ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

大相撲

2007年09月09日 | テレビから
            ランタナと蝶
           何と言う蝶でしょう
       水撒きをしていると飛んできました

国技館での大相撲が始まりました。初日と中日は幕内力士の揃い踏みがあるので、前回は中日に行きました。この度は千秋楽を見たいと思ったのですが満席で、初日を見てみたいと思って、いい席はなかったのですが、一応とりました。しかし主人に言うと「初日? 後ろの方?」と不満そうだったので、切符を期日までに受け取らずパスして、再び取り直しました。

4時前にテレビの前に座りました。初日は普段見れない事が2っつありました。先ず5月場所と7月場所の優勝力士に優勝の賞状が渡されます。これは余り珍しくないのですが、次が、優勝力士の肖像の除幕式です。土俵上の白鵬が見上げる先で、するすると白い布がカーテンのように巻き上げられました。昔は如何していたんでしょうね。やはり下にいる人が幕を引っ張り下ろしたのでしょうか?この肖像画は相撲協会が作っているのかと思っていましたが、毎日新聞の寄贈だったんですね。画面を見ながら、本当なら見れたのに惜しかったな~と思いました。

朝青龍も故郷で見てるでしょうね。朝青龍問題としてのアンケートの結果が載っていました。
「帰国は仕方が無かったと思いますか」
イエス→44% ノー→56%
「日本相撲協会の一連の対応は適切でしたか」
イエス→15% ノー→85%
「朝青龍の土俵での復活を期待しますか」
イエス→19% ノー→81%
「復活は期待せず」が81%も占めました

私も同感なんです。帰国してからも雲隠れ。追いかけるマスコミも悪いかもしれないが、自分が動けないのも、奥さんが来ないのも全てマスコミの所為にして反省が見られない。騒ぎは自分が起こした事を忘れている。親方が下見をして決めた治療地も勝手に変えるとか、どれだけ相撲界を無視し馬鹿にすればいいの。

先日曽野綾子さんも「朝青龍のモンゴル帰国 横綱廃業し→私人に還れ」と書いておられた。『・・・幾ら伝統とはいえ、普段外出するにもちょんまげを結い、和服を着ていなければならないという習慣も窮屈なものだろう。しかしもちろん同情することはない。其れを納得して彼らは相撲の世界に入ったのだ。・・・中略・・・勿論今「職場放棄」をすることは、たぶんに社会的な契約に大きく違反する行為なのだから、朝青龍は病気を治す事に専念するために横綱業を廃業して一私人に帰ってモンゴル人としての人生を始めればいいのである。どんなに相撲の世界が狭量で形式主義的で偏頗であろうと、朝青龍は其れを自由意志で承認し、その道を選び、しかも其れによって充分すぎるほどの報酬や名声を得た。文句を言ってはいけない。・・・中略・・・朝青龍の税金の申告漏れについては・・・中略・・・師匠の高砂親方が「個人的なことなので、私は関知していない」と言うのはおかしな論理で、充分な専門的な税理士を親方がつけてやるのが仕事ではないのか。この事件を契機に、国技である相撲は基本的に日本人力士で成り立たせる状況に回帰してほしい』

全く同じ考えである。モンゴル大統領選挙のとき後押しした大統領が当選し仲の良い友人であるとか。デパート、銀行、保養地、サーカス等を相撲で得た報酬で買収し、身内で経営しているとか。横綱を廃業しても心配ない。日本に来るまでは持って居なかった有名人として地位も得た。生まれ育った土地で病気になる事も無い。
白鵬を初め後に続く力士は居る。そろそろ後輩に道を譲ってもいいのではないか。
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リハビリ

2007年09月09日 | テレビから
              卵茄子
        (ジムのアプローチ 07-9-5)
        日より続きで葉の水不足が残念

ジムの花壇が、荒れ放題でした。「尼崎の花一杯の会」の方が居られて、花壇の手入れを始められました。勿論、無料奉仕のボランティアです。私にもお手伝いの声が掛かったのですが、自分の庭も持て余し気味で、すまないと思いつつも参加していません。お陰さまで花壇は花とりどりになり、目を楽しませてくれています。
「卵茄子」はその花壇に咲いていた花です。

夕食時、テレビで真屋順子さんの姿を見た。番組欄を見ると「衝撃秘話SP真屋順子・闘病7年!!欽ちゃんと感動の再会 脳溢血~リハビリ耐え魂の舞台へ」と言う番組だった。

先日は新聞にご主人の高津住男さんが左半身麻痺の妻真屋順子さんについて書かれているのを読んだ。「ありのままを大切に」と言う事で車椅子での舞台出演、そのテレビも私は見ましたが、正直な話、見たくなかったというのが本当の気持ちでした。エゴであるとさえ思いました。

高津さんはその時のことを『リハビリに力を入れるきっかけになったのは、病院のリハビリ室で会った80代のおばさんの存在でした。その方は、妻が欽ちゃんのテレビ番組に出ていたことを覚えていて、妻の一生懸命な姿を見て自分もリハビリに取り組むようになったというのです。妻は知らないところで自分の事をずっと見ていてくれた人が居たと知って、勇気が出たようです。再び「出雲の阿国」の舞台に立ちたいと言う希望を持つようになりましたから。希望が実現したのは15年1月。完全に身体機能が回復したわけではなく、車椅子を手放せない事に変わりはありません。でもありのままでいいんじゃないか、と。そんな気持ちで車椅子のまま出させていただいたのです』

この記事を読んだ時も、私は高津さんに聞きたかった。「真屋さんが奥さんだから、車椅子でも希望を叶えられたのではないのですか?もし他人が車椅子で舞台に立ちたいと言ってきたら、貴方は受け入れますか?」自分の劇団だから出来た事であって「ありのまま生きる」とは意味が違うのではないか、と思ったのです。

私の考える「ありのままに生きる」と言うのは、複雑な思いで真屋さんの動かない姿(右手の扇のみで舞う)を見なければならない舞台ではなく、「吹き替え」「朗読」等、今の彼女に合った仕事があるのではないかと言う事でした。

先の舞台では車椅子に座ったまま、人の介護が必要だった。今度は違った。車椅子を動かすのは顔を黒子の様に隠した二人に押されて出てきたが、舞う時(舞うとは言えないながら)は一人で立って動かれた。舞台に立ちたいという強い意志でリハビリに励まれた事が見て取れた。

その姿を見て、真屋さんが、この舞台に立つことを希望に、どんなに辛いリハビリに耐えてこられたか、数メートル歩く事が、どんなに彼女にとって努力の居る事だったかを感じて、私は自分の心の狭さに気ずかせられた。

彼女の心の支えは友人の言葉「神様はその人の耐えられない苦しみはお与えにならない」と言われた事だそうだ。その言葉は私自身何時も自分に言い聞かせてきた言葉だった。苦しみや悲しみに耐えられたのは「神様は、私なら乗り越えられると思われたからだ・・・」と自分に言い聞かせてきた事を思い出させた。

真屋さんの叶えられた夢舞台は、ご主人が劇団主だった事で実現した幸せである。
舞台女優の真屋さんにとって、受け入れる舞台のある環境に感謝し、リハビリに頑張って欲しいと思っている。
コメント (2)
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