ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

恐竜展

2012年08月17日 | 一寸そこまで




「チーズ」「おつまみのナッツ類」「オカキ」その他、蓄えが底を付いてきたので
神戸に買いに行こうと言うことになりました。ついでに神戸大丸の「恐竜展」の
チケットを頂いていたので、覗いてみましょう、そして、晩御飯はサンチカで中
華を食べましょうと言うことになりました。2時半ごろ家を出ました。「これで
もか!」と言う暑さの中です。

元町駅を下りて、神戸大丸に急ぎました。早く涼しい所に入りたい一心でした。
平日だと言うのに、バーゲンの所為ですか、沢山の人出でした。

9階の会場に着きました。想像通り、親子ずれで賑やかでした。お母さんと子
供が多かったのですが、やはり「恐竜」は男の子が好きなのでしょう、お母さ
んに説明しているのです。お母さんは「説明聞いてもわからへん」とお手上げ
のようでした。

少数派ですが、お父さんが連れてきている親子は、お父さんが子供に説明し
ています。説明しながらお父さんも童心に返って楽しんでいるようでした。

ビデオを見始めたんですが、子供の声が大きすぎて、説明が良く聞こえません。
仕方がないので、途中で席を立ちました。

息子たちが小さい頃だったと思うのですが、私は以前にもこの類の展覧会に行
ったことがあるのですが、その時の規模に比べれば、一寸物足りないな~と言
う感じでした。

砂の中に骨片のかけらを隠して、発見者の真似事をするコーナーがありまして、
子供たちは大喜びで楽しんでいました。

地下の食品売り場をぶらりとして、次の目的地、「オカキ」屋さんに向かいま
した。たびたび来るのも大変なので、思い切って大量に買いました。重いこと
重いこと、下げている手の指に紐が食い込む重さです。と言いますのが、大分
前から品切れだったのです。仕方がないので、スーパーで買って来たのです。
その品は神戸のオカキを買うまではいつも買っていた品物なんですが、このた
び久しぶりに買って見てその塩辛さにビックリしました。「わぁ! こんな辛い
オカキ食べてたんだ!」と驚いたのです。

今度はサンチカに戻り、輸入品のお店で「チーズ」「ナッツ」「キスチョコ」買い、
今度は主人のリュックに入れましたが、今度は主人が「重い重い!」の連発
です。

それでも心は幸せです。おやつが一杯、家にあるのはとても幸せです。

勿論甘いものも好きですよ。それはお盆の仏様のお下がりが沢山残っていま
す。今はお供えを流しに行きませんから、お下がりとしていただいています。

今年は「水分を取るように」の後に必ず「塩分も」と付け加えていますね。この
言葉は私を喜ばせています。私は「オカキ」が大好きなんです。でも高血圧(薬
で治まっている)は塩分控えめですよね、だから「オカキ」を食べながら一寸気
にしていたのです。

今の私達は、好きだと言って大喰いするわけではありませんから、小さなオカ
キをつまむのを許された気分になって、嬉しいのです。

二人して、買い出しよろしく、大きな荷物を持って、中華を食べに行きました。
いつも1時間ほどかかります。主人が、ビールと紹興酒を飲むからです。そうい
えば、若いころは家でも紹興酒を飲むことがあったので、神戸・トーアロードの
中華の食品店に買いに行ったな~と思い出しました。

年をとると言うことは、何につけても思い出すことが一杯あるな~。


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K (けい)

2012年08月16日 | 読みました

  「八重のベコニア」 花は1cmほどです だから私のカメラでは とても撮りにくいのです(12-7-7)




今年は、なんと各地で集中豪雨の被害の多い年でしょうか、過ってないほどの
数だと思いますよ。地球温暖化? それとも何か? 明日はわが身かと少し怯
えを感じます。

「蚊」がいませんね。私はいつも朝の水撒きで10や20かまれるので、『キンカン』
を買って準備していますのに、咬まれないのですよ。咬まれても1つか2つな
んです。

『ゴキブリ』も見ませんね。その代わり『蟻』が沢山います。大きいのから、小さい
のまで、一杯います。朝からせわしなく動き回っています。何処かに大きな巣
があるのかもしれませんが、庭があり、木や草を育てている限り仕方がないと
あきらめてはいますが…。



     K       三木 卓

この作家のものを読むのは初めてですが、9つも10も色んな賞を取っておら
れるのです。何より気になったのが、同じ1935年生まれだと言うことです。
この奥さんを通してのこの人の歩んだ年代が、私自身と重なるのに興味を覚
えました。

「K」とは奥さんの頭文字だそうです。Kさんも性格的に暗い方(幼児の環境
をそのまま引きずって)だから仕方がないのですが、暗い感じの文章だと思い
つつ読みました。

「三木」と言う字から、中学時代のクラスメートを思い出しました。彼はあいしん
寮という、戦災孤児の家?から通学していたのですが、中学2年のときに母親
に引き取られて、「三木(兵庫県の地名)」に転校していきました。その時、私に
手紙をくれました。手紙には「自分は母親に引き取られて三木に行く。自分は作
家になりたいので、いつかなるだろう。名前を見つけたら自分だと思って、喜ん
で欲しい」と書いてありました。彼の苗字は。たしか「尾崎」と言ったと思いま
す。名前の方は忘れました。作家になった様子はないようです。

作家ご本人は小説を書いたり、作詩したりの生活ですが、奥さんはその生活に
対抗心がおありのようです。

[K]さんも34歳の時第一詩集「優しい大工」と言う詩集を自費出版で出し
ました。

夫の評としては「どちらかと言うと良質ではあるが、次々とこれからの作品の
展開を予感させると言うものではなかった。目下の失業者である夫に強制して
出させるという必然性は、あまり感じられなかった」と書き、しかし彼は[K]本人
には詩集を褒めまくったと言のです。

『彼女が死んだ時、彼女の全作品を集めた「福井桂子全詩集」を著作権保持
者である娘の冨田真帆とともに出した。 それは600ページもある箱入りの詩
集で、評判が良く、320部はあっという間に消えた。これは彼女に詩友のお陰
である』と記されています。

本文の中に[k]の一編の詩が載っていたが、私には理解できないものでした。
暗いな~と言う感じでした。

[K]は病気にかかったときだけは、夫として付き添うように作者を呼び出す。
しかし、普段は[K]は娘と二人暮らし、はじき出された作者もそのほうが一
人気楽でいいと一人暮らしをしている。それにしても夫婦の形は色々あるもの
ですね~。
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終戦記念日

2012年08月15日 | 思い出話

        「カンパニューラー」     尼崎・立花の町角で       (12-5-20)


67年前、戦争が終結した日ですね。いつも玉音放送が流れますが、今日はま
だ耳にしておりません。それに、以前はガーガーと言う雑音で聞きとりにくかっ
た放送が、ドラマなどに出てきますと、はっきりと聞こえるようになっているのに、
お気づきですか。技術の進歩で、雑音を消したのだろうかと思っています。

その日、私は小学4年生で集団疎開で加古川にいました。小学3年生の2学期
から加古川に来ましたから、まもなく1年と言うときでした。「修養道場」とかで、
硬い畳だったのを覚えています。村から離れた、山中に在りました。周りは林
になっていました。

道場には「ラジオ」はなく、ささき先生が村の役場か、学校に行かれて、玉音
放送を聴いてこられて、私たちは佐々木先生から「戦争が終わった」と聞かさ
れたようです。はっきりと何も覚えていないのです。「これで、家に帰れる!」
と思ったのでしょうが、そんな記憶も在りません。ボーっとした子供だったの
でしょうね、私は。

終戦から2ヶ月半ほど過ぎた11月神戸に帰って来ました。私のように家を焼
け出された子どももいましたから、親の所在を捜すのに時間が掛かったのでし
ょうか?中々帰れないな~と思った記憶はあります。

