ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

ゴールデンスランバー

2009年04月23日 | 読みました
          大好きな紫のオダマキです 珍しい色だと思います

                 この一重が少なくなりました


                  この肌色も可愛いですよ 





今日の公園は初冬の感じでした。枯葉がカサコソと乾いた音を立てながら、私の足元を過ぎて行きました。

花の写真を撮っていますと「花がきれいですね」と声をかけてこられた人は犬を連れていました。小さな小さな、両手に載りそうな小犬が私の足元に擦り寄ってきます。

私も思わず屈みこんでなでてやりました。温かさが手に伝わってきます「公園が好きでね~」「土ですからね~、朝晩お散歩ですか?」「此処が好きなのでね、私は家に居るより此処に居る時間の方が多いくらいなんです」「生まれてどのくらいですか?」「2年です」「この子は可哀そうな子なんです。息子が飼っていたのですが、入院していましてね、お嫁さんは病人に手が掛かるので、私に預けているのです。誰も知らないところに突然連れてこられてね、寂しいと思いますよ。息子が飼っていたものですから、息子に会いたいだろう、あわせてやればどんなに喜ぶだろうと思うのですよ」

「そうなん、あんた寂しかったん?」私は話の間中、掌で小犬の温かさを感じていた。「人間だけではないんですよね、犬だって色んな運命の元に生まれてくるんですよね」この方は小犬が息子に会いたいだろうとご自分の心をその言葉に託しておられるのが痛いように伝わる、心細い思いで病気の息子さんの心配をしておられるのだろうと、暫くお話し相手になっていました。


           ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

       ゴールデンスランバー     伊坂幸太郎

この方も又、4つも大きな賞を取っておられるのですね。昔のように、賞が数少ない時は、受賞者も少なくて覚えられたのですが、今のようにたくさんありますと、私など覚えきれませんし、何時も紹介された本を読んで、作者の履歴を読んで驚いております。ゴールデンスランバーとはビートルズの歌の題名だそうです。

青柳雅春と言う青年の足掛け3日間のぬれ衣を逃れる日々を書いたものです。細かい字で部厚い本で、重くて、見難くて今日の返却日、2週間ギリギリまで掛かってしまいました。中間ぐらいで20年後の回想部分があり、又現実に戻って、3ヵ月後には自分のダミーの死体が海に浮いてから、ハンサムな自分の顔を捨てて、自分のダミーが行ったと同じ、顔の整形で不細工に生まれ変わり生きていくという筋書きです。


林真須実被告の『死刑」が最高裁でも決まりました。本人は「冤罪で、国に殺されてはたまらない」と、これからも戦う姿勢です。

あの日から11年経っている。当時のテレビに映る彼女は決して感じのいい人ではなかった。私はマスコミ報道でしか彼女を知らないのであって、当時の報道では「犯人は彼女だ」と報じていたから、私も疑いも無くそうだと思っていました。

でももしこれが冤罪ならどうなるのだろうか? ぬれ衣を着せられても、国の力にはかなわず、整形して別人になって生きて行くと言う本を読んだばかりなので、本はフィクションであると解っていても、もしも冤罪なら国は世間は如何するのだろうと思わずには居られなくなりました。

被害者の遺族の方も、対象(林被告)があるから、その気持ちをぶつけられたし、「死刑にする」と言う事が心の支えになっていただろう。

でも冤罪だったら、4人の幼い子供達から母親を奪ったことになる。一番母親に甘えたい、又必要な時間を子供から奪ったことになる。そのことを思いやる世間の目は無かったのだろうか?

こんな難しい事件も裁判員制度のにわか裁判員の力を借りるのだろうか?

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする