ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

心萎えて

2014年01月29日 | 今日この頃

        「ハツユキ草」   もう消えてしまいましたが…     (11-8-22)


今朝、義妹が彼岸に旅立ちました。義妹と言っても彼女のほうがず~と年上で
すから、私の方が後に残るだろうとは思っていました。しかし、それが現実にな
って、起こりますと、哀しいとか寂しいという気持ちではなく、へなへなと心に力
がなくなり萎えてしまったという感覚です。

彼女と義理の姉妹の関係になって、早50年。年齢差もあり、そんなに再々行き
来していたというわけではありません。でも義妹だと思ってはいました。

寝たきりの姑を、家で見ていた4年の、最後の1年、私を週一日、5時間助ける
ために、神戸から、通ってくれたのは彼女でした。その日はお昼を二人で食べな
がら、お話しするのが楽しみでした。話題は他愛無いものだったと思いますが、
家にこもりきりの私にとって、家族以外に話せるのは彼女だけだったのです。

毎年年末には「お歳暮」として、彼女にセーターを編んで贈っていました「手編
みは暖かいです。大切に着ています」といつも喜んでくれました。

義兄が亡くなった後、彼女と大宮の義姉を訊ねようと計画を立てていました。しか
し、その時、すでに彼女はアルツハイマーと診断されていました。会いたいと思っ
ても、病気の事を考えると、会いにいけなかった、元気だった彼女を覚えておこう
と思いました。

去年の秋だったと思います。電話をした時、彼女が出てきました。私は如何対応
すべきか、迷っている時、彼女は言った「OO(私)お姉さんですね。私病気で、ご
無沙汰しております…」しっかりと、彼女は私の声を認識していた。「本当にアル
ツハイマーなの?」私は疑い、狐につままれた状態だった。それが彼女と話した
最後でした。

昨日、義弟からの電話で「ここ1週間ぐらいだろう」と聞いて、覚悟はしていまし
た。でもその日が、今日になろうとは思っていませんでした。

義弟が言うには「アッ、と言う間の死の訪れだった」らしい、苦しむ事もなく、旅立
つたと聞いた。「あっけないものやな~死ぬ事は」と言っていました。

彼女は、幸せな人だと思います。何度かの余病のため入院する以外は、施設に
入ることなく、義弟が、家で面倒を見ました。長い年月中々出来る事ではないと
思います。

大宮の義姉に無性に会いたいです。彼女は独り身に慣れたというし、娘2人なの
で寂しさは少ないだろうと思って安心はしています。でも、彼女は80歳を超えてい
ますし、私もまもなく80代に手が届きます、今、私が行動を起こさなければ、会わ
ずじまいになりそうな気がします。気候のいい時期に会いに行こうと思っています。

年を重ねるごとに、人の別れが、身に堪えます。長生きするという事は、こんな悲し
みにも、耐えることなんだな~と思っています。

そんなわけで、気持ちを立て直す出口を見つけるまで、少しお休みいたします。
来週(2月3日)までお休みいたします。


コメント
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