昭和20年3月17日、神戸の大空襲で家が焼けたと言う話で、前回の同期会
で思わぬ話を聞きました。彼女は元町5丁目、私は元町4丁目で、幼稚園、小
学校、疎開先から帰った小学校も、そして中学も、偶然同じでした。だから、
彼女の家も焼け出されたと、つい2年前まで思っていたのです。

ところが、何の話から、そうなったのか忘れましたが、彼女がこういいました。
「私は元町で焼け出されたのではないのよ。父が(軍人の将校さん)『今度は
元町に焼夷弾を落とされるらしい』と聞いて、すぐ平野(母方の親の家)に疎
開したのよ。そしてまもなく元町に空襲があったのよ。だから私たちは焼け出
されていないのよ」

私はそれを聞いた時、驚くと言うより、「やっぱりね~」と言う冷静且つ沈ん
だ気持ちになりました。やっぱり軍関係の人は良い目をしているという話は本
当だったんだ、と言う思いでした。お父様はなくなりましたが、家・財産を失
わなかった分、お母さまも彼女も苦労はなかったのです。戦争で財産をなくさ
なければ、母も苦労をしなかったのに、そして私も、何不自由なく暮らせたの
にと、帰らぬ過去をちょぴり恨めしく思いました。


終戦記念日には、明るい思い出もありますよ。21年前の8月15日の朝日を
富士山頂で拝みました。つい10年ぐらい前に登ったと思っていましたのに、
早21年も経っていたんです。主人62歳、私55歳の夏でした。今思えば、
「50,60は洟垂れ小僧」と言う言葉が本当だったな~と思います。

76回迎えた夏も、その年によって、色々あったわけです。次男を9月に出産
した私は、大きなお腹を抱えた8月、無事に生まれてきて! と祈った8月も
あったわけです。後、幾度8月が迎えられるか分かりませんが、どうか平凡な
夏であってと祈ります。




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韓国との関係

2012年08月14日 | 気にかかる

     「風船かつら」    3本の苗から見事に咲きました       (12-8-8)


寝不足は昨日一日のうつらうつらで解消したらしく、今日は眠気が襲ってきませ
ん。一日本を読んでいました。

産経新聞は「竹島関係」の記事が多かったですが、「日経」は触れておりませ
ん。日経はやっぱり、韓国との経済的関係のひとたちの読者が多いからだろう
か?

私はやっぱり気になります。私が読んだブログでは大使の「召還」を「一時帰
国」に変更したとかいてありましたが、本当でしょうか? 信じられないです。

「竹島」「尖閣諸島」問題に火が付いている時に、野田総理は休暇とか、これ
も信じられません。一つ考えられるのは、もしかしたら、休暇で雲隠れすれば、
明日の「靖国参拝」をうるさく迫られなくて済むからでしょうか? それとも、
休暇中だから、個人の資格で参拝する? そんなことありえないね~。


韓国との「通貨スワップ」の事を思い出したのですが、去年でしたか貸付130
億ウオンを韓国が500億か700億ウオンに上げてくれと言ってきたら、野田
総理が「いいですよ」と700億ウオンにかさ上げして貸すことにしましたね。
その理由は「韓国の経済の安定は日本の利益にもなる」と言うことでしたね。し
かし韓国側の新聞は「3年前より、すんなり(前回は130億でも、なかなかイ
エスと言ってもらえなかったのですね。自民党政権でしょうか?)増額された」
と書いたようです。韓国は前回のことがあるので値下げされるのを見越して、
金額を多めに出したのではないですか、交渉ごととはそういう駆け引きが在る
ものではないですか? それを言い値の高い方をあっさりと貸し付けたとはど
ういうことでしょうか? 

私は国と国との経済のことは分かりせんが、「竹島上陸」と聞いた時に「通貨
スワップの停止」と思いました。韓国との貿易に影響してもいいではないです
か、これだけあからさまな侮辱的行動を取られても、まだ忍耐している政府の
本音が分かりません。

思い出せば、「仲良く仲良く」と「へいこらへいこら」と言われるとおりに日韓基
本条約で解決済みの「朝鮮王室儀軌」を返して、あちらに在る、同等の日本の
書物は返却を求めずじまい、何故そんなにへりくだるのか、根本に何が在るの
か知りたいです。

こんなに馬鹿にされても耐えていると、あちらは益々居丈高になります。これ
もやはり「核」や「軍隊」を持たない丸裸だからではないのでしょうか?




