ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

またまた 祇園祭へ

2013年07月17日 | 一寸そこまで


祇園祭、今年も行ってしまいました。去年のブログを見ると「来年行こか、という
年ではないし」と行った。と書いてあります。今年も同じような思いで行きました。
おまけに去年は行ってないつもりでしたが、行かなかったのは一昨年でした。
記憶の曖昧さもここに至れり! という感じです。

今年は「長刀鉾」の「お稚児さん」をターゲットにすることにしました。今年のお
稚児さんは、去年のお稚児さんの弟さんだそうですね。

















なんども行っているのですが、今年初めて気が付きました。と言うのが、何時
もは「烏丸」で降りるのを今年は「河原町」までいってしまったので、「注連縄き
り」ではなく「引き回し」を観ることになたのです。上の写真の女性たちは「お稚
児さん」のご家族だと思います。「鉾」が方向転換する間、こうして腰掛けておら
れましたよ。



カメラマンが狙っているのは、勿論「お稚児さん」です。











「長刀鉾」だけ見て、「籤改め」の場所に移動しようとしたのですが、人並みに
逆行するので前進できません。仕方がないので一筋違う道から、行きました。
同じ思いの人が沢山いました。「籤あらため」も人が多くて、近づけません。こ
の写真は私のカメラで捕えられる、ぎりぎりの場所でした。



今年は、子供の「籤改め」が多かったのですが、上の写真の子供が抜群に上手
でした。写真を見てもお分かりだと思いますが、足の引き具合、箱の差し出し
方、本当に上手でしたよ。

二人の共通点といえば、こんな大役なのに、髪の毛は伸びたまま。私は気にな
りましたが、散髪してはいけないという決まりでも? 






今年は外人さんの参加が目立ちました、もっと他の「鉾」や「やま」での参加
もあったのですが、私が撮ろうと思ったときは、もうすでに終わりのほうでし
た。皆さん、日本での最高の思い出になったことでしょうね。



今年から出来たのでしょうか? 各「鉾」や「山」のこの襷をかけた方がおら
れました。



案外、お稚児さんを持つ組は少ないですね。もっと子供の参加が多いと可愛ら
しくて良いのにな~。

下は70年前の神戸・生田神社の「お稚児さん」の私です。私たちは徒歩ではな
く、一人ひとり「人力車」にのって、神戸・元町をお練しました。私も70年前は、
小学2年生でした。

       




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売ってたよ 足踏みミシンのベルト!

2013年07月16日 | 雑誌から


          「テッセン」  今年は花付きが悪かったです        (13-7-3)


夕べから、今日は「足踏みミシンのベルト探しに行こう!」と思っていました。

お店は10時ごろ開店だろうから9時半に家を出ようと思っていました。バスに
乗って、阪神尼崎へ。そして三和通り(本当は中央商店街というようですが、)
に、昔、やっぱりベルトを買いに行ったお店があったからです。

バスに乗ると「XX(私)さんではありませんか?」と声が掛かりました。その方を
見ると、確かに知ったお顔です。相手は私の名前を覚えてくださっていたのに、
私はすっかり忘れています。面目ない! でもね彼女は私より20歳近くお若い
はずです。だから勘弁してもらいましょう。

「この頃図書館でお会いしませんね?」と聞くと「あまり行っていないのよ。暑い
から、今日は市役所に用事なんです」「私はね、三和のミシンやさんに足踏み
ミシンのベルトを買いに行くのよ。今でも足踏みミシンって売ってるのかしらね
~」「足踏みミシン? いや~、売ってないんじゃないですか。まもなくそのミシ
ン博物館入りですね~。」

「お会いできてよかったわ、又元気で、ひょっこり何処かでお会いしたいです」
私はすかさずいいました、例の言葉を「声をかけてくださって、ありがとうござい
ました」って。声賭けがなければ、私は座席を求めて奥に歩いたと思います。
なんだかすがすがしい気持ちになりました。「ベルトあるかしら?」と心配した
気持ちが吹っ飛んだようです。




