ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

広島へ

2012年08月07日 | 一寸そこまで


今年で5回目でしょうか? 「広島市原爆死没者慰霊並びに平和祈念式」と言
う長~い名の式典に行ってきました。

朝の電車が「みずほ」鹿児島行きだったので、満席。息子と離れた席をやっと
取れたようです。自由席は満員で、立っている人も多かったそうです。「みず
ほ」は「新神戸」「岡山」「広島」ですから、あっという間に着きます。

立花1番の電車に乗っても会場には8時ぎりぎりにしか着きません。

今年はなんですか、警備の人が多かったように思います。時々聞こえる「アジ
演説」を聞いていますと「原子爆弾と原発」を同一視しているようで、それは
一寸ちがうで~と感じました。去年の菅首相の演説に感化されたのだろうか?




式典は8時から始まるのですが、私たちが着くのは原爆投下時刻8時15分の
少し前になります。黙祷にはどうにかいつも間に合っています。



式典が終わり次第、待ち合わせの場所にと決めて、小柄な私は、するすると前
に潜り込みます。「ここいらっしゃいよ」と声が掛かり、見ますとベンチが空いて
いました。私はそこに座らせていただいて、写真を撮る時だけ、椅子の上に立
ち上がりました。

「こども代表」の写真を撮っていますと、つんつんと後ろからつつく人がいます。
私は「立ち上がったから叱られるのかな~?でもさっきは後ろに人はいなかっ
たがな~」と思いながら振り向きますと、女性がカメラを差し出して「写してくれ
ませんか?」と言います。私は写してあげました。次は野田総理でした。写しおえ
て後ろの人に、「撮りましょうか?」と声をかけました。「この人は入りません!」
と言われました。反民主党かな~? 私は一応ブログに必要で撮りましたが…。







式典が終わり、一般献花の時間になりました。私達もその列に加わりました。

      

   
                            献花を待つ人の群




献花を済ませて、「原爆資料館」に行きました。今日は例年より、人が多いと
感じましたが、外国人が少ないとも感じました。

私はいつも思うのですが、「この資料館を世界の人に見てもらって、原爆の恐ろ
しさを伝えたい」と書いてありますが、外国の人より、まず日本人だと思います。

小学生では無理ですから、中学2年生になったら、広島か長崎に来て、見せて
やってほしいのです。「児童手当」何て物議をかもすお金を上げるよりは、「北
海道」「沖縄」、日本の隅々の中学生を国費でここを見せてください。それでな
いと、わが国が世界唯一の被爆国という事を見ないで一生を終わる人も出る
と思います。

私は、この「資料館」に来るたびに、そうしてほしいと言う気持ちがつのります。




     ↑  この町が 1発の原爆投下により      ↓  このような廃虚と化したのです





    ↑ 「語り部」の話を聞く学生     ↓  被爆した「アオギリ」今はこんなに茂っています


今年は「折り鶴」について書いてみます。2歳で被爆した「さだこさん」原爆症
の闘病生活の中、千羽鶴を折れば希望がかなうと言う言い伝えを信じて、「生
きたい」と言う気持ちを「折り紙の鶴」に託して病床で折り続けました。2cmあ
るかないかのちいさな鶴です。



希望は叶えられなかった「さだこさん」と「原爆で死亡した大勢の子供の為に
立てられたのが、この「原爆の子・さだこ像」です。







                    この絵は 折り鶴で書かれています


原爆記念公園を後にした私たちは、例年通り、「美術館」と「縮景園」に行き
ました。明日に続きます…。
コメント
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