ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

遍路 (87回)

2010年03月14日 | 思い出話
               第九回区切り打ち
                 結願の旅
      平成15年11月15日~平成15年11月20日




            平成15年11月15日(土)00:20
初めは10日頃出る予定でした。しかし女体山超えで88番大窪寺に入りたかっ
たので、雨の日は絶対登るな、岩場が危険と言われているので、それなら前日
も雨で無いほうが良いと思い、ネットを見ていますと雨ばかりで出かけられなく
なりました。16日の日曜日は雨だが、17.18日は晴天と出たので、希望の前
日当日は晴天ということで14日の22時ごろ家を出ました。結果的には16日
も晴天に恵まれました。


フェリーの時間が神戸発00:20。バスですとかかる時間は短いのですが高松に
着く時間が遅くなるというのでフェリーにしました。


             

当日、婦人会からの連絡で私たちのホームドクターであるかつや医院の奥様
が逝去されたという連絡を受けました。19時のお通夜だというので、せめて
お通夜だけでもということで主人と供にお参りさせていただきました。

お祭壇も今風というか、白いお花に囲まれた遺影…棺にかけられた布の色が
女性であることを示しているというシンプルさでした。遺影は私が知っている頃
の美しい奥様で、そのことが私に懐かしさを覚えさせた。

綺麗な奥様の七分身のカラー写真で、写真のバックはお花のようでした。昔は
黒紋付に首を挿げ替えたものが多かったのですが、せめて最後にお見送りくだ
さる前にはこの写真のように自分らしい自分で居たいなと感じました。

             
このことがあってから、遍路に出た1日目は奥様のことが頭から離れませんでし
た。子供の学年も違いますし、そんなに親しかったわけではありませんが、もう
何年も病の床にあることは知っていましたし、もしお丈夫なら、思いのままの生
活を楽しめたお人なのにとか… 今頃はお葬式が始まっているだろうかとか… 
もう小さくなって先生の腕の中だろうかとか… 少ない思い出ですが、思い出す
ことが供養だということもあり… と考えながら歩きました。
ご冥福をお祈りいたします。
 
             


この度はいつもメール交換をしていただいていたこばやしさんご夫妻が2日早
く四国に入っておられまが、位置的には私たちから2日遅れの後追いという事
ことになります。一緒に歩けなくとも○○(私たち)と「同じ時期に遍路道を歩い
ていたい」とうれしいことを言ってくださいます。そういうわけでこの度は携帯で
(いつもはパソコンから)連絡を取らせていただきました。

帰りましてから奥様の俳句を頂き、同じ時を歩いたものとして、その句の思いを
しっかりと感じ取ることが出来ました。独学なのでと謙遜なさいますが、私はと
ても良い句だと思います。なまじ先生に疲れますと、より良いものになる反面、
先生のカラーに染まってしまってこばやしさんの句でなくなるようで、私は先生
に付かないで精進していただきたいときぼうするとお話しました。いただいた句
は後半に入れさせていただきます。


三宮駅から神港第三突堤まで、そこには思いのほか大きなフェリーが私達を待
っていました。客室も綺麗でした。いつものとおり「毛布を借りてきて」と主人に
頼みましたが、貸し出しをしていないというのです。そういえばいつもの航路な
ら「毛布貸し出し開始」の放送があるのですが、聞きませんでした。しかし大半
の人が毛布を持っています。そうなんです、皆さん常連さんで、この船には「貸
し毛布」が無い事を知っておられるようなんです。マイ毛布なんです。でもおか
しいね?「毛布」を抱えて旅行に行くの? 考えてる自分にバカらしくなりました。
だって、この船はカー・フェリーでした。自動車に積んでこられたのです。納得! 
仕方が無い。しかし寒いのでジャンバーを着たまま眠りました。4時間足らずで
すからね、辛抱できました。

        ジャンボフェリー(加藤汽船)1泊目



   
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする