ブラシの木
(大谷美術館 07-5-4)
本当に哺乳瓶が洗えそうでした
「四国88ヶ所 祈りの旅展」川端龍子の遍路草描画と自筆原稿 溝縁ひろしの写真花へんろを京阪百貨店守口店に見に行った。
歩き遍路のオフ会の世話役の竜馬さんが切符を送ってくださったから。写真花遍路の横溝ひろし氏もオフ会でお会いした事がある。
守口市は始めての行き先である。ネットで調べて「京阪守口市駅」直ぐそばと知った。JR東西線で京橋に出て、京阪電車に乗り換える。準急の次の停車駅が「守口市」であったので、7駅をすっ飛ばしたのであっという間に着いた。
地図で見た時、駅のそばだったが、プラットホームで見回しても其れが左右どちらに行けばいいのか分からない。聞いてみた「百貨店はどちらの方向に出ればいいですか?」「あの屋上に旗が立っている所がそうです」迷い子になる事無く着いた。
入場券を2枚頂いたが、一枚で2名入れるので、残った一枚を何方かに差し上げようと暫く待っていたが誰も来ないので諦めた。
川端龍子氏の自筆原稿と絵を初めは照らし合わせて読んでいたが、字が薄い上に昔の人の流れるような字ゆえに、読み辛くやめてしまった。
「九番藤井寺の藤」の前で2人連れが話している。「昔はとても綺麗だったんだが、今はお寺が手入れを怠って余り綺麗じゃないそうよ。これだけ有名なのに手入れぐらいすればいいのに、ようけ納経で儲けているくせにね~」「そういえば穢いお寺あったね」。
私達が藤井寺を通過したのは秋ですから、大きな藤棚を見ただけだからこの話が本当かどうか知るすべも無い。ただこのお遍路ブーム(主は観光遍路といわれるバスツアー)で、各お寺の収入は多い。お寺によっては立派に建て替えたりしているが、そんなことはして欲しいとは思わないが、お寺によっては水洗トイレやお茶の接待をしてくださる所もある。遍路道にはトイレが少なくこれほどありがたいことは無い。遍路は88ヵ所平等に回るのだから、何もしないお寺の収入が少ないという事は無い。「お金だけ取って」と言うお寺もあり、嫌な感じを受けたが、其処だけは飛ばすというわけにも行かず我慢するしかない。寺の収入は無税と聞いているが、せめて一割でも、トイレや水のみ場を設置する費用にしてくださればと思う。
さて、楽しみにしていた花遍路だが、一寸物足りなかった。その写真を見て、その寺であるという感じが受け取れない。写真自体は勿論専門家なので上手なんでしょう。でもあの写真を見て遍路を偲べと言われても困るな~。やはり好き嫌いでなくこの方の京都を写された写真の方が良いように思う。
オフ会にとよかずさんと言う遍路絵を描く人がいる。浮世絵の様な感覚で描かれている絵(コンピューター)は私達の大好きな絵である。頂いた絵は居間に飾ってある。この一連の絵なら遍路を理解してもらえると思う。
遍路の写真集や遍路記も沢山売っていた。そのうちの一冊の本の帯に「お遍路さんの世界もやっぱり「楽園」でした」と書かれていたのを見て「遍路が楽園?」この人はきっと自動車でめぐったに違いない。歩き遍路にとって遍路は決して楽園ではない。一つ一つのお寺に着いた時の何とも言えぬ安堵感やすがすがしさ、達成感はある。道中に頂いた土地の人のお接待への感謝の気持ちはある。しかし「楽園」と思えるほど容易い道のりではない。一歩一歩歩みながら、歩ける自身に感謝し、接待の心に人の優しさを知り、苦しみの後に知る喜びの道である
(大谷美術館 07-5-4)
本当に哺乳瓶が洗えそうでした
「四国88ヶ所 祈りの旅展」川端龍子の遍路草描画と自筆原稿 溝縁ひろしの写真花へんろを京阪百貨店守口店に見に行った。
歩き遍路のオフ会の世話役の竜馬さんが切符を送ってくださったから。写真花遍路の横溝ひろし氏もオフ会でお会いした事がある。
守口市は始めての行き先である。ネットで調べて「京阪守口市駅」直ぐそばと知った。JR東西線で京橋に出て、京阪電車に乗り換える。準急の次の停車駅が「守口市」であったので、7駅をすっ飛ばしたのであっという間に着いた。
地図で見た時、駅のそばだったが、プラットホームで見回しても其れが左右どちらに行けばいいのか分からない。聞いてみた「百貨店はどちらの方向に出ればいいですか?」「あの屋上に旗が立っている所がそうです」迷い子になる事無く着いた。
入場券を2枚頂いたが、一枚で2名入れるので、残った一枚を何方かに差し上げようと暫く待っていたが誰も来ないので諦めた。
川端龍子氏の自筆原稿と絵を初めは照らし合わせて読んでいたが、字が薄い上に昔の人の流れるような字ゆえに、読み辛くやめてしまった。
「九番藤井寺の藤」の前で2人連れが話している。「昔はとても綺麗だったんだが、今はお寺が手入れを怠って余り綺麗じゃないそうよ。これだけ有名なのに手入れぐらいすればいいのに、ようけ納経で儲けているくせにね~」「そういえば穢いお寺あったね」。
私達が藤井寺を通過したのは秋ですから、大きな藤棚を見ただけだからこの話が本当かどうか知るすべも無い。ただこのお遍路ブーム(主は観光遍路といわれるバスツアー)で、各お寺の収入は多い。お寺によっては立派に建て替えたりしているが、そんなことはして欲しいとは思わないが、お寺によっては水洗トイレやお茶の接待をしてくださる所もある。遍路道にはトイレが少なくこれほどありがたいことは無い。遍路は88ヵ所平等に回るのだから、何もしないお寺の収入が少ないという事は無い。「お金だけ取って」と言うお寺もあり、嫌な感じを受けたが、其処だけは飛ばすというわけにも行かず我慢するしかない。寺の収入は無税と聞いているが、せめて一割でも、トイレや水のみ場を設置する費用にしてくださればと思う。
さて、楽しみにしていた花遍路だが、一寸物足りなかった。その写真を見て、その寺であるという感じが受け取れない。写真自体は勿論専門家なので上手なんでしょう。でもあの写真を見て遍路を偲べと言われても困るな~。やはり好き嫌いでなくこの方の京都を写された写真の方が良いように思う。
オフ会にとよかずさんと言う遍路絵を描く人がいる。浮世絵の様な感覚で描かれている絵(コンピューター)は私達の大好きな絵である。頂いた絵は居間に飾ってある。この一連の絵なら遍路を理解してもらえると思う。
遍路の写真集や遍路記も沢山売っていた。そのうちの一冊の本の帯に「お遍路さんの世界もやっぱり「楽園」でした」と書かれていたのを見て「遍路が楽園?」この人はきっと自動車でめぐったに違いない。歩き遍路にとって遍路は決して楽園ではない。一つ一つのお寺に着いた時の何とも言えぬ安堵感やすがすがしさ、達成感はある。道中に頂いた土地の人のお接待への感謝の気持ちはある。しかし「楽園」と思えるほど容易い道のりではない。一歩一歩歩みながら、歩ける自身に感謝し、接待の心に人の優しさを知り、苦しみの後に知る喜びの道である