この商店街は、このタイガースの「優勝まで、後何日」で一寸有名ですね。

本通りは相当長いのです。行けども行けども「ミシンやさん」がありません。昔
と違って「パチンコ」「パチスロ」のお店が多いのです。もう終点、という頃、「やっ
ぱりなかったか!」と諦めたころ、そのお店はありました。

私は早速お店に入りましたが、何十台とあるミシン、全て電動です。嫌~な予感
がして、店主に尋ねました。「今は、足踏みミシンって売ってないのでしょうか?
「ハイ、もう製造中止です」「製造中止ということは、ミシンのベルトはありません
ね?」「ベルトありますよ」予期せぬ答えです。あった! 来てみて良かった!
 諦める前に、行動してよかった!

ついでに、白黒の糸も買って、大喜びで帰って来ました。ベルとをつけるのに、
大汗をかき1時間以上かかりました。糸の針具合が、きつすぎると、使えなく
なります。ゆるすぎると空回りします。慎重に慎重に、少しずつ、きる、つなぐ
を繰り返しました。

出来上がったときは「バンザ~イ!」って気持ちです。ついでに油もさしてあ
げました。これで、また使える! 私がいなくなるまで、使い続けられる、嬉
しいな!




ベルトが見つかって、動き始めた私のミシンです。若い頃の外出着は、全て手作り
でした。息子たちの中学生までのズボンもこのミシンで手作りでした。セーター類
は勿論手編みです。私の手はよく働きました。このミシンも働きものです。

もう少し、縫う楽しみを一緒にしましょう。 幸せに胸を膨らませた一日でした。

                                (2140回)





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まだ売ってる? 足踏みミシンのベルト

2013年07月15日 | 今日この頃

      「モントプレチャー」   繁茂はするけど 花数は少ない     (13-7-7)


     

お昼間、一日雨でしたね。雨の止んだ夕方からも、温度が低くて凌ぎやすいで
す。夏に向かう事を忘れてしまいそうです。

縫いさしになっていたアパッパを縫い始めました。「アパッパ」ってお分かりに
なりますか?ウエストがルーズになっていて、夏の家着です。それを少し細身
にして、余所行きにしたのが、「サックドレス」です。出来上がったら、そのうち
写真をお見せしますね。

家着ですから、洗濯に耐えられるように全てミシン縫いです。あと裾を縫ったら
終わりというときに、糸が浮き上がりました。つまりミシンの下糸がなくなった
のです。

下糸のボビンケースを取り出して、糸巻きに掛けて、糸を巻き取ろうとしました
が、その部分が動かなくて、糸を巻き取ってくれません。なんど試してみてもビ
クともしません。仕方がないので、手で巻きました。

そして、最後の裾上げを始めましたら、今度はベルトが緩んで、から回しをし
ます。つまり動きません。ベルトが伸びているのです。そこでベルトを短くす
ることにしました。

少し動いた後、プツンという音がして、今度は切れました。やれやれと繋ぎ変
えようとしますと、皮がもろくなっていて、金具で止めて引っ張りと、そこから
プツンと切れます。なんども繰り返しているうちに、短くなって、用をなさなくな
ってしましました。

ベルトが上の機械部分とそれを動かす、足踏み部分を繋いでいるものですか
ら、ミシンが掛けられません。

手で廻してみますと、1回廻して2~3目縫えることがわかりましたので、後
1mほどですから、なんどもなんども手回ししながら、最後の1mを縫い上げ
ました。

このミシンは結婚する時持ってきたものですから、優に半世紀を越えています。
外してみるとベルトはボロボロという感じです。勿論、今までにベルトは何回か
買い替えことはありますが、あまり縫いものをしなくなった数年は、気にしてい
ませんでした。

今は卓上電動ミシンが花形ですね。足踏みミシンって今でも売っているのでし
ょうか? 足踏みミシンは場所を取るし、テーブルの上で掛けられる卓上型に
買い換えても良いかな~とも思うのですが、初めから使い方を覚えるのも、億
劫だし、買い換えるほど頻繁に使うこともないし…。でも、無いと不便だし、
何はともあれ、ベルトを捜さなくては処置なしです。売っているといいな~。



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フェスティバルホールへ!

