ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

悼む人

2009年04月14日 | 読みました

           庭桜  (09-4-1 酒屋のおじさんの公園)




今日は一日中雨でした。こんなに長時間降り続くなんて珍しいですね。その雨の中、三宮に友人の「木彫り」の作品展をたまちゃんと見に行ってきました。

彼女の作品を今日載せたかったのですが、撮影禁止でしたので撮れませんでした。彼女にそのこと言うと、生真面目な人ですから、「人になんか言われるのも嫌だから、後で送るわ…」と言ってくれたので、機会があれば又載せたいと思います。

全国で75ヵ所を持つお教室なんですが、彼女は師範の上の研究科です。本部が西宮にあるため、展示会はここ神戸だけで持たれます。だから彼女は出品し、横浜から駆けつけるのです。

久し振りに元気な彼女に会えて嬉しかったです。案内状に14日は4時まで会場にいると書いてありましたので、是非お会いしたいと今日最終日に出向きました。昨日関西入りして、今日帰るんだそうです。元気で活躍する彼女に逢えていい日でした。

たまちゃんとはその後「軽食」と共にして、色々話して別れました。月末には又クラス会で会うことになっていますから、軽くバイバイでした。



           ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

           悼む人     天童荒太 


凄いいっぱい賞を取っている人なんですね。私は「永遠の仔」第53回日本推理作家協会賞、「家族狩り」第9回山本周五郎賞しか読んでなくて、これで3冊目なんです。

「家族狩り」の方が先の出版なんだけれど、私が読んだのは「永遠の仔」上下でした。5年の歳月を掛けた作品だそうですが、「悼む人」は実に7年と言う歳月が掛かったそうです。ご自身もこんなに掛かるとは思わなかったと言っておられました。私には信じられないような時間を掛けて書かれた物を、こんなにさっさと読んでしまっていいのかしらと思ってしまいます。

「永遠の仔」もそうでしたが、「悼む人」もそうなのですが、表紙が一寸変わっているんですね。見開きに「彫刻」とありましたから「木彫」だと思うのですが、お人形なんですね。先日の記者会見でご本人を見た時「似ている!」と思ったんです。顔がそっくりと言うのではなく、人形から受ける感じが似通っていると言うことです。

直木賞受賞の記者会見で「賞は取れません。賞は取ったものではなく授かるものです」と言う天童さんの言葉が心に残りました。

亡くなった人であれば、その経過は問わず悼むのですが、その場合その亡くなった現場の付近で、誰とはなく同じ問いをするのです。「亡くなった人は誰に愛されていたでしょう。どういった方を愛していましたか。人に感謝されたことがあったでしょうか」どんなに悪人でも幼い頃からの悪人は居ないわけで、その頃を偲んで悼むのだそうです。

「どうして隣近所を訊ねて廻って、もっと詳しく聞かないのか」と問う蒔野(静人の行動を疑問視している人、後には理解する)「お店は外に開いていますし、歩いている人も、誰かと会う心構えの様なものが多少はあると思うんです。でも自宅で休んでいる人に、あえて外に出てきてもらうのは別なことですから」
なるほどな~、自然に出会った人からは聞くが、あえて家にいる人まで呼び出す必要を感じないという事でしょうか…。

静人は祖母が亡くなるとき「ばぁば、なに、ほしい?」と聞いたら、ばぁばは「おぼえてて」と答えた。この気持ちは本当に良く解る。私は今でもおじいちゃんのことが好きで、時には思い出に浸ってしまいます。でもそれはそれだけ祖父との交流が深かったからだと思います。今の時代は核家族で交流も少ないから、「おぼえてて」といわなければ、直ぐ忘れてしまうのかもしれません。

主人公の母親が胃癌で死ぬ、その命を引き継ぐように、娘がシングルマザーで男の子を生む。男性のほうの結婚を認めない理由は兄(静人)の「悼む人」の行動による。

音信不通で、死の宣告を受け、息子の帰りを待ちわびる母。母は会う事無く死へと旅立つ。私は思う、親との連絡をせず何が他人を「悼む人」だ。親の身を案じずして何が供養だ!と。親に現状も知らせない息子に対し後味の悪い読書後でした。 

「愛なんて人や物への執着に過ぎない」この言葉なるほどな~。全て執着か~。


  
コメント
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