ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

私も富士山

2013年07月08日 | 思い出話

          1991年8月15日 の富士山・8合目からのご来光です






私たちが、富士山に登ったのは、つい最近のような気がしていましたのに22年
もたっていたなんて、驚きです。22年前と言えば50半ばですから、「軽い高山
病」に罹りながらも登れたのですね。

「休憩したときには必ずチョコレートを食べること」と息子に言われていましたの
で、忠実に食べていました。ところが7合目ぐらいでしたかしら、チョコを1口食
べるとむかむかして来ました。それまではどうもなかったのに…、と言う感じで
した。自分が「高山病に罹る」とは夢にも思っていませんでした。

それぞれの速度で登っていますから、主人とも、息子ともばらばらです。一人
っきりです。だんだん気分が悪くなってきて、急いで「携帯酸素」を出して吸い
ながら登りました。どこら辺りで合流したのかは全然覚えていませんが、1本
道ですから、迷子になりようがありません。

私が「高山病」に罹るなど夢にも思わなかったと言いながら、何故「携帯酸素」
もっていったかと言いますと、主人の為だったのです。当時、主人は「ニトログ
リセリン」を携帯している状態でしたが、良くなって、持ち歩かなくてもいい、旅
行もOKとお医者さんに言われて「何処に行きたい?」「富士山にのぼりたい」
と言う事でした。私一人では、心もとないので、息子に一緒に行ってもらいま
した。「携帯酸素」3本は結局は私一人で登りに使い切りました。

空気のカンズメですから「入っているのかいないのか分からないのですよ。で
も吸っていると落ち着くので、入っていたのですね。色んな経験をしましたよ。


       2013年7月1日  「富士山」が「世界遺産」になって始めての山開きの日


               2013年7月6日  「世界遺産」になって 初めての週末
    



この凄い人出、数珠つなぎには驚きました。下の写真は私たちが登った(勿論
コースも違います)時の人の間隔と段違ですね。この度の報道で、4本のコー
スの内私たちが登った「御殿場コース」は健脚向きで、距離も一番長いそうで
す。22年たった今になって驚いています。「何故御殿場を選んだか?」って、
遠い親戚が御殿場にいて「地名になじみがあったから」と言うだけなんです。



        ↑   富士山頂の郵便局        ↓   山頂から、広報に「気象観測所」に向かう道 


郵便局では、山頂の「スタンプ」がおしてもらえるので、自分宛に葉書を出しま
したよ。22年前は「気象観測所」はまだ現役でした。





とてもいいお天気で、お昼間は暑かったと思います。お日様が昇ると、目の下
は「雲海」です。



下の写真は「お鉢めぐり」の写真です。主人と息子は廻りましたが、私は又、
1時間も歩く自信がなく、山頂で待っていました。今後悔の一つです。





下の写真は、帰宅の高速道路から、昨日登った、富士山を撮ったものです。自
分が、あの頂上に登ったとは信じられない気持ちでしたよ。





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