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竹島問題

2012年08月13日 | 気にかかる

      「肥後スミレ」   葉の形がスミレでなにみたいですね 大鉢で育ててみたい     (12-4-4)


今日はお坊さんがこられる日です。お盆のこととて、時間が分かりませんから、
一日中待機するつもりでいましたが、10時ごろこられたので、一日を無駄に
しないで済みました。

オリンピックも終わったし、読書の時間をテレビに取られていたのを又元に戻
せます。

風に乗って、近くの公園から、盆踊りの歌が聞こえてきます。でも、さっきから
瞬間的に激しい雨が降っています、雨宿りする所のない公園で、人は何処で
雨を避けているのでしょうか?


4月11日の朝刊を見て「あれ?!」と思ったんですよ。韓国の李大統領が、
10日の竹島に上陸しました、そして70分滞在しました。韓国と言う国はそ
ういう国だとしても、一国の大統領がなして良い事でしょうか?

日本の新聞の見出しもおかしいですよ。私は自然に「李大統領が竹島に上陸
した」と思いました。産経にも「上陸」と言う言葉が使われていましたが、「日経」
はと見ると「訪問した」となっていました。後ほどテレビを見ていますと「上陸」
と書いたのは産経だけだそうです。と言うことは目にしていませんが、朝日も毎
日も「訪問」と書かれていたのでしょうか。

「訪問」とは、相手があって、自分から足を運んで、会いに行くことではないの
だろうか。

訪問=人を訪ねること。他人の家などを訪れること。 とありました。 そうする
と、産経以外は「人を訪ねる」韓国人しかいないのですから、竹島は韓国領と認
めていると言うことですか?それとも「他人の家」日本領を訪れたと言うことです
か。その土地に日本人は居らず、不法に滞在している韓国人しかいない土地に
いくのが「訪問」ですか?

この問題を、長期間放置していた、前政権・自民党の怠慢の所為で在ることは、
百も承知です。しかし、現在は、民主党の政権下にあります。「世の中を変え
る」といって、選挙民はそうして欲しいと思って、投票し政権交代が行われま
した。政権をとったのですから、何かと言えば「前政権からのもので…」何て、
女々しい事を言わず、前政権と違う世の中にするといったのですから、しっか
りと(代議士さんが必要以上に『しっかりと』と言う言葉を使われるので、私ま
でうつってしまったようです)世の中を変えていただきたい。正し、今のように
悪いほうに変えて欲しいとお願いした覚えはありません。

今回の韓国・李大統領の竹島上陸も、ロシアのメトベージェフ首相のエトロフ
視察、尖閣諸島の漁船体当たり問題などに対する、政府の弱腰外交が、話し
合い外交と称し「日本は何をしても、何も言わない」と受け取られたからでは
ないのですか。

情報時代、李大統領の竹島事件はロシアにも中国にも伝わった。ロシアの書き
込みは「自国の領土を国の大統領が視察して何が悪い」といい、中国のチャッ
トでは、「大賛成、わが国の首相も魚釣島に行ってもらいたい」等の書き込みが
在るという。

如何する? 野田さん! 民主党の皆さん! またまた「話し合いで」何て言わ
ないでくださいよ。 

韓国大統領の今回の行動は、自分の支持率低下を日本を貶めることによって、
人気回復を図るのための行動だと言われています。日本も舐められたもので
すね。

韓国の人は言います。今回の李大統領の行動は「国民の共感を得るだろう」「自
国の土地に行くのは当たり前のこと」「日本に事前通告する必要がどこに在る」
日本人から見れば、恥知らずの行動が、あちらの国では的を得た行動と言うの
でしょうか?


