ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

遍路  (88回)

2010年03月20日 | 思い出話
             平成15年11月16日(日)
      第80番札所 国分寺から迷い迷ってまわり道…




朝4時に高松着。ここから連絡バスでJR高松駅に… この連絡バスですが料
金無料なんです。神戸の連絡バスは距離はここより近いのに有料(200円)な
のです。何故?? 



     
                JR高松駅に着いたときにはこんなに真っ暗でした

高松駅の前には「海水池」というプールのような池がありました。その説明には
こう書いてありました。

《かっては宇高連絡線が本州と行きかい、四国の玄関口としての役目をにない、高松
はまさに『瀬戸の顔』として海とともに発展してきました。この『海水池』は直接瀬戸内海
から水を引き込み、海と同じように波や潮汐(ちょうせき)を起こして、瀬戸の穏やかな
砂浜や磯辺を駅前に再現し、海を身近に感じていただける憩いの場としています》

       

残念なことに暗くて実感できませんでしたが、今ついたばかりの高松港はこん
な感じで凪いで居るのだな~と思いました。



高松発今治行き4:58に乗り国分駅に5:30に着きました。外はまだ真っ暗です。
私たちと女性が1人降りました。無人駅ですから、車掌さんがホームに降りてき
て、切符の回収をします。半年振りの国分駅です。

小さな駅舎で遍路姿になりました。家から持参の朝食を食べるつもりでしたが、
あまりの侘しさに、もう少ししてから食べようと、今回の出発点である国分寺を
目指して歩き始めました。時々自動車のヘッドライトが道を照らす以外は真っ暗
です。懐中電灯はリュックの中ということで、すり足で第80番札所 国分寺
到着。私の頭に中では第81番札所 白峰寺 は国分寺の東側を北に進むの
ですが、この暗がりでは北に入る道が見つかるだろうかと心配でした。

ところが見つけた81番への標識は「西」を指しています。おかしいな~と思いつ
つも標識通り西に進みました。これが間違いの元でした。行けども行けども「北」
に行くはずの目印がありません。真っ暗だった道が明るくなっても「北」への道
は見つかりません。二度ばかり人に道を尋ねて見たのですが、「西」に行くのが
正解ということでした。国分寺から14K足らずで白峰寺につくはずです。山道と
いえども4時間もかかれば着くはずなのです。5時半から歩き始めて8時半、3時
間歩いてもまだ国道です。明るくなって、地図を見て驚きました、正三角形の底
辺を延々と歩いているのです。10キロもです。「北」の入り口にたどり着いたも
のの、正規の道をここから歩かなければならないと知ったとき、へなへなと倒れ
こみたたい気持ちでした。それに空腹も限界でした。昨夜の晩御飯から何も食
べていないのです。

やっとたどり着いた、ここから先は1本道という場所で朝食にしました。昨夜、家
から握ってきたおむすびと卵焼き、めざしです。私が卵焼きを一口かじっておい
て置くとそれがなくなっている。初めは気がつかなかったのですが、「アレ~?!
おかしいな、さっきの束指しは?…」とよくよく見ると、主人はよく手元を見ない
でとるものですから、私のかじった分にせっせと手を伸ばしているのです。「何
で私の分食べるん!こっちまで手を伸ばさんでも自分のん食べ!」「おかしいな
~?この卵焼き食べても食べても減らんな~思ってん!」二口ぐらいでなくなる
小さな卵焼きです。一口食べては水を飲み、めざしを食べて、水を飲み、として
いるうちに、私もまた、「さっき新しいのを食べて半分置いた」と思ったのは錯覚
かな…と新しいのを食べて半分置いておくと、それを主人が食べるという事を繰
り返していたわけです。

今まで歩いてきた10Kが余分と知って気力がうせているのを感じました。そうか
といって、後8ヶ寺を残したこの時点で、結願を目の前にしてやめるわけにはい
かないという気持ちだけで歩き始めました。
コメント
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