「セイロン弁慶草」 今年初めて花をつけました (12-3-30)
昨日の今日で疲れているはずなのに、眠気は在りませんでした。昨日の楽しか
った事をなぞるように時間を過ごしていました。
午後からはテレビの委員会を見て過ごしました。「尖閣諸島」「竹島」関係でし
た。何人もの人が質疑に立ちましたが、自民党の石破さんほど、分かりやすく、
なるほどと感じるお話はありません。色々と勉強して、しっかりと理解し、心が
こもっているからでしょう、良いお勉強になりました。
ぼくと、ぼくらの夏 樋口有介
この本は「第6回・サントリーミステリー大賞」読者賞受賞作品です。20数年前
の作品のようです。「大賞」には他の作品が1点違いで選ばれたようですが、
選者の開高健氏やイーデス・ハンソンさんが高く評価した作品だそうです。
主人公は「ぼく」こと「戸川」とクラスメートの「酒井麻子」僕の父親は刑事、麻子
の父親はヤクザの親分。それだけではない僕の父と麻子の母は若かりし頃、恋
人同士で、家出までした中と言う。結果的には両家共に反対で連れ戻されて別々
の道を歩むが、園子たちが、又好感を持つようになる。
彼らの高校は進学校である。二人のクラスメート「岩沢訓子」が自殺する。その
ことで二人は接近する。自殺ではない他殺ではないかということで、二人は探
偵ごっこを始める。そのうちにもう一人クラスメート「新井恵子」が交通事故で
死ぬ。二人は益々疑問を持つ。
クラス担任の美人先生、男前の風見先生、理事長の三枝、等が絡み合って話は
進んでいく、最後は思いがけない人が、犯人で在る。
父親の刑事さんが、担任の美人先生に一目惚れする。お父さんはバツ一である。
僕が親父の世話(掃除、洗濯、食事の世話)を(衣服まで息子が選んでくる)
しているのが、一寸世間離れしたお話かな~と思わないでもない。普通は親父
が息子の世話をするでしょうね。それと、この優しい息子と親父の間には常に
会話があります。これも少数派かな?
訓子の葬式の場面で『あんな変な死に方でなかったら、クラスの全員が出席し
ていたはずだ。数なんて多ければいいってものではないが、それでもこんなに
少ない(クラス代表の男女と僕と麻子)葬式なんって、ことがことだけに、内輪
だけで目立たないようにと言う家族の配慮が逆効果ではないか。出席者が少な
すぎると、葬式というのは帰って目だってしまう』と言うせりふが在る。
そうだろうか? 近頃は家族葬が増えているから、この小説が書かれた20年
前のようには目立たないのではないだろうか。
高校生の死。長男のクラスメートが病死した時に、葬式に出たことがある。私
はPTAの役員だった為の出席だった。子が先に死ぬと言うことは「逆さごと」
で親は火葬場まで付いていくことが出来ません。霊柩車の後を、息子の名を
呼びながら追いかけていこうとして、止められ、泣き崩れた母親の姿は、40年
近く前のことなのに、脳の内に刻み込まれたままです。
こんなこともありました。次男の仲良しで、家にもいつも遊びに来ていた男の
子、小学校の低学年だったと思います。夏休みに、母方のふるさと、岡山に行
っている時に、事故に合いました。工事現場に砂の蟻地獄に埋まって死んでし
まったのです。男の子ですから、砂が山のように、谷のようになっている蟻地
獄で遊んでいて、底まで滑って、砂に埋まってしまったのです。
次男を連れて、家にお参りに行きました。次男を見て、その子のお父さんは布
団を頭から被って、泣いていました。私たちが辞する時も布団を被ったままで
した。辛かったのでしょうね。同い年の子を見るのが。若かった私はそのお父
さんの気持ちを芯に理解していたとはいえません。布団を被ったままのお父さ
んの姿も忘れることが出来ませんが、今なら、その悲しみは理解できます。
休みには岡山の田舎に行って、立花に帰ってくると、「岡山名物・キビ団子」
を持って「おばちゃん、これお土産」とニコニコしていた男の子は、今は50歳
になったはず、しかし私の頭の中には、小さな男の子のままです。
(1920回)