ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

リハビリ

2007年09月09日 | テレビから
              卵茄子
        (ジムのアプローチ 07-9-5)
        日より続きで葉の水不足が残念

ジムの花壇が、荒れ放題でした。「尼崎の花一杯の会」の方が居られて、花壇の手入れを始められました。勿論、無料奉仕のボランティアです。私にもお手伝いの声が掛かったのですが、自分の庭も持て余し気味で、すまないと思いつつも参加していません。お陰さまで花壇は花とりどりになり、目を楽しませてくれています。
「卵茄子」はその花壇に咲いていた花です。

夕食時、テレビで真屋順子さんの姿を見た。番組欄を見ると「衝撃秘話SP真屋順子・闘病7年!!欽ちゃんと感動の再会 脳溢血~リハビリ耐え魂の舞台へ」と言う番組だった。

先日は新聞にご主人の高津住男さんが左半身麻痺の妻真屋順子さんについて書かれているのを読んだ。「ありのままを大切に」と言う事で車椅子での舞台出演、そのテレビも私は見ましたが、正直な話、見たくなかったというのが本当の気持ちでした。エゴであるとさえ思いました。

高津さんはその時のことを『リハビリに力を入れるきっかけになったのは、病院のリハビリ室で会った80代のおばさんの存在でした。その方は、妻が欽ちゃんのテレビ番組に出ていたことを覚えていて、妻の一生懸命な姿を見て自分もリハビリに取り組むようになったというのです。妻は知らないところで自分の事をずっと見ていてくれた人が居たと知って、勇気が出たようです。再び「出雲の阿国」の舞台に立ちたいと言う希望を持つようになりましたから。希望が実現したのは15年1月。完全に身体機能が回復したわけではなく、車椅子を手放せない事に変わりはありません。でもありのままでいいんじゃないか、と。そんな気持ちで車椅子のまま出させていただいたのです』

この記事を読んだ時も、私は高津さんに聞きたかった。「真屋さんが奥さんだから、車椅子でも希望を叶えられたのではないのですか?もし他人が車椅子で舞台に立ちたいと言ってきたら、貴方は受け入れますか?」自分の劇団だから出来た事であって「ありのまま生きる」とは意味が違うのではないか、と思ったのです。

私の考える「ありのままに生きる」と言うのは、複雑な思いで真屋さんの動かない姿(右手の扇のみで舞う)を見なければならない舞台ではなく、「吹き替え」「朗読」等、今の彼女に合った仕事があるのではないかと言う事でした。

先の舞台では車椅子に座ったまま、人の介護が必要だった。今度は違った。車椅子を動かすのは顔を黒子の様に隠した二人に押されて出てきたが、舞う時(舞うとは言えないながら)は一人で立って動かれた。舞台に立ちたいという強い意志でリハビリに励まれた事が見て取れた。

その姿を見て、真屋さんが、この舞台に立つことを希望に、どんなに辛いリハビリに耐えてこられたか、数メートル歩く事が、どんなに彼女にとって努力の居る事だったかを感じて、私は自分の心の狭さに気ずかせられた。

彼女の心の支えは友人の言葉「神様はその人の耐えられない苦しみはお与えにならない」と言われた事だそうだ。その言葉は私自身何時も自分に言い聞かせてきた言葉だった。苦しみや悲しみに耐えられたのは「神様は、私なら乗り越えられると思われたからだ・・・」と自分に言い聞かせてきた事を思い出させた。

真屋さんの叶えられた夢舞台は、ご主人が劇団主だった事で実現した幸せである。
舞台女優の真屋さんにとって、受け入れる舞台のある環境に感謝し、リハビリに頑張って欲しいと思っている。
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2 コメント

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Unknown (O-Haru)
2007-09-09 21:40:12
「神様はその人の耐えられない苦しみは与えられない」新しいボランティアに取り組んでいるこんにち
不安で夢に見るのですが無事に成し遂げた後は、
神、仏に感謝しています。
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Unknown (ちっち)
2007-09-09 23:38:43
O-Haruさん
色々とボランティアしておられるのですね。私はただ我家を守る事しかしておりません。
返信する

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