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吉田沙保里さん

2012年08月10日 | 気にかかる

        「ゆり」   尼崎・武庫之荘の町角で     (12-)


今日は家で引きこもり、冷蔵庫の整理料理の夕食でした。肉、魚なし、野菜を
色々に調理しました。たまにはこんな日があってもね~。

オリンピックに参加した人たちが、ゾクゾクと帰国しますね。皆さんの共通点は
「おいしいものを食べたい、ゆっくりした時間を持ちたい」そうでしょうね、重量
制限の在る競技の人は、制限ぎりぎりしか食べられませんものね~。全ての
人が、競技当日にあわせて、練習練習の日々だったのでしょう。

本当にご苦労様でした。メタルに手の届いた人も、及ばなかった人も、お疲れ
様でした。ただね、予選落ちの人の中には「結果は残せなかったけれど、楽し
めたから良い」と言う人がいましたが、これは口にすべき言葉ではありません
ね。国費で参加した競技なんですからね。

今のところ「金」5つ。そのうち4個が女性なんですよね。それも男顔負けの
競技である、レスリングと柔道ですね。

レスリングの吉田沙保里さん。テレビコマーシャルで有名ですね。「徹子の部
屋」にお振袖で出ておられて、お話が面白かったので、一寸ファンになって、
活躍を楽しみにしていました。「金メダル」それも3連覇おめでとうございます。
又「徹子の部屋」に呼ばれるのではないかと思いますので、その日を楽しみに
しています。

おとうさんを肩車したいといっていて、実行できてよかったね。感想は「父は
めっちゃ重かった」そうですね。それはそーと、コーチを投げて、羽交い絞め、
驚かれたでしょうね。手荒い喜びの表現ですが、コーチも驚きつつ、嬉しかっ
ただろうな~と思っています。

「負けを知って、強くなった」と言う言葉良いですね。そうなんですよよね。
失敗のない人生は、そこそこなんですよね。何らかの挫折を味わい、考える
ことによって、後の人生が深く、味わえるのですよね。5月のワールド・カップ
戦の負けは、4年ぶりの連勝ストップだけではなく、このイギリスでの「金メ
ダル」をより深い喜びで受け取られたことでしょう。

槍投げのディーンさん。オリンピックが始まるまで知りませんでしたが、わが
尼崎の高校の体育科卒業だそうですね。我家の息子達の後輩にあたります。
行く前には尼崎市長を表敬訪問されたようですから、帰国後も、こられるので
しょう。胸にメダルがあれば良いですね。

ナデシコジャパンも「銀メダル」おめでとうございました。本当に闘志満々の
良い試合でしたね。惜しい試合でした。

新体操、久しぶりに見たのですが、軽業を見ているようでした。日本のチーム
も皆さん足が長くて、綺麗。コスチュームも派手やかで良かったわ。

アーチェリーも良かったし、ほんとに皆さんお疲れ様でした。




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KATAGAMI Style

2012年08月09日 | 一寸そこまで


京都国立近代美術館に「KATAGAMI Style 世界が恋した日本のデザイン 
もうひとつのジャポニズム展」に行ってきました。

10時からの「昼得切符」で行こうと言うことにして、10時前に家を出たので、美
術館の前に着いたのは12時前でした。展覧会を観てからランチしたのでは3
時前になって、晩御飯に差し障ると言うので、先にランチを食べることにしまし
た。

ここにくれば、ここと決まっている、おいしいソバのお店です。ここでも又並びま
した。このお店はどんなに長い列が出来ていようと相席無しです。だからゆっ
たり食べることが出来るのですが、待つときは辛いです。でもおいしいから、足
が向いてしまいます。


    ↓ これなんだと思います? 中には請求書が入っています 京都らしいね


満足満足とニコニコ顔で、美術館に行きました。今日は平日だと言うのに、そ
こそこの人の入りでした。何時ものように音声ガイドを借りました。

「カタガミ」と言うので、私は何となく「金属」を想像していたのですが、それが「和
紙」だと知って驚きました。和紙を何枚も重ねて、「柿渋」で張り合わせて、彫刻
刀で彫っていくのです。ビデオで見ましたが、気の遠くなるような作業です。