2013年07月12日 | 今日この頃

    「ルリマツリ」   一度は枯れかかりましたが 命吹き返しました    (13-7-1)


今朝の新聞の雑誌の広告を見て、驚きました。今、人気抜群の「壇蜜」さんて
方が、エンバーミングの学校に通い、仕事としておられたらしい、本文を読ん
でいないので、はっきりとは分からないのですが、仏様を、何百体とエンバミ
ングされたようですね。昨日私がその仕事を書いた本を読んだとブログに書い
たばかりでしたから、驚きました。


今日は唱歌の学校でした。いつもなら、8月末まで、夏休みに入りますが、今
年は9月フェスティバルホールでのコンサートがあるため、その合同練習があ
ります。夏の暑いさなかですし、おまけに夕方からのお稽古が多いので、いけ
る可能性は少ないです。9月の末には、頑張って参加したいと思っています。

「このクラスは本当に遅れてる。もっとできないと、合同練習の時に困る!」
と叱咤激励されながら、練習しました。

本番についての説明もありました。私たちは舞台で、階段を登るので、足腰の
悪い方を下の段にするといわれました。日ごろから、足腰の悪い方たちが、先
生に「下にして欲しい」と訴えにいかれた模様です。こうなると、現在は、まだ大
丈夫な私は、高い所に押し上げられそうな気配です。私は高所恐怖症ではな
いのでいいのですが…。

今年、フェスティバルホールが新しくなった、記念の年ですから、演奏の希望者
(主に演歌、クラシックはすくないそうです)が多くて、中々取れなかったのです
が、たまたま月曜日ですが、大阪フィルがその日が空いていたので、決まった
ということです。

私たちは1部は、楽屋で待つそうです。2部になって、合唱の出番になってか
ら舞台に上がるそうです。楽屋は広いので、大丈夫だそうです。1部を見るこ
とは出来ないのですが、リハーサルの時に見せてくださるそうです。

私たちは素人ですが「大阪フィルハーモニー交響楽団」はプロですし、10人
のソリストはテストを受けて、合格された人たちです。楽しんでいただけると
思います。

こんな機会はもうないと思うので、冥土の土産に頑張りましょう!」と激励?
されました。






来年の6月のコンサートは、各組とも「世界の民謡」を1曲入れることになりまし
た。8月からは、その練習にも入ります。その日までに「曲選び」をして、皆で検
討し「曲」を決めます。私の希望としては「日本の民謡」から選んでいきたいと思
っています。今年から1年間世話役が廻って来ました。2.3年前にしたと思うの
ですが、順番ですから、頑張りましょう。





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エンジェルフライト

2013年07月11日 | 読みました

    「ミソハギ」     仏さんにお供えする花だそうです    (13-7-7)
    

夏のホームウエアーはよく洗濯しますし、カンカン照りですから、すぐ色あせ
します。そこで、買い置きの布があるのを思い出し、何年振りかで、裁断をし
ました。今着ている服の中から、着安いものを選んで型を取りました。明日か 
ら、久しぶりに、ミシンを踏もうと思っています。ズボンのすそ上げや、ブラ
ウスの袖丈直しに使うことがあっても、服を縫うのは何年振りでしょうか。今
日は頭の中で、縫う段取りを考えていました。やっぱり、楽しいです。


    エンジェルフライト   佐々涼子

この作品は第10回開高健ノンフィクッション賞を受賞しています。

エンジェルフライト=国際霊柩送還士。こういう職業の人がいると知ったのは、
何時の頃だっただろうか…。確かテレビで見たと思います。それから、気には
掛かっていました。

