり、ボクシングファンの枠を越えた試合には、なり得なかった。
その危惧は、試合前から誰の心中にもあったと思います。
ボクシングの内実を無視した様々な要素によって、果てしなく膨張した様々な数字が積み重なった果てに、
こういう試合内容と結果が残ったことが、今後の両者の行く末などではなく、ボクシングそのものの今後に、
いったいどういう影響を及ぼすものなのだろう。そんな疑問が心中に残っています。
結局、自分自身が思うことだけが全てだろうし、余計なことかとも思いはします。
しかし、どうしても、この試合に対する、今後の反響が気になってしまいますね。
メイの積極性に期待したってしょうがない事は、もう試合前からみんな分かってましたが、
それでもこんだけ金もらってこんだけ世界中で注目されてんだから、
メイにもほんの少しでもお客さんのニーズにこたえるような商品出す姿勢くらいは、見せて貰いたかったもんですが…
まーこんなんだからこそメイっぽいっちゃぽいんでしょうが(笑)
…しかしボクシング界最大最後の切り札が、この程度の花火で終わっちゃって、
ホントに今後の世界のボクシングはどーなっちゃうんですかね。
…これでパックがぶっ倒して勝ってりゃ、再戦だの他の選手との絡みだので、夢の様な展開が2~3年は続いてたのになあ(夢想)
やっぱ真剣勝負は、かつて佐藤洋太が言ってたように、
より地味でつまんなくて上手い奴の方が強いって事なんですかねえ(寂寥)
せっかくボクシングに興味を持ってくれた層が、今日の試合を見て何を感じたか?
「ボクシングって面白い、また見よう」とはならないでしょうね。
メイは日和って神に感謝とかいってるし(ヒールはヒールを最後まで全うしろ)、パックはパックで実は怪我をしていました、とかいってるしで後味悪いことこの上なし。
次週のカネロとカークランド戦が面白いものであることを祈ります。
パッキャオを応援してたので、後半捌かれていた絵が哀しかった……
しかし、どんだけ才能あろうと、技術が高かろうと、あの闘い方で勝ちにしちゃうのはもう止めて欲しいです。タッチするだけの有効打を評価するよりきたねえクリンチを減点対象にしろと
攻勢を評価しないとボクシングはメイウェザーの紛い物で溢れちゃうんじゃないですかね。。。
とっとと引退して欲しいですよ。そうして気を遣ってる連中にも改革に動いて欲しいです
俺ジャッジなら減点取りまくってパッキャオの勝利です!
まあ、いつものメイウェザーという感じでしたね。
でも思ったよりは楽しめました。クリチコvsヘイや、ドネアvsリゴンドーに比べたら… 試合の規模も注目度も断然に違いますけども。
結果を知らず、生放送として見た試合としては楽しめました。メイウェザーに「ボクシング」としての技術の至高を感じても、それで地球は揺れず。やはり「心」が伝わる試合が人々の心を動かすものだと実感した気がする試合でした。
ただあの構え、戦いかたなら絶対勝つのは前から知ってるし、彼ほどの才気あれば他にいくらでも出来るでしょうにそれは彼に無いんですね。当てて時に脅して打たせない、これが私達一般のものが一生働いて得られる報酬の10倍を軽く越える額を一晩で稼ぐ人のする事でしょうか。
そもそもボクシングに巨大な資本が動くのは、本質的には文字通り身を削り人生を投げ出す側面があるからこそです。精神的な後遺症に苦しみ自殺を犯す、あるいは神経学的な後遺症に苦しむ選手を我々は数え切れないほど見てきました。そういった事象は、ボクシングの一面の本質である、脳を揺さぶり合い、意識をあるいは運動機能を奪い合う性質から必然の事です。
しかしこの競技について科学的・論理的考察を進めていけばいくほど、脳を揺らす過程にこそ、知的かつ学究的な興味が感じられ、そこにこそ本質があると考える人達もいることでしょう。"機会の奪い合い"の段階で済めば負の側面であるダメージを考えることなく、知的な作業がいかに精密に為されたかのみに興じられる。
そういう観点からはメイウェザーは真に知的な、リスクを負わないという意味では極北を極めた体術を体現しています。一言で言うと違う競技をしている訳で、護身術を大金を払って見れるか否かという表現も出来るかも知れません。
蛇足ですが、個人的にはメイウェザーの技術の真骨頂を真似をすることは実に困難だと思っていて、あの速度を生み出しているのは足捌きと異常に滑らかな重心の移動と思うのですが、どうやっているのか見当もつかず、12ラウンド彼の体術を見てああでもないこうでもないと思考を巡らすのは悪くない時間でした。
パツキャオも良かったです。彼の体術はまた違う観点から極北を極めていて、個人的には完全な体重移動を滑らかかつ高速に連続して行う芸術だと思っているのですが、惜しむらくはピークアウトしてしまったかな、という部分ですかね。