はじめは武士の着るものの文様のためのものだったのですが、それが町人一
般に広がって、多くの「カタガミ」が生まれたようです。

しかし日本では、生活の中で使われているもので、そんなに重要視されていま
せんでした。だから数千枚と海を渡ってヨーロッパの美術館やテキスタイルの
会社に大切に保存されるとは、造った本人も思っていなかったでしょう。





シーボルトも「カタガミ」を持ち帰ったようですし、「カタガミのデザイン」がアール
ヌーボーの一端を支えていたとはまったく知りませんでした。

「カタガミ」のデザインは布だけではなく、装飾品(アメリカのティファニーも使
った)陶器の絵柄、家具、壁紙、じゅうたん等々色んな者に影響を与えています。

浮世絵と同じように、日本ではあまり重視(そこに在るのが当たり前のものと
して)されなかったものが、ヨーロッパで、お手本にされていたのです。

沖縄の紅型も、元はこの「カタガミ」からだそうです。本土への憧れが、その
基本になって、改良されてのが「紅型」だそうです。

この「カタガミ」を見て、日本って凄い国だな~、素晴らしい文化を持ち、それ
が当たり前のように作られていたとは、手先の器用さと、今見ても古さを感じ
させないデザイン、丁髷頭の中で組み立てられていたとは驚きでした。

何百年の昔の「カタガミ」が、今、20世紀に再び日の目を見ようとしている
そうですよ。

ご先祖様に顔向けできないような、今の日本、再び「世界が憧れる日本」にな
れるでしょうか?
  
    
    

これは私が買って来た絵葉書ですが、上は本当に「カタガミ」を使って染め上
げたものです。
下は印刷の「菊」模様ですが、ヨーロッパではこの菊模様が色々アレンジされ
て、使われたようです。これもテキスタイルデザインです。
                                (1910回)

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広島・縮景園と美術館

2012年08月08日 | 一寸そこまで


    

広島には3館の美術館があり、65歳以上の人は無料でした。ここにくるのは、
私は2度目です。しかしこの「フレデリック・バック展」は有料でした。
支払う時は「???」でしたが、観てみて納得でした。

          

原爆公園から、ここまでは電車を乗り継ぎます。「乗り継ぎ…」と言いますと、こ
のカードを渡されて、次の電車に移行が出来て、1回150円のままです。



バックさんのことは初めて知ったのですが、短編アニメで幾つもの賞を取って
おられるようです。

小さいときから、絵を描くことが好きで、2歳の時の絵もお母さんが残して置
かれたとかで、ありました。はじめは絵だったのですが、それがだんだん動く
絵になり、アニメになっていきます。それに使われた絵が展示されているので
すが、絵だけではなく、ふんだんに使われるビデオによって、その絵がどのよ
うに生きてくるかが判って、楽しかったです。

今回は葉書ではなくレターセットを買いました。左は、代表作の「醜いあひる
のこ」ですし、右は後に結婚するペンフレンドの文章を絵に表したものです。

初めの説明文にもありますように宮崎駿さんの「ジブリの森」とも関係がある
のですね。孫娘が3.4年の夏休み、「ジブリの森」に行ったことがあります。
楽しい場所でしたね。もう一度行きたいです。ここはふらっと行くことが出来
ません。事前申し込みのみですから。

   

「縮景園」のことは前回も前を通って知っておりましたが、なんと言っても、真夏
のぎらぎらとした太陽の中、庭の散策など出来ないと、心引かれながらも通り
過ぎました。

今日は幸いなことに、曇り空、「入ってみようか?」と言うことになり、入りまし
た。ここも65歳以上は無料、そして、となりの広島県立美術館のチケットを
出せば、ワンコイン(100円)引きと言うサービスでした。もともとの入場料が
250円ですから、150円支払うと言うことです。