私は異国でなくなった方の死を知りません。書かれていることによると、飛行
機に乗せると、気圧の関係で、膨張、液漏れなどで腐敗が進むそうで、変色し
たり、異臭を取り除いて、腐食を防ぐ処置を「エンバーミング=防腐処理」と
言うようです。遺体に関する感情は、国よってころなり、杜撰な処置をされて
送り返されたご遺体は腐敗が進んでいるそうです。

エアハース(日本の会社名)は日にちがたったりしたご遺体を、生きていたと
きの形にして、遺族に送り届けるお仕事のようです。顔はパスポートを見なが
ら修正するようです。

なければならない職業とはいえ、自分に関係する人の職業としては、身を引く
感じは否めません。社長は女性なのですが、やはり、夫だった人は、この仕事
に就くことが納得できず離婚しています事務のほうを手伝っているようです。

国によっては、臓器売買のために、臓器が抜き取られていることもあるそうで
す。

エアハースのエンバーミングを受けた遺体を迎えた家族は、とても感謝される
そうです。心を込めて生前の面影に近づけた処置をしてくれるからです。

霊柩車の後ろのドアには棺を運ぶエンジェルが書かれている。社長はー天使
が運ぶように優しく運ぶと、亡くなった人が翼に乗って旅をするのが「天使のフ
ライト」のようだと国際霊柩送還の事を「エンジェルフライト」と呼ぶようになった。

利恵(主人公・社長)は亡き人の名前をなんども呼びかけながら処置をする。
息子や娘が利恵を助けている。息子は無心で処置をし、娘はジムを手伝う。

保険に入っていない遺体は、書類も大変だし、料金も高額である。保険に入
らずに、海外旅行に行くのがいかにリスクが高いかが分かる。

ある地域で死者が出ると、その周辺での死者が何故か続くそうですよ。

土葬をすると白骨化の期間を想定し、2年間は掘り起こさないと言う暗黙の前
提がある。この度の大震災の時、このルールが親族に破られて大変だったらし
い。今の棺は火葬に適するように軽く、燃え安いように出来ている。この度の、
震災でのご遺体は、2年間は掘り起こさないという暗黙のルールを破ったため、
大変な状態のご遺体を掘り上げることになったらしい。棺は埋葬した時の1m
以上の土の重みや、湿気を想定していないから、掘り起こされた棺は潰れて、
崩れて、内部の遺体の腐敗は進行していたから、遺体を洗浄しなおし、新しい
棺に入れて火葬場に送らねばならなかったようです。

アメリカのエンバーミングされた遺体は、処置のあまりに完全な保存状態を見
るにつけ、彼らのエンバーミングは、遺体が自然に朽ちていくことに抗し半永
久的に遺体を保存しようとする強い意思のようなものが伝わってくる。エアハ
ースの遺体の処置に、永遠を希求する姿勢を見ることはない。生前そのままの
姿である事を彼らはあくまで追求する。

アメリカにおいては、エンバーマーは神父や牧師の次に尊敬される職業である。
日本では、まだまだ、そのような環境にはない。

心に残った言葉

             親を失うと過去を失う。
 
              

             配偶者を失うと現在を失う。

             子供を失うと未来を失う。


    

   
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久々に川柳で~す

2013年07月10日 | 雑誌から

   「八重のベコニア」  1.5cmほどの小さな花です暑さにめげず咲いています    (13-6-27)


今日は茂った花の枯れ枝を落としました。何時もいつも、ごみが多くて気が引
けます。営利ではないので、普通ごみとして出していますが…。普通のお家は
1つか2つぐらいですが、我家では、明日5袋かな。この家はごみが多いな~
と思っているでしょうね。


久しぶりの「川柳」なんですが、なんだか「川柳」に共感を覚えることが少なくな
って来ました。何故なんでしょうね? 一人で首をかしげていまっす。


     順調に 老化したかと 鏡見る

私の場合「老化したか?」と見るのではなく、「老化したな~」と見るようです。
鏡の前に座るときは、眼鏡をかけていませんから、自分の思っている以上に「シ
ワ」があるのかも知れませんが、「知らぬが仏」です。