自分の可能性に忠実な...なんて言い方がありますが、それでいくと、自分の限界に忠実な男なんでしょうね。対戦相手や階級の選別、そして試合ぶりの全てをそれで語れそうです。悪いことに天与の才を持ちながらそうですから、困ったものです。ボクシング界の今後については、様々な反響の後に、いろいろ厳しい事態が現出する可能性もあるかな、と見ています。パッキャオには、仮に今回勝っていたとしても「今後」を背負う力はもう残ってない、と思っていました。あ、でも、勝つ力があったなら、話は違ってくるのか...。
地味でつまんなくて上手くてもいいんですが、メイウェザーはそこに相手選びの狡さが加わりますのでね。好調時のマルガリート、弱点を露呈する前のコット、そして無人の野を疾走していたパッキャオ...メイウェザーは試合中同様、実に丁寧に、全部外してます。そこいくと佐藤洋太は相手を選り好みしなかったですからね。彼が言うなら納得しますね。
>さくらすさん
言われるような層の方々への印象、危惧します。同感です。日本でもお金の話題となれば、それこそボクシングだろうがはさみ将棋だろうが構わず取り上げるメディアが、こぞってワイワイやってましたしね。前日になってWOWOWの電話回線が混み合っていた、なんて話を知ったときは「おいおい、どうなっても知らんぞ」と思いました。錦織圭を見たいならまだしも、この試合、世間様のご期待に応えるようなものには多分ならない、と。
メイウェザーは試合前から紳士的なコメントをしてましたね。ま、素直に取ればいいようなものですが、下世話なことをいちいち言うて話題作らんでも大丈夫やし、って感じなのかな、とか思ったり。
カネロは若き希望の星ですね。しかしミドルに上げなくて大丈夫なのでしょうか。
>てててさん
採点方式の変更は難しいでしょうね。様々なスタイルのボクサーが、様々な勝ち方で勝てる、その多様性がボクシングの生命線でもありますから。
ただ、例えばレナードがハグラーを破った試合が、ボクシング界がハグラー的なものに背を向け、レナード的な方向に舵を切った、という意味で、ひとつの分岐点であったと見るならば、今回はとうとうその極限、限界のさらにその先まで行ってしまった試合として、意味づけられるかも知れません。そこから何か新しい方向性が見えてくるのだとしたら、今回の試合も無下に唾棄するものではなくなる...のでしょうか。
メイウェザーの有効打については、本当に「タッチ」しか出来ないのなら、パッキャオはもっと攻め込めたと思います。実際は、強打しようと思えばある程度までは出来るし、追撃の手だってきっと出せる筈です。でもそれをしない。それと引き替えにするものを何一つ差し出したくない。それがメイウェザーの確固たる意志なのでしょう。それを力ずくで打ち崩せる力は、今のパッキャオには残念ながら無かった。それが今回の試合の実相なんでしょうね。
>キーリチさん
最初の2分半くらいは「あ、いつもと違うかも」と感じて、ちょっとだけ盛り上がったんですが。それ以降は「見事にいつもどおりやな」となってしまいました。
例示された試合と違うところがあるとすれば、こうなるだろうという予測が、これらの試合以上に強固にあり、実際見事その通りだった、という点でしょうか。やっぱり、もっと期待しますよね、普通は。
>hiroさん
確かにあの方向性においては至高でしょうね。身体もあちこち悪いらしいし、歳も歳、そういう弱みを一見したところでは感じさせないという点は立派です。しかしよくよく見ると...というか、長年見てきて、なるほどこれは厳しいな、と思うところもありはしますが。リングの中では良いですが、リングの外でも「我が身大事」なだけ、という前提がある以上、心に響く試合にはなりようがないでしょう。
>R35ファンさん
立ち上がりにパッキャオが攻め込んだら、という期待を誰もがしていたと思いますが、そこだけはしっかり構えて叩きにかかり、抑え込みましたね。あの立ち上がりを見て、一瞬「今日は違う」のかと期待しましたが、すぐいつも通りに戻りました。パッキャオがコットやマルガリートを打ちまくっていた時なら、また違う場面もあったのかも知れませんが。
以前もつらつら書いたのですが、結局はウェルター進出自体が、ライト近辺で自分と同等に速く、強い相手に安い報酬でリスクを背負った試合をするよりも...という彼の処世によるものだと思っていまして、その方針は最後まで揺るがなかった、ということなんでしょうね。何かにつけて、うまいことやるお方ですわ。
>Neoさん
非常に興味深い考察ですね。概ね同感です。ただ彼が体現するものを、同時代に生きている、最盛期にあるライバル達との対戦で表現して貰いたかった、という思いも同時にありますね。ライトにおけるカサマヨル、パッキャオ、バレロや、ウェルター以降では好調時のコット、マルガリートなど。ボクシングのひとつの面における極限を証す戦士として、闘う相手についても極限の選択をしてくれていたら、Neoさんのような見方を全て受け容れ、彼がその証を打ち立てようとする姿を、敬意を持って仰ぎ見ることが出来たでしょう。しかるに実際は、ボクシング界の荒廃と、権威崩壊、システムの瓦解を背景に、彼自身の保身とエゴが全てにおいて優先されていて、とてもじゃないがそのように思える状況にない、と言わざるを得ないのが残念です。