                    「縮景園」  正門






広島藩主・浅野家の別邸だそうですが、と言うことは、わが兵庫県の播州赤穂
の浅野家、あの忠臣蔵で有名な浅野家の本家だったと思います。

何しろ広大な土地ですし、池と言っても、半端じゃない大きさです。萩、皐、
つわぶきが多かったように思いますが、残念なことに、夏の真っ盛り、どの木
も、花をつけてはいませんでしたが、萩が、秋に備えて、花の蕾が芽をだして
入る所でした。

あちこちで庭の手入れが行われていました。













    

ここを出て、駅まで歩きました。駅ビルの何時ものサテンで休憩を取りました。

前に座る息子の頭にきらりと光るものを見つけました。「あれっ!」目を凝らして
みるとそれは「白髪」でした。思いもかけないものを見た驚き、同時に、息子の
頭髪に白髪が混じるまで、健康に過ごさせていただいてる自分は「なんと、あり
がたい晩年だろう」と喜びを感じた一日でした。




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広島へ

2012年08月07日 | 一寸そこまで


今年で5回目でしょうか? 「広島市原爆死没者慰霊並びに平和祈念式」と言
う長~い名の式典に行ってきました。

朝の電車が「みずほ」鹿児島行きだったので、満席。息子と離れた席をやっと
取れたようです。自由席は満員で、立っている人も多かったそうです。「みず
ほ」は「新神戸」「岡山」「広島」ですから、あっという間に着きます。

立花1番の電車に乗っても会場には8時ぎりぎりにしか着きません。

今年はなんですか、警備の人が多かったように思います。時々聞こえる「アジ
演説」を聞いていますと「原子爆弾と原発」を同一視しているようで、それは
一寸ちがうで~と感じました。去年の菅首相の演説に感化されたのだろうか?




式典は8時から始まるのですが、私たちが着くのは原爆投下時刻8時15分の
少し前になります。黙祷にはどうにかいつも間に合っています。



式典が終わり次第、待ち合わせの場所にと決めて、小柄な私は、するすると前
に潜り込みます。「ここいらっしゃいよ」と声が掛かり、見ますとベンチが空いて
いました。私はそこに座らせていただいて、写真を撮る時だけ、椅子の上に立
ち上がりました。

「こども代表」の写真を撮っていますと、つんつんと後ろからつつく人がいます。
私は「立ち上がったから叱られるのかな~?でもさっきは後ろに人はいなかっ
たがな~」と思いながら振り向きますと、女性がカメラを差し出して「写してくれ
ませんか?」と言います。私は写してあげました。次は野田総理でした。写しおえ
て後ろの人に、「撮りましょうか?」と声をかけました。「この人は入りません!」
と言われました。反民主党かな~? 私は一応ブログに必要で撮りましたが…。







式典が終わり、一般献花の時間になりました。私達もその列に加わりました。

      

   
                            献花を待つ人の群




献花を済ませて、「原爆資料館」に行きました。今日は例年より、人が多いと
感じましたが、外国人が少ないとも感じました。

私はいつも思うのですが、「この資料館を世界の人に見てもらって、原爆の恐ろ
しさを伝えたい」と書いてありますが、外国の人より、まず日本人だと思います。

小学生では無理ですから、中学2年生になったら、広島か長崎に来て、見せて
やってほしいのです。「児童手当」何て物議をかもすお金を上げるよりは、「北
海道」「沖縄」、日本の隅々の中学生を国費でここを見せてください。それでな
いと、わが国が世界唯一の被爆国という事を見ないで一生を終わる人も出る
と思います。

私は、この「資料館」に来るたびに、そうしてほしいと言う気持ちがつのります。




     ↑  この町が 1発の原爆投下により      ↓  このような廃虚と化したのです





    ↑ 「語り部」の話を聞く学生     ↓  被爆した「アオギリ」今はこんなに茂っています


今年は「折り鶴」について書いてみます。2歳で被爆した「さだこさん」原爆症
の闘病生活の中、千羽鶴を折れば希望がかなうと言う言い伝えを信じて、「生
きたい」と言う気持ちを「折り紙の鶴」に託して病床で折り続けました。2cmあ
るかないかのちいさな鶴です。



