ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

彼岸まで。

2007年09月02日 | 読みました
             コリウス
       (宝塚 シーズンズ 07-8-28)
    珍しくも無いがあまりに鮮やかだったので

今年はどのくらいのお茶(鳩麦茶)や水(神戸の水)を飲んだろうか?過去最高であったことには違いない。台所に何度足を運んだ事か、一度に2.3杯飲むのは常だった。これが冷た~い飲み物だったら、胃腸の弱い私は今頃胃腸を痛めて後悔していただろう。無事夏を乗り越えたようだ。

暑さが睡魔を誘ってうとうとと良く眠り、コロコロとした体は現状維持で秋を迎えた。如何やり過ごそうかね~、食欲の秋を・・・。

         ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

         彼岸まで。   勝谷 誠彦

題名に句読点が付いているのも珍しいですね。表紙の絵、蓮の花は解るのですが、上下を蓮の花に挟まれた図が何だか良く解らない。バンコクでの橋田信介さん(イラクで襲撃され命を落としたジャーナリスト)の葬儀の祭壇にも見えるし。船と櫂のようにも見える水の上に浮かぶ船と櫂が上下対象に写っているのかと思えば、対象でもない。私にはとらえどころが無く、橋田さんへの鎮魂歌であることだけが想像できる。

橋田幸子さんの講演を聞きに行ったので、橋田さんと甥の功太郎さんの死とその後の経緯については幸子さんの口から聞いている。講演で幸子さんは「夫」でも「主人」でもなく「信介は・・・」と言うように話しておられた。

先日も新聞に幸子さんの「かなりひどい遺体でしたが、実際にこの目で見て、いとおしく思いました」と言う言葉が載っていた。「橋田さんの意志を次いでイラクに子供病院を建設すべく奔走している」と書かれてあった。講演では「女医の育成」を語っておられた。イラクでは女性は女性の医師にしか診察を受けられない。女医さんが少ないので日本に留学させ女医を増やしたいと話しておられた。

話を元に戻すと「彼岸まで。」を読んで感じたのは、勝谷さんが今のようにテレビで活躍の場を広げたのは「この橋田さんの事件」だったのだ。と言う事の確信を得たことです。元々芽の出始めた頃であったとしても「この事件」が後押しした事は間違いなさそうです。

私は「自伝的小説」と聞いていたので、この本まるまる自伝小説だと思っていた。そうではなく7編からなっていて、そのうちの一遍「彼岸まで。」が題名になっている。「梨花」と言う女性の出てくる部分がフィクションのよな気がする。

「自伝小説」は「ママ」と題した部分だった。1960年生まれだから40半ば。その人が母親の事を「ママ」と呼ぶのはおかしいと思ったが、当の母親が望んだことらしい。お父さんは我家のホームドクターであるし、初めの頃はお母さんも病院の受付をしておられたし、弟さんのお嫁さんや子供さんたちも病院で見かけたこともあるしで、ご本人も婦人会で「講演」をしていただいたので知っているので、野次馬的な気持ちもあり興味を持っていた。お母さんは私の知っている人とは別人の様に描かれていた。勿論息子の描いた母親の方が真実なんだろう、

1.2篇を除いて「梨花」と言う女性が出てくるが、「ママの通夜、葬式」にも「梨花」が出てくる。私も通夜には出席させていただいたので(その夜に遍路に出たので葬式には欠席した)、せめてこの「ママ」の部分には「梨花」を出さないで頂きたかったと思う。

テレビで見る毒舌家の勝谷さんの書かれた物とは思えない、繊細な感じの「小説」だと思った。テレビで聞いた彼の話も小説に書くとこうなるのかと興味深く読んだ。
コメント (5)
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