ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

大阪・北御堂 公開講座

2010年03月18日 | 一寸そこまで

                白木蓮   (尼崎市・鳥場公園 10-3-17)

          花の裏側から見た 幾何学模様のような枝ぶりも好きなんです

「えっ! もう1年経ったん?」北御堂からの案内をいただいたとき、そう思いま
した。何も考えないうちに、何もしないうちに月日はどんどん経っていきます。

いつもは6時からなのに、今日は7時からでした。大阪に出るので、ヨドバシカ
メラに寄って携帯ラジオを買いました。1台を主人と私で使っていたのですが、
私が聞きたいときに聞けないという不便さがあったからです。

テレビを聞けるものを選ぶつもりだったのですが、店員さんが「来年テレビが地
デジになりますと聞けなくなります…」と教えてくださったので、そこそこのもの
を買うつもりでしたが、下から2番目に安いラジオを買いました。「家にあるテレ
ビの聞こえる携帯ラジオも聞けなくなるという事ですね」と確かめました「そうで
すね」という答えでした。

時間が中途半端に残ったので、少し早いけれど行きました。なんと長蛇の列で
す。いつもより人の集まりが一足早いようでした。補助いすがぎっしりと通路を
埋めていましたが、立っている人もおられました。せっかく来たのだからテレビ
より「生」で見たいと思う方が立っておられたのでしょう。地下では「テレビ」で見
れる部屋もありますが、そこも満席だったそうです。

   

対談の一人が宮崎哲弥さんだというので喜びました。たかじんの「そこまで言っ
て委員会」のレギュラーとして毎週見ている人だからです。お相手も始めての人
だと思っていましたが、去年のブログを調べてみますと、去年も司会をされた人
でした。完全に忘れておりました。こんなに早く忘れてしまっていいのかな~と
思いますが、忘れることを恐れていては新しい体験が出来ません「忘れたってい
いじゃない。!」と開き直って生きています。

テレビでの宮崎さんは座っているところしか見ていません。とても小柄な人でし
た。ただ釈さんは大学の先生でもあるので、宮崎さんの方を見て(しゃべる対象
者を見て)話されますが、宮崎さんは、テレビの人ですから、私たちの方を見な
がら話されます。職業は現れるわと思いました。

お話は私には一寸難しかったです。「一寸難しくておもしろくないな~、でもど
こかに興味を持って聞かないと、今の時間がむだになるな~」と考えながら聞い
ておりました。

ところが、釈さんが「皆さんはいま、何だか面白くないな~と聞いておられませ
んか?そう思ったら、これからの時間も面白く無いですよ。無理でいいです、無
理やりにでも面白いと思ってください、そうすれば、どこか面白いことがあるは
ずです…」と突然私たちの方を向いて話しかけられたときには驚きました。「う
わ~、見破られている!!」とどきんとしました。  

宮崎さんは小学生の頃から「死とは何ぞや」と思っていたそうです。医者である
おじいさんが家に宗教書をそろえておられて、それを読み漁ったり、祖父に夏休
みなど、子供の宗教合宿のようなところを勧められて、参加したりして宗教者に
育って行ったそうです。

戯論(けろん)=無意味で、役に立たない議論
拘る(こだわる)= 心が何かにとらわれて自由に考えることが出来なくなる
二語とも仏教用語で悪いことを表すということを学びました。「拘る」とは良い
意味で使うことがありましたし、「戯論」とは初めて聞く言葉でしたし、今日の
収穫はこれくらいです。

今日から「お彼岸の入り」だそうです。これも忘れておりました。お中日にお寺
の施餓鬼に行くことは覚えておりますが…。

北御堂の表に今月の言葉として下記の言葉が掲げてありました。



私が写しておりますと後から来られた4~5人が携帯で写しておられました。





          ↓ こんな大きな木も珍しいでしょう? 遠くから見ても見事ですよ
コメント
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