希望は叶えられなかった「さだこさん」と「原爆で死亡した大勢の子供の為に
立てられたのが、この「原爆の子・さだこ像」です。







                    この絵は 折り鶴で書かれています


原爆記念公園を後にした私たちは、例年通り、「美術館」と「縮景園」に行き
ました。明日に続きます…。
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紙の月

2012年08月03日 | 読みました


 「珊瑚花」   消えてしまうのかと心配していました  少し子孫を増やしたようで安心   (12-7-15)




今日は今夏一番の暑さといわれて気温は高かったのですが、風が強く吹いて
いましたので、少しはしのぎやすいと感じました。クーラーの涼しさより、やは
り、生暖かくはあっても、自然の風の方が、体も喜んでいるような気がします。

首筋に髪の毛があったって、暑いのでカットに行ってきました。若いころは髪の
伸びも速く2ヶ月に一度はカットに行っていましたが、今はその倍4ヶ月に一度
で済むようです。短くカットして、すっきりしましたが、薄い髪が目立つような気も
します。

オリンピックをみながら、女性の髪の豊かさに、うらやましいな~と思います。
私も髪の毛は多いほうで、ロングヘヤーで後ろで髷(当時ドーナツリングとい
っていた)をゆったり、片手に持ちきれないほどの髪の束をポニーテールにし
たりしていました。歩くとゆっさゆっさと揺れるのが好きでした。

神様、あの豊かな髪は何処に行ったのでしょうか?

女性選手の爪に、とても綺麗なマニキュアが施されているのを見ると、「女ら
しい手だな~」と思うのです。私もいつもマニキュアをしています。顔に化粧
するのは邪魔くさい癖に、マニキュアは邪魔くさいと思わないのです。

マニキュアをした指先が「女」を忘れていない印、と言うことにしましょうかしら。

       紙の月     角田  光代

一人で9つも文学賞を取っている人。凄いな~と思うと同時に、今、幾つの「賞」
があるのだろうと思ってしまいます。角田さんの作品は、つい最近「八日目の蝉」
「ツリーハウス」を読んだ所でした。これも読み応えのある本でした。事件もなん
だか聞いたお話のような気もしますが、その事件がモデルなんでしょうか。


題名の「紙の月」の説明はとうとう見つける事が出来ませんでした。「これかな
~?」 と思う月の描写は2ヵ所ほどありましたが、「そうだ」という確信を持て
ないまま読み終えてしまいました。

「梅澤梨花」(主人公)「岡崎木綿子」「中条亜紀」(同級生)「山田和貴」(男友
達)という見出しがあり、その人の語り口(視点)で話が続く。

梨花は子供が出来ない、そして、パートとして働き始める。銀行の外交員であ
る。自分の働きで得たお金に満足している。訪れる家の一人暮らし老人の家で、
その孫(光太)との出会いがあり、梨花の運命が変わる。

カラーコピー機で印刷した定期預金証書を使って、お金を作り、光太との関係
を深めていく。ホテルのスイートで結ばれ、高額の支出を重ねていく、高価な
食事にも飽き、光太に自分の作った物を食べさせたくなり、次には家を借り、自
宅にはないブランド物の家具、食器をそろえ、光太との出会いの場を作る。家
賃を払うよりはと、ついにマンションまで購入、自動車も買って与える。

当然の成り行きとして、光太には年相応の恋人が出来る。数件の探偵事務所
に調査を依頼する。海外単身赴任していた夫が帰ってくることになる。ニセ定期
預金証書を渡していた一人が、お金が入る用となる、色んな事が重なって、梨
花は「終わり」を予感する。

ばれるのを恐れて、休暇は取らないようにしていたが、強制休暇、10日間を
取らざるを得なくなった。梨花はできる限りの身辺整理をして、戻らぬつもり
でタイに旅行する。そしてパスポート一ヶ月のギリギリの日を迎えた。梨花の
その後は読者の想像に任されている。

     ☆ 土日のお休みに続いて6日もお休みします。 



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