「八重のベコニア」 1.5cmほどの小さな花です暑さにめげず咲いています (13-6-27)
今日は茂った花の枯れ枝を落としました。何時もいつも、ごみが多くて気が引
けます。営利ではないので、普通ごみとして出していますが…。普通のお家は
1つか2つぐらいですが、我家では、明日5袋かな。この家はごみが多いな~
と思っているでしょうね。
久しぶりの「川柳」なんですが、なんだか「川柳」に共感を覚えることが少なくな
って来ました。何故なんでしょうね? 一人で首をかしげていまっす。
順調に 老化したかと 鏡見る
私の場合「老化したか?」と見るのではなく、「老化したな~」と見るようです。
鏡の前に座るときは、眼鏡をかけていませんから、自分の思っている以上に「シ
ワ」があるのかも知れませんが、「知らぬが仏」です。
鏡の前は、朝起きて、髪を梳かすとき、顔を洗って化粧水をつけるとき、風呂
上りに肌のお手入れをするときぐらいですから、3回あわせても5.6分ぐらい
です。お化粧をするのは外出予定の時だけですから、本当にわが顔をつくずく
と眺めるのは週一ぐらいです。
相席で 話し弾んで 景色見ず
「おひとりさん」の友は、よくそんな話をしますが、私はそんなことは余りありま
せん。観光の第二の目的は、写真を撮ることですし、主人が一緒のことが多い
ですから、たとえ、お隣の人と、話が弾んだにしても、目的を優先しますから、
時間が来れば「では…」といって離れますから、「景色見ず」と言うことはありえ
ません。
普段着の 顔で話せる 友が来る
「普段着」と言うのは「気の置けない」と言うことだと思うのですが、我家の周り
は1軒屋が多く、親しい友も、大体がマンションの住人ではありませんから、近
所にいても、めった顔を合わせることはありません。皆さん老齢ですから、パソ
コンもいらいませんから、メールもしません。若いころは学校行事などで、顔を
合わせることが多かったのですが、今は普段は行き来もありませんが、でもあ
えばすぐ打ち解けますけどね。
皆さん、それぞれの趣味でお忙しいし、私も思えば「唱歌の学校」の皆さんと
が、一番お会いしていることになりますね。
また会おう 言ってまた減る クラス会
そうなんですよね。今は同期会といっても集まる野は、多い時で40人ぐらい
ですね。「又来年ね!」と分かれても、その時が最後だったりするんですよね。
長生きすると言うことは「多くの別れ」を経験することなんだな~とつくづく思う
ようになりました。
妻曰く 分けてあげたい 肝っ玉
この句を読んで、思わず笑い出しましたよ。我家も同じだからです。主人は「ノ
ミの心臓」と言うか、くよくよと気にします。私は少々のことなら「そんなものよ」
とデーンと構えています。暢気と言うか、「成るようにしかならないわよ!」と言
う考えです。主人から見れば、「あきれるような無頓着振り」と映るらしいのです。
そこはそれ(+)(-)で上手くいっていると思っていますが、主人から見れば
「上手くいっているのは、オレの辛抱の上に現在があるから」と言うかしら?
いえいえ「私の+志向のせいですよ! 絶対!」