鏡の前は、朝起きて、髪を梳かすとき、顔を洗って化粧水をつけるとき、風呂
上りに肌のお手入れをするときぐらいですから、3回あわせても5.6分ぐらい
です。お化粧をするのは外出予定の時だけですから、本当にわが顔をつくずく
と眺めるのは週一ぐらいです。

     相席で 話し弾んで 景色見ず

「おひとりさん」の友は、よくそんな話をしますが、私はそんなことは余りありま
せん。観光の第二の目的は、写真を撮ることですし、主人が一緒のことが多い
ですから、たとえ、お隣の人と、話が弾んだにしても、目的を優先しますから、
時間が来れば「では…」といって離れますから、「景色見ず」と言うことはありえ
ません。

     普段着の 顔で話せる 友が来る

「普段着」と言うのは「気の置けない」と言うことだと思うのですが、我家の周り
は1軒屋が多く、親しい友も、大体がマンションの住人ではありませんから、近
所にいても、めった顔を合わせることはありません。皆さん老齢ですから、パソ
コンもいらいませんから、メールもしません。若いころは学校行事などで、顔を
合わせることが多かったのですが、今は普段は行き来もありませんが、でもあ
えばすぐ打ち解けますけどね。

皆さん、それぞれの趣味でお忙しいし、私も思えば「唱歌の学校」の皆さんと
が、一番お会いしていることになりますね。


     また会おう 言ってまた減る クラス会

そうなんですよね。今は同期会といっても集まる野は、多い時で40人ぐらい
ですね。「又来年ね!」と分かれても、その時が最後だったりするんですよね。
長生きすると言うことは「多くの別れ」を経験することなんだな~とつくづく思う
ようになりました。

     妻曰く 分けてあげたい 肝っ玉

この句を読んで、思わず笑い出しましたよ。我家も同じだからです。主人は「ノ
ミの心臓」と言うか、くよくよと気にします。私は少々のことなら「そんなものよ」
とデーンと構えています。暢気と言うか、「成るようにしかならないわよ!」と言
う考えです。主人から見れば、「あきれるような無頓着振り」と映るらしいのです。
そこはそれ(+)(-)で上手くいっていると思っていますが、主人から見れば
「上手くいっているのは、オレの辛抱の上に現在があるから」と言うかしら?
いえいえ「私の+志向のせいですよ! 絶対!」




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もう一つの登山

2013年07月09日 | 新聞から

        「夾竹桃」  過っては「尼崎市の市花」 でした        (13-6-15)





関西は「梅雨明け」宣言が出ました。暑い暑い日が続いております。今日は洋
服ダンスの中の要らない服、この数年着ていない服は全て処分します。惜しい
な~と取っておいても、過っては、良く似合っていた服も、今の「老婆の顔」には
悲しいかな似合わないことに気づいたのです。涙のお別れです。

曽野綾子さんのこんな記事が「サンケイ」に載っていました。



一寸字が小さいかも知れませんが、虫眼鏡でご覧ください。「目から鱗」の記事
ですよ。

1960年代には登頂成功者が年間6名だったのに、2012年には547人もの
成功者を出しているんですって。年間1000名に近い登山者がいると言うの
も、驚きなら、その56%の人が成功していると言うのにはたまげました。

「エべレストは定員オーバー」と言う見出しもあるそうです。天辺はスペースが
少ないから、約80mの棚のような場所で、登頂待ちをするんですって。

エベレストの登頂期間は、何ヶ月か知りませんが、「富士山」は7月、8月と2ヶ
月だけですから、わんさと押しかけて、頂上の人員整理(下った員数だけ、頂
に登れる)なんってことが行われるかもしれませんね。

