ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

遍路 9 (第3回区切り打ち)

2009年04月25日 | 思い出話
                     

                第3回 区切り打ち
       
          第23番 薬王寺 ~ 第28番 大日寺
          
              自 平成14年2月27日
              至 平成14年3月6日 

           人と過去は変えられないけれど  
             自分と未来は変えられる




2月27日午前6:30神姫バスで徳島に向かいました。1回目、2回目はJRバスでしたが、それでは 22番平等寺のある新野(あらたの)に昼過ぎに着くことになる為に神姫バスに変更しました。 変更すればJR徳島8:20発、新野10:36着で時間のゆとりがもてました。

新野駅から国道55号線まで、線路の上を歩きました。1時間に1本ぐらいしか電車が通らない線路ゆえ出来たことです。通過電車は1本だけ、柵も何も無い路肩から畑の方に避難しました。路肩には「彼岸花」の葉の後がず~っと連なって居て(彼岸花は花の後に葉が茂る、自宅にもあるので判断できた)、満開の時は奇麗だろうな~と、想像しながら歩きました。運転手さんも線路上を歩く人を見て驚かれたかもしれない。でもお遍路の格好をしているので解ってくださったろうと思っていました。

長閑な田園風景、此処も日本…、なにやら懐かしい気持ちでした。

16:00頃 第23番札所 薬王寺に到着 5時間半歩いたことになる。

このお寺は有名な「厄落としの寺」なのです。今年は長男が後厄、次男が本厄にあたります。42段の石段に1円硬貨を一つずつ置いていくと厄除けになるというので、持参していた1円を一つずつ置きながら「どうか息子達の厄を落とさせてください」と祈りながら、置いていきました。

本堂でのお祈りをすませて、その階段を降りようと一歩踏み出した時、膝のあたりに鋭い痛みを感じて動けなくなりました。何事にも辛抱強い私ですが、あまりの痛さに涙がポロポロ出ました。一段ごとに「痛いよ~、痛いよ~」と声を出しながら手すりに摑まって一歩一歩下りていきました。

今日が第1日目でこんな状態で「如何しよう、明日から歩き続けられるのだろうか?」と無性に悲しかったです。でもまずはこの階段を下らなければならないと、初めて経験する痛みと戦いつつ下りていきました。

今夜の宿は直ぐ前にある、歩き遍路の人には有名な廃車バスの「善根宿」に宿泊予定でした。一度は「善根宿」も経験してみたいと思っていましたので、昨夜、持ち主にお電話して了解を得ていました。唯、女性の私としては一つ困ったことがありました。トイレが無いという事です。持ち主は隣で飲食店をしておられるので、営業時間中はいいのですが、そして又、向かいの温泉施設が夜遅くまで空いているので貸していただけるという事でしたが、其処が終了すると朝まで駄目という事でした。仕方が無いので自動車で使用の「にょうを固める」と言うのを買い持参しました。

ところが到着してみると、先客が居ました。若い男性の自転車遍路二人組みです。小雨が降った時間もあり、自分達だけだと思っていたのでしょう、車内いっぱいに荷物が広げて、干してあります。こりゃ駄目だと思い、宿を探すことにしました。足が痛んでいますので情けない気持ちでした。先客に「どこか宿を知らない?」と聞きますと「線路の反対側にビジネスホテルがあるようです」と教えてくれました。彼らも自分達だけで居られるのでホットしたのでしょう。持ち主の方(隣のお店に事情を話しに言ったのですが、幾ら呼んでも誰も出てこられなかったので)に事情を話してくださいと頼んでバス宿を後にしました。

ビジネスホテルは直ぐ見つかりました。しかし私の足は痛みが取れません。ホテルの方に聞いて、主人が1人で近くのスーパーに晩御飯を買いに行ってくれました。ご飯を食べて、祈るような気持ちでベッドに入りました。成るようになるさ!と言う開き直りです。

翌朝、暢気な私は足の痛みの事をすっかり忘れて、ベットからぴょんと飛び降りました。降りてから初めて気づきました。「私の膝痛かったんだわ」って。恐る恐る歩いてみました。なんと、なんと痛みはすっかり取れています。「ばんざ~い」と阿波踊りでも踊りたい気持ちでした。

2月27日  ビジネスホテルケアンズ (1泊目)

2月27日(水)22:38  しょうま(送)
四国です。徳島に居ます。今日から6日歩き続けるのです。おじいちゃんは嬉しくて子供のようにはしゃいで居ます。2泊3日掛けて室戸岬に着きます。

このメールから、色んな方とのメールで、行動を綴ることになります。感動を直ぐにメールで打ち込むことによって、喜びが倍増し、その上覚書にもなりました。たくさんの方が遍路記を書いておられますが、メールで綴るというのは私だけではないかと、少し自慢に思っています。何事も人と同じではなく、一寸ひねってみるのが好きな私らしいと思うのです。そのためには私のお相手をしてくださった皆様があればこそと感謝しております。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 定額給付金 | トップ | 遍路 10 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

思い出話」カテゴリの最新記事