今年は特にね。「世界遺産」に登録された「年」と言う思い入れが強いでしょう
からね。

「エベレスト」にしても「富士山」にしても、下界では見られない自然の世界が
広がっている所ですから、極めたいと思うのでしょう。

特に「富士山」は「エベレスト」と違って、装備と、体調を整えれば、誰でも登れ
る、高度な技術を必要ではない山ですから、エチケットを守って、楽しんで欲
しいと思います。

皆さん、折角の「富士山」だからと、服装を新調する方も多いと思いますが、
「靴」だけは履きなれたものにしてくださいね。私も、主人の言葉に従って、何
ヶ月も前から、「靴」に足を慣らすために「ロックガーデン」や色々と近場の山
で「足の靴慣らし」のために登山をしました。

事故のない、楽しい登山をしていただきたいわ。

   ☆ 俯瞰(ふかん)写真=高い所から見下ろし眺めた写真



          「半化粧」     京都の路地で        (13-6-22)
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私も富士山

2013年07月08日 | 思い出話

          1991年8月15日 の富士山・8合目からのご来光です






私たちが、富士山に登ったのは、つい最近のような気がしていましたのに22年
もたっていたなんて、驚きです。22年前と言えば50半ばですから、「軽い高山
病」に罹りながらも登れたのですね。

「休憩したときには必ずチョコレートを食べること」と息子に言われていましたの
で、忠実に食べていました。ところが7合目ぐらいでしたかしら、チョコを1口食
べるとむかむかして来ました。それまではどうもなかったのに…、と言う感じで
した。自分が「高山病に罹る」とは夢にも思っていませんでした。

それぞれの速度で登っていますから、主人とも、息子ともばらばらです。一人
っきりです。だんだん気分が悪くなってきて、急いで「携帯酸素」を出して吸い
ながら登りました。どこら辺りで合流したのかは全然覚えていませんが、1本
道ですから、迷子になりようがありません。

私が「高山病」に罹るなど夢にも思わなかったと言いながら、何故「携帯酸素」
もっていったかと言いますと、主人の為だったのです。当時、主人は「ニトログ
リセリン」を携帯している状態でしたが、良くなって、持ち歩かなくてもいい、旅
行もOKとお医者さんに言われて「何処に行きたい?」「富士山にのぼりたい」
と言う事でした。私一人では、心もとないので、息子に一緒に行ってもらいま
した。「携帯酸素」3本は結局は私一人で登りに使い切りました。

空気のカンズメですから「入っているのかいないのか分からないのですよ。で
も吸っていると落ち着くので、入っていたのですね。色んな経験をしましたよ。


       2013年7月1日  「富士山」が「世界遺産」になって始めての山開きの日


               2013年7月6日  「世界遺産」になって 初めての週末
    



この凄い人出、数珠つなぎには驚きました。下の写真は私たちが登った(勿論
コースも違います)時の人の間隔と段違ですね。この度の報道で、4本のコー
スの内私たちが登った「御殿場コース」は健脚向きで、距離も一番長いそうで
す。22年たった今になって驚いています。「何故御殿場を選んだか?」って、
遠い親戚が御殿場にいて「地名になじみがあったから」と言うだけなんです。



        ↑   富士山頂の郵便局        ↓   山頂から、広報に「気象観測所」に向かう道 


郵便局では、山頂の「スタンプ」がおしてもらえるので、自分宛に葉書を出しま
したよ。22年前は「気象観測所」はまだ現役でした。





とてもいいお天気で、お昼間は暑かったと思います。お日様が昇ると、目の下
は「雲海」です。



下の写真は「お鉢めぐり」の写真です。主人と息子は廻りましたが、私は又、
1時間も歩く自信がなく、山頂で待っていました。今後悔の一つです。





下の写真は、帰宅の高速道路から、昨日登った、富士山を撮ったものです。自
分が、あの頂上に登ったとは信じられない気持ちでしたよ。





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気が重いな~

2013年07月05日 | 気にかかる

        「ゆり」  これも大きすぎて 広がりすぎて あまりスキではない     (13-6-30)


はじめは、1週間前の「コンサート」の反省会でした。やっぱり、観客数の減少
が声となって上がりました。客席の前半分が段差がないので、観難いために、
お客様も後ろの半分、階段状になっている席にお座りになります、必然的に、
前方は空席と言うことになります。

今年は、たまたま西宮市の大きな催しと重なったと言うこともあり、そちらに
行かれた方も多いと聞いております。

選曲については、私は「唱歌の学校」ですから、皆が口ずさめる歌でいいと思
っています。変に気取った歌はいりません。客席と一緒になって「掛け合いで
歌う」なんてことも楽しめるのではないでしょうか? 私もお誘いを受けて「コン
サート」にいきますが、「1曲ぐらい歌わせてよ!」と言う気になります。

このたびも3曲ばかり、お客様と歌う曲は用意が出来ていたのですが、私たち
にはなじみの歌でも、「聞いたことはあるけど歌ったことがない」と言う事で、
結局お歌いになれなかったのではないでしょうか?

結局、最終的には、「慣れ」に流されて、工夫がないということでしょうか。

「3人以上のお客様をお誘いすると言うノルマ」ですが、お付き合いしている
友人は必ずしも「歌」が好きとは限らないし、皆さまそれぞれの趣味に違いが
あって、何方にでも声掛けできず、苦労します。

今回と「9月・フェスティバルホール」「26年1月26日・シンフォニィーホール」
と1年の間に3回もとなりますと、益々「声掛け」が難しくなります。
どうしたらいいものでしょうか?

他のクラスの方はどんな意見を出されたのでしょうか? 聞いてみるのを忘れ
ました。

新しい「フェスティバルホール」は2000人以上と聞いています。ガラガラでは
寂しいな~と思っていますが、生徒数も減っている現在、集客力もあまり期待
できないのではないでしょうか? なんだか気が重く、憂鬱になって来ました。 




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電車の座席

2013年07月04日 | 新聞から

   「矢車ハッカ」   大株になりました   蕾も可愛いので 載せてみました    (13-7-1)






今日も、梅雨の一日、降ったりやんだり、今は小康状態を保っています。テレビ
は「雨」と言っていたのですが。

昨日の新聞に(サンケイ)下記のような記事が載っていました。

     

座席については、私も、同世代として、色々考えます。以前はほぼ席が埋ま
っているときは、なるべく座席の前はよけて、ドアの所に立つようにしていま
した。なぜならば、「座らせて欲しそうに見えないか」と気がねだったからで
す。

しかし今はそんな事をしなくて、堂々とつり革を持ちに、座席の前に行きます。
と言いますのが、若い方は居眠っているからです。昔は眠っているのは年寄
りですが、今は若者です。昨夜、夜更かししたからだろうか、又は、イヤホー
ンを付けて、聞いていたり、起きていても携帯をいじっていたりして、顔を上
げることがないからです。席を譲ろうなんて、考えていないでしょうから、私
も、気兼ねなく、つり革にすがります。

「若いからって、私も疲れているのよ。今から働きに行くのだし。用もないの
に、時間帯を考えて乗んなさいよ! あんたらはどうせ、遊びなんでしょう!」
と言う心の声が聞こえるようで、身が縮むのです。 確かに「遊び」と言えば
「遊び」なんですけどね。国に、少しでも無駄な費用をかけないで済むように
と、体や頭を活動させているんですよ。「働く」を卒業した、今の私たち年代
にとっては「遊び」=「仕事」なんですよ。

小中学生とはなるべく同じ車両に乗らないようにしていますが、乗ることもあ
ります、大概の先生は、「立っていなさい、席は開けておきなさい」と言って
おられるようですよ。

この引率の先生のような人にはあったことはありません。結局、生徒も先生の
言うように、座ったままだったようですが、なんとも早、世も末かいな~!

「サンケイ」をお読みでない方にも、読んでいただきたいと